家族会議
アイリはその直後、部屋に入ってきた亜人っ子メイドにポーションを飲まされ、事なきを得た。
結局、メーヴェの襲来の理由も、唐突な撤退の真相も分からないまま数日が過ぎた。
そして俺は今、執務室でそわそわしながら扉を眺めている。
この数日、皆に避けられている気がして、大人しく待っていたんだ。しかし、そろそろメーヴェのことを話さないと、いつか手遅れになる。
なにより、アイリたちに会えないばかりか、プリムにまで避けられて、俺の寂しさもそろそろ限界だった。
永遠にも思える数分の後、ずっと凝視していた扉がようやく開いて、アイリたち四人が静かに入室してきた。
先頭に立つのはビアンカだ。彼女は少し硬い表情で会釈すると、俺の座っている執務机から数歩離れたところで無言で立ち止まった。俺を汚物のように見る視線こそ鳴りを潜めたものの、彼女はいつものように目を合わせてはくれない。
続いて入ってきたのはアイリ。彼女もビアンカと同様に視線を合わせようとしないが、俺の視線に気づくと、なぜか目を泳がせる。久しぶりに見る彼女のアホ毛の慌てっぷりが、無性に愛おしい。
二人に続くセリースは、最近の『つわり』がやはり演技だったかのように、最初に会った頃の態度に戻っていた。目が合う度にプイと顔を逸らして……それでいて元気そうだから、なによりだ。
最後にジアだが、彼女はまだ本気で怒っているらしく、頭のてっぺんの金髪に混じったオレンジ色のメッシュがゆらりと煌めいていた。
「立ち話もなんだし、とりあえず腰を下ろしたらどうかな?」
狼狽えながらソファーを示すと、彼女たちは無言のまま次々と腰を下ろし、俺の言葉を待った。姿勢を正し、膝を揃えて、決して視線を合わせないように俺を見ているその態度はひどく余所余所しく、心にズシリと痛みが走った。
自分ではそんなに悪いことをした覚えはないのだが、彼女たちにとって俺がメーヴェと『一緒にいた』ことは、相当なショックだったらしい。
(……俺はただ、勘違いして、アレはエロチックな夢だと思っていただけなんだけどな……)
ここで子供じみて意地でも自分の正しさを主張するのも違うだろうから、俺は溜息を吐いて謝ることにした。
「先日は心から申し訳なかった。疲れていたとはいえ、魔族軍の襲撃に気付かないなんて――完全に俺のミスだっ」
「――ゴシュジン。悪いっすけど、言葉だけじゃ足りないと自分でも分かってるんっすよね?」
「……ああ。代償が必要なら、許してもらえるためになんでもする」
「では、手始めに『正座』から始めては如何かしら?」
「ビアンカ……さん。『正座』のこと、どこから……?」
俺はビアンカの口から飛び出た驚きの文句に、慌てて問いかけたのだが、答えは明白だろう――最近ビアンカがアイリと仲良くしているのを知っていたし、彼女の日本文化の知識がどこから来ているのか、訊くまでもなかった。
(しかし、『正座』か……。前世では長い間ヨーロッパの製薬会社に勤めていたから、正直本国の風習を忘れかけていた。言うまでもないが、『エンリー』の身体で正座をしたことなんて一度もない。これは多分、かなりの拷問になるぞ……)
ゆっくりと、彼女たちの座るソファーの前で、床に膝をついて、慎重に腰を下ろす。膝裏と足の甲に体重がかかり始めた段階で、まだ始まったばかりだというのに、早くも体が悲鳴を上げ始めていた。
「なにダラダラしてんのさ。そのセイザとやらもできないわけ!?」
久しぶりに飛んでくるセリースの辛辣な言葉。でも、彼女は今も皆とお揃いのメイド服に身を包み、その砕けた言葉遣いをキープしているってことは、この生活をまだ諦めていない証拠だ。
「そもそも、これに何の意味があるというのだ。この『正座』とやらは、私たちが先日、アイリの提案した茶会でやらされたものと同じだろう?」
「私の足はかなり痛かったですわ」
「いや、ヘーキだったっしょ? 全然顔に出てなかったし」
「足を痛がって皆様の気分を害するなど、淑女として決してできませんわ」
「だがな、他にビアンカしか知らんこれは、どこの国の文化だ。海の向こうか? アイリはしがない騎士家の娘だろう。なぜこのようなことを知っている?」
「ジア様。今はエンリーさまの断罪が先でしょう。アイリ様のことはまた後程お話しいたしましょう?」
「……何か怪しい」
「放っておきなよ、ジア様。ビアンカ様とアイリ様は前からこそこそやってるし。どうでもいいよ」
「だが……仲間内で隠し事というのは、あまりよろしくないと思うぞ」
「待て待て。なんで俺が断罪されることになってるんだ?」
「自分の胸に聞いたらどうっすか?」
「ご主人様は節操のない下等生物――もとい、浮気者ですから」
「あれはっ――浮気のつもりは全くなくて……ただ『そういう夢』だと思ってただけで……っ」
「へ~え。なんでそういう夢の中、大好きなあたしたちの誰かじゃなく、よりによって他の女が出てくるんっすかねぇ?」
「――よしよし、パパがいなくて寂しい? 大丈夫よ~、ママがそのパパの分まで愛してあげるからね~」
セリースは真顔で、新しい命が宿る自分のお腹を優しく撫でながらそんな言葉をかける。俺の心に、ザックザクと彼女の鋭い拒絶が突き刺さった。
そのあと、彼女たちの俺への愚痴はしばらく続いた。
何を隠そう、彼女たちの愛が冷めたというか、まるでそんな気持ちが最初からなかったかのように、皆俺に冷たくあたるようになったのだ。
この感覚は少し、以前のサブクエストの時に発生したバグに似ている。
それになんだか、俺の皆への愛情も数段下がったような気がしないでもない。――しかし、独占欲だけは未だに健在だ。
(もしかして、俺までシステムに感情を揺さぶられている? だとしたら冗談じゃない!)
