本音
「アイリおねえちゃん、ビアンカおねえちゃん!」
「プリムラお嬢様、走ってはいけませんわ! ――私とアイリさまは大丈夫ですから、あちらで少し待っていてくださいね?」
「……わかったのです」
しょんぼりと肩を落とす小さなお嬢様を見ていると些か心苦しいのですけれど、これほど酷い傷を間近で見せるわけにはまいりません。
(速やかにアイリさまの傷を……)
貫かれた自分の右肩も悲鳴を上げ、一刻も早く治療をと訴えかけてくるのですが、アイリさまの傷口からは今もなお出血が続いております。
霞みゆく視界を意志の力で押さえ込み、私はアイリさまの横に膝をついて、体内の魔力を練り上げました。
(なんだか、普段の感覚とは随分と違う気がしますけれど……)
全身を駆け巡る魔力の奔流に、既に限界を迎えそうな頭が軽い酩酊感に見舞われます。そして、狭くなった視界の端――自らの腕に浮かび上がった緑色の紋様が、いつもよりずっと鮮やかに輝いていることに気が付きました。
(プリムラお嬢様をお癒やしする時には、決してこれほど上手く魔力が集まってはくれないのに……どうしてかしら?)
―――どのくらい意識を失っていたのでしょうか。
気がつくと私は、とても心地のよい、ふかふかとしたものに身を預けて眠っていたようです。微かにですが、その大きな柔らかい『何か』からは、トクトクと穏やかな命の鼓動が聞こえてきます。
ゆっくりと目を開けると、最初に視界に入ったのは、プリムラお嬢様の心配に満ちたつぶらな瞳でした。
「プリムラ……お嬢様……」
「ビアンカおねえちゃん、だいじょうぶますか?」
「――はい、もうなんともありませんわ。ご心配をおかけして、申し訳ありません」
「――もう少し、休んでいてくださいっす」
私が心地よい『何か』から上半身を起こそうとすると、頭のすぐ上からアイリさまの声が降ってきました。
「――あ、アイリさまっ!?」
「多分、魔力切れだと思うんっすが、念のためあと少しだけ……。プリムラお嬢様も立ちっぱなしで疲れたでしょうから、ここにおいでっす」
「アイリおねえちゃんはとてもつよいのに、ここはすごくやわらかいです」
「エンリーには……内緒っすよ?」
「にーにーさまは、しらないます?」
「――そっ……それは……忘れているかもしれないっす……」
「ふふっ! ――あははは!」
「ビアンカおねえちゃん?」
「こほんっ……なんでもありませんわ。さあプリムラお嬢様、私たちでアイリさまの極上の柔らかさを心ゆくまで堪能いたしましょう」
「あい!」
しばらく木陰で休んで、身体の感覚が少しばかり戻った後。
私たちはプリムラお嬢様をお部屋までお送りしてから、改めてキッチンへと向かい、適当に軽食をいただきました。
このような振る舞いは淑女としてはしたない気もいたしますけれど、今の私の身分は一応『使用人』であり、もはや伯爵令嬢ではないのですから。
自嘲気味に己の立場を振り返っていると、普段は甘党であるはずのアイリさまが、クッキーではなくフライドポテトとキュウリの漬物をつまんで食べているのが目に入り、私はこてんと小首を傾げました。
「なんっすか?」
「それ、美味しいのですか? 殿方が好むものだとばかりに、いつもエンリーさまのために用意されている品かと思っておりましたわ」
「なんか、運動した後は『これ』って感じなんっすよ」
「では、私も一つ……」
テーブルの中央に置かれたお皿から、小指ほどの太さに切り分けられたフライドポテトをいただこうと手を伸ばしたとき――私は、自分の右肩が完全に治っていることに気が付きました。
「大変だったっすよ。幸い、ビアンカが気を失う寸前まで回復魔法を発動し続けてくれてたっすから、その手のひらをビアンカ自身に向けてやったら、上手く癒やすことができたっす」
「あら、そんなことが……いえ、お待ちになって! そもそも、アイリさまがあんな無茶な真似をなさらなければ、こんな事態には及びませんでしたのに!」
「それは……」
「ご自害なさりたいなら、どうぞご自由に。ですが、自分のそんな身勝手な振る舞いに私、ましてやプリムラお嬢様を巻き込まないでくださいまし!」
「……ごめんっす」
「まったくっ! ――さあ、白状なさいまし。ご主人様と何かありましたの?」
「なにもないっす。……あいつは、なにも悪くない――こともないっすが、これはあたし自身の問題っす」
「今、何かおっしゃいました? よく聞き取れませんでしたわ! ――ご主人様との間に何があったのかと問いましたのよ、私は」
「……あいつに、告白された後……あたし、『できることならここから逃げたい』って言っちゃったっす」
