魔族襲来、その壱
暗い部屋の中、適当に天井を見上げながら、ベッドの上で考えを巡らせる。
俺はこの世界に来てからいつしか『プレイヤー』と認定され、気付けば数々のイレギュラーなイベントを起こしてきた。
『ゲームに転生した』とか『ゲームの世界に入った』なんて、一部のオタクからすれば夢の広がる話であり、考えることを放棄してしまえば誰だって楽しめるだろう。しかし、プレイヤーのポジションであっても、できることは限られている。
最初の頃、俺もその現実を幾度となく痛感してきた。
――身体の自由を奪われ、己の意思とは関係なくNPCにセクハラを行い、ヒロインたちを手に入れるために権力や財力に加え、卑怯な策まで幾つも練らされた。彼女たちを無理やり自分のモノにする直前で踏みとどまることができたものの、何度も自分の倫理観に反する最低な行動に突入しそうになったんだ。
(アイリには『綾子さん』の人格があったから、俺もシステム側の『エンリー』に完全に呑み込まれる前に我に返ることができた。だが、ビアンカの時はどうだったか?)
ビアンカやセリース、ジアにまで自我があったこと自体が驚きだったが、それだけで彼女たちのイベントが全て書き換えられたと考えるには、まだ説明がつかない。
ビアンカのあの『初夜イベント』なんて、初めのうちはゲームのイベントそのまんまの展開で進んでいたのだから。
(イベントが頓挫したのは確か――プリムが部屋にやって来たあたりからだったか?)
本来のゲームのイベントなら、あそこでプリムラが登場するなんて絶対にありえない。あんなシーンの最中に幼女を乱入させるなんて、いくらエロゲのシナリオライターだろうと正気の沙汰じゃない。
(――ってことは、あのプリムの登場は、俺のそこまでの行動が引き起こした結果だったってことか?)
確かに、アイリがドジっ子で、うっかりドアを閉めるのを忘れていたというのもある――いや、あれはわざとやったのかもしれないが……。
(なにより、俺はこの世界で意識が目覚めたあと、幾度となくプリムラとばったり会っていたんだよな……)
もしかしなくとも、俺が交流を持ったNPCたちは自我を芽生えさせ、俺と同様に『プレイヤー的な存在』になりつつあるのかもしれない。
そう考えると、ビアンカたちNPC組の最近の行動を見ても辻褄が合う。
最初の頃、ビアンカやアイリは、俺が彼女たちを呼んだり指示したりしない限り、自発的に行動することはほとんどなかった。しかし最近では、皆それぞれ自分のやりたいことを見つけ、自由に、楽しく過ごせている。
――それは紛れもなく良いことだ。彼女たちに自我がある以上、行動の自由は当然の権利であり、彼女たちがそれを手にしてくれたことは俺にとっても嬉しい誤算だ。
でも、そう良い話ばかりではないな。
彼女たちが『プレイヤー的な存在』に成りつつあるとはいえ、完全にプレイヤーになったわけではない。
ジアのイベントのときだって、俺があわや一歩対応を間違えていれば、彼女たちは永遠にその自由を失うことになっていたかもしれないのだ。
しかし、俺はそんな儚い『自由』を手に入れたばかりの彼女たち全員に、恋をしてしまった。いくら身近に魅力的な女性が四人もいたとはいえ、我ながら節操がなさすぎる。
唯一の言い訳をさせてもらうなら、これは決して性欲だけの話ではないということだ。
彼女たちの容姿の魅力を否定するつもりは毛頭ないが、それはあくまでゲームのキャラとして『デザインされたもの』であり、現実の人間が『生まれ持った魅力』とは些か違う気がする。俺が惹かれたのは、そこじゃない。
彼女たちは皆優しくて、聞き分けがよく、打算や下心抜きで俺をいつも支えてくれることが何倍も魅力的だった。
(まあ、そこで友人関係に落ち着いてもよかったのだろうが――男女の友情を否定するつもりはなくても、俺は『恋』とはこういう感情なのだと思う。彼女たちに友情を感じていないわけではないが、それ以上に恋心が勝ってしまうのは否定できない事実だ)
それに、これは自惚れではないと思いたいが、彼女たちもそれなりに俺に惹かれている気がしないでもない。
しかし、仮に相思相愛であったとしても、今のこんな関係が正しいとはどうしても思えない。
それは単に『複数の女性と同時に恋人関係になること』への倫理的な抵抗感だけのせいではない。彼女たちがゲームシステムの影響で、今のところ、物理的にも立場の面でも俺に縛られている状態だからだ。
ただでさえ複数の女性と同時に付き合う経験など、当たり前だが俺には全くないというのに。彼女たちが真の自由を得ていない現状では、どう関係を築いていくべきか、その塩梅がさらに難しい。
(彼女たちに気持ちを伝えたのは、本当に良かったのだろうか? これじゃあ俺は、ゲームの悪役エンリーとは違うやり方で……彼女たちを『権力』という鋼鉄の鳥籠ではなく、『依存』という黄金の鳥籠に閉じ込めているだけじゃないのか?)