しかし、問題はどこから俺の気持ちがシステムに操られていたのかだ。
(アイリたちに『友達以上の感情』を抱き始めた時からのだとしたら、今回はそのシステムの影響がリセットされただけなのかもしれないな……)
ようやくアイリたちの糾弾が終わり、俺にも弁明の余地が与えられたのだが、足の痺れがひどくて、最早考えをまとめるのすら一苦労だ。
とりあえず、セリースとだけでも仲直りしておかないと、本気で自分の子供の人生からすら排斥されかねない。
幸い、アイリたちの俺への感情が冷めた一方で、彼女たちの間の絆はそのまま、もしくは前以上に強くなった気がする。
誰もこの屋敷を出ていこうとしない限り、関係を再構築する機会はいくらでもあるはずだ。
「セリース……俺のことを恋愛対象としてもう認められないと言うなら、俺からは何もしないと約束する。でも、できれば俺たちの子供に『パパがいない』なんて、悲しい思いはさせたくないんだ。せめて友人としてでも、その子に一緒に愛情を注いで育てていかないか?」
「わ、わかった。でもさ……またあんなスケベなことしたら、アタシ本気でエルフの里に帰るからね!」
「俺はできる限り約束を守るよ。魔族たちがまだ何か企んでいるなら、全力でみんなを守るつもりだ」
「ならいいけど……」
「――私はエンリーに失望したぞ!」
「ああ……分かっている、ジア。本当に申し訳ないと思っているし、できることならジアとも友人でいさせてほしい」
「……考えておく」
「ビアンカ。君にとって難しい時期に、俺のせいで新たなトラブルに巻き込んでしまい、本当にすまない」
「――私はまだ何も申し上げておりませんわ」
「分かってる。しかし、君の望まぬ嫁入りを阻止するために他の方法が見つからなかったら、俺たちは……夜を一緒に過ごす他ない。愛せない俺とそんな事をするのはただならぬ苦悩だろう。――でも、安心して欲しい。いざとなれば俺が何とかしてみせるから」
「ま、まあ……期待せずにお待ちしておりますわ」
「アイリ……」
「っ!……なんっすか?」
「その……告白して早々、君を傷つけてしまい、本当に申し訳ありませんでした!」
「――ちょっ! ど、土下座はやめてほしいっす! あたし、ゴシュジンのこと責めるつもりとかないし、友達としてならこれからも傍にいてあげるっすよ!」
「……ありがとう」
「まあ、まあ。愉快な方たちですねェ」
メーヴェの声が部屋に響き渡ると同時に、全員の視線が室内の1人掛け用ソファへと集中した。
そこには、まるで最初からいたかのように、メーヴェの姿があった。
少し大きめのソファに足を折りたたんで横座りし、肘掛けにゆったりともたれかかる姿勢で、面白がって俺たちを眺めている。
次の瞬間、俺の頭にかかっていた靄が一気に晴れて、アイリたちへの愛情が津波のように再び流れ込んできた。心が激しく揺さぶられる中、咄嗟に彼女たちの顔を見回す。
どうやら、俺と同じように感情を操作されていた彼女たちも、コロコロと表情を変え、怒りや悲しみ、隠しきれない恥ずかしさまで、様々な感情を顔に浮かべていた。
しかし、それらはすべてほんの一瞬の出来事。
メーヴェの二度目の襲来にようやく頭が追いついた皆は身体を強張らせ、警戒と敵意に満ちた視線を、だらしなく寛ぐ彼女に釘付けにした。
「あらあらァ、そう興奮しないでェ。別に戦いに来たわけではないしィ――どうせ貴様らの実力では、一分ともちませんわァ」
「じゃあ、何しに来た?!」
「あ~あ。つい先日の夜、わたしをあ~んなに激しく求めてきましたくせにィ……わたしだけに態度が変わりすぎやしませんことォ? 精神操作も使っていませんのにィ」
「やっぱり精神操作を使ったんだな!」
「仕方ありませんわァ。だってェ、わたしにとって息をするのと同じくらい自然なことですものォ。サキュバスなんだからァ」
「目的は……何っすか?」
緊張感を何とか抑え込んだアイリが、硬い声でメーヴェに問いかける。
「ただの好奇心ですわァ。わたしの精神操作を跳ね除けたと思ったら、相手にならないくらい弱い。なのにィ、再び術を使ったら、ごくわずかな時間でそれをまた乗り越えようとしているゥ……こんな面白い人たちィ、今まで一度たりとも見たことありませんわァ」
メーヴェはけろりとした様子でそう言い放つと、ここで初めて、ヒロインらしい魅惑的な笑顔を浮かべてみせた。