これは、できるだけ早くまた彼女たちともう一度話をつけるべきだな。――具体的に何を言えばいいのかは、まだ思いつかないが……。
(会いたいな……。早く朝、来ないかな……)
――突然、夜風が強く吹き込み、窓のカーテンがバタバタと音を立てて激しく揺れた。
この世界の気候はそう複雑ではない。綾子さんたちの制作チームには気象に詳しい人間が誰もいなかったため、彼らは『地中海性気候』らしきものを適当にでっち上げた。一年の殆どが快適な気温と時々の雨で過ごせ、冬には雪が降るものの、そこまで気温は下がらない。
それでいて、今の季節は秋。俺がこんな夜に、窓を開けっぱなしにして寝るなんて考えられない。――セリースのためにも、俺はここで風邪を引くわけにはいかないのだから。
(もしかして、突風で窓が押し開けられた、とか? それとも、これは何かのイベン……ト……? ……っ!!!)
上半身を少しだけ起こして窓の様子を確認すると、満天の星空を背景にして、一人の女性の妖艶なシルエットが目に飛び込んできた。
アイリたちは勿論のこと、彼女が亜人っ子メイドたちのどちらでもないことを、身体の輪郭だけで瞬時に判断できてしまった俺は……なんと変質者的な才能を持っているのだろうか……。
(いや、今は自分の性質を分析している場合じゃないっ! こいつは明らかに侵入者だ。早く誰なのか確認しないとっ!)
あいにく俺は『夜目』なんて便利なスキルは持っていないし、この世界の照明といえば勿論ロウソクかオイルランプのどちか、だ。――火をつけている暇なんてない。
だが幸いなことに、メニューを発動すれば、暗闇など関係なく侵入者の正体を確認できるはずだ。
メニュー画面に切り替えると、俺の視界の左側には、滑稽な寝間着に包まれた『エンリー』の立ち絵が現れ……そして右側には、黒髪黒目、スタイル抜群の白い肌を持った女性の立ち絵が現れた。
艶やかに流れる長い黒髪は腰まで届き、その数房は細やかな三つ編みに結われ、気品ある小さなリボンで留められている。切れ長の目は少し吊り目がちだが、その微笑みはひどく魅惑的で、どこか寂しさをも感じさせる。
綾子さんの天才的なデザインのお陰で、彼女は本物のアジアンビューティーとも言える美女に仕上がっている。……瞳孔と虹彩の区別がつかない、その底知れぬ漆黒の瞳さえなければ。
ステータス画面を確認するまでもない。こいつが『メーヴェ』であることは一目で分かった。魔王軍の先兵にして六大将の一人――そして、ゲームのヒロインの一人でもある魔族。サキュバスのメーヴェだ。
「……なんてこった……!」
思わずメニューを閉じると、自然と言葉が喉の奥から零れ落ちていた。
戦闘になることも覚悟したが、こいつが侵入者となると、俺とアイリたちが束になってかかったところで、万に一つ、いや億に一つも勝ち目などない。
本編でメーヴェを『屈服』させた勇者くんは、あの時点ですでにレベルカンストに近い状態だったのでな。今の俺の攻撃なんざ、メーヴェからすれば蚊の体当たりに等しい。
出方を窺っていると、メーヴェは無言で俺のいるベッドへと近づいてきた。
――つい一瞬前に彼女の立ち絵を見たからなのか、それともイベントの影響なのか、夜目が利かないはずの俺にも、今は彼女の姿がはっきりと視認できる。
身を包んでいるマーメイドドレスは、彼女のグラマラスな身体の線を綺麗に際立たせており、裾の三割ほどが半透明になっているせいで、暗い部屋の中でも彼女のしなやかな足が艶めかしく透けて見える。
(いつ見ても、本当に絶世の美女だ……。――いや、待てっ! どうして彼女がここにいるんだ? エンリーとメーヴェには接点なんてなかったはず……っ!! ――また俺の行動が原因なのかっ!?)
最終的に、俺はこれを『夢』だと判断した。
長い時間、眠れずに考え事をしてきたし、疲れのせいで思考が段々麻痺してきているのも何よりの証拠だ。
(まあ、本物のメーヴェがここにいるわけないしな……。これは紛れもなく『そういう夢』だけど、少しだけ甘えても罰は当たらないだろう……)
俺がそう都合よく解釈した矢先、ベッドサイドまでにじり寄っていたメーヴェがドレスの背中のホックを外したのか、オフショルダーの上半身の生地がふわりと緩んだ。かと思うと、次の瞬間、彼女のドレスが身体のラインに沿ってするすると滑り落ちた。
あらわになったメーヴェの下着姿は、言葉にするのも恥ずかしいほど布の面積が足りていなかった。
しかも、中世をベースに作られたこの世界においてはどう見てもオーバーテクノロジーと言える、現代技術顔負けの細密な刺繍がふんだんにあしらわれている。
俺がそんなくだらない技術理論で必死に己の気を紛らわそうと奮闘している中、メーヴェは這うように俺のベッドへと登ってきて、いつの間にか俺の上に跨っていた。
無理に抵抗しようにも、彼女はその華奢な見た目とは裏腹に、アイリ以上の怪力を秘めている。
――だが、俺には初っ端から抗う意思などなかった。
気づけば俺の腕はメーヴェのたおやかな背中に回り、甘美な温もりと柔らかさに思考を支配されながら、強く彼女を胸に抱きしめていた。