「貴女、想像していた以上のおバカさんでしたのね!? あの能天気なエルフでさえ、そう簡単に心に秘めた悩みを口走ったりいたしませんわよ!」
「もう、あいつに合わせる顔がないっす……」
「――見損ないましたわ! この私が同志と認めた貴女が、こんな惨めな弱虫だっただなんてっ!」
「申し訳ありません……今後はもう、迷惑は掛けないっす――」
「――ああもうっ! 迷惑ですわ! 最大の迷惑ですわ! ――だから、きちんと責任をお取りなさいな!」
「えっ?」
「私たちやご主人様に必要なのは、強くて気高いアイリ様ですわ。意地でもそう振る舞いなさいな! ……いいこと? 関係が気まずくなったから『はい、終わり!』だなんて、絶対に認めませんわよ。今後、悩み事があるなら私やセリース様、ジア様にでも相談なさい。勇者パーティー――ではなくて、『悪役パーティー』……? ええい、とにかく! 私たちにはアイリさまが必要不可欠なのですから、勝手に抜けることなど断じて許しませんわ!」
「……う、うん。わかったっす」
熱くなってしまった己のはしたなさに遅ればせながら気が付き、私は『プイっ』と顔を背けました。けれど、アイリさまの復活は案外早いものでした。
「――そんなこと言って、あんただってここに残るために、ゴシュジンと夜を共にするつもりはないっすよね?」
「どうしてそれをっ……?」
「えっ? 図星だったんっすか? ――や~……最初にここに来た時は明らかに見栄を張っていたんっすけど、いざ意中の相手となると『夜伽』を迫るのは流石に恥ずかしいっすか?」
「そうですわ」
「――やけに素直っすね……からかいづらいっす」
(今のは、聞かなかったことにして差し上げますわ。私が一体どれほど貴女を観察してきたと思っているのかしら? 貴女の強がりなどお見通しです。――それに、この想いばかりは茶化されることを許せませんから)
「正直に申し上げますと、ご主人様がなぜ、私やアイリさま、ジア様との男女の営みをあそこまで頑なに拒まれるのか、まったく分かりませんの。貴女の抱えるお悩みと同様、貴女たちがかつて生きていた世界の倫理観は、私にはひどく馴染みのない概念ですけれど――もし他に方法が見つからないというのなら、エンリーさまを傷つけるよりお父様の命令に従うしかありませんわ」
「やっぱりそうだったんっすか! ――でも、別にそこまで気にすることじゃないと思うっすよ」
「どういうことかしら?」
「無理やりってわけでもないっすし。なにより、あんただって『親に勝手に人生を決められないための解決策』として、ただ義務でゴシュジンと閨を共にしたいわけじゃないっすよね?」
「勿論ですわ。セリース様にできて、恋愛経験ゼロのアイリさまにもできて、いつかあのドラゴン娘にまで先を越されるかもしれないと考えただけで、悔しくてたまりませんもの! ――しかし、エンリーさまにとって私と、その……ソレをするのは、ひどく苦痛なのではありませんこと?」
「ヘーキだと思うっす。男なんて、二日も経てば『犬に噛まれた』程度にしか感じないっすよ。ビアンカさんはそれで幸せになれるなら、遠慮なくいっちゃうべきっす!」
「貴女ね……そんな簡単に、恋敵を応援してしまってよろしいのかしら?」
「うぐっ!……」
(これは、完全に『そこまで考えていませんでした』というお顔ですね……)
「はぁ……私も、貴女に躍起になってご主人様のベッドに乗り込まれるのは、なんだか面白くありませんわ。セリース様はもう仕方ありませんし、ジア様はまだ問題ありませんけれど、貴女なら何をしでかすか予想もつきませんもの」
「あ、あたしは別に……身体の関係を求めているわけじゃないっす……」
「はいはい。貴女は乙女ですから、純愛を求めていらっしゃるのでしょう?」
「そうっすよ!」
「それは貴女にとって、やっと心を動かされたお相手から忘れられてもいいと思えるほど、大事な理想かしら? 浮気されたわけでもありませんし、彼の心に入り込んだ他の女性というのも、すでに気を許した仲間ではありませんの」
「そ、そうっすけど……これは『滑り坂』みたいなものっす。一つでも妥協したら、いつか心が折れて、せっかく今まで守ってきたものを後悔することしかできなくなるっす」
「本気で、今のエンリーさまが私たちをいつかないがしろにするような方だとお思いですか?」
「今現在は思わないっす。でも、いつまでも変わらないという保証はどこにもないっすよね?」
「それは、たとえ彼が『アイリさまに忠誠を誓った』としても、同じではありませんこと?」
「そ、そうっすけど……ちがうっす!」
「どこがですの? ――それに、万が一彼がそうなったとしたら、そのときは二人で十年も年下の愛人でも作って、たっぷりと復讐してやりましょう!」
「や……だから、ビアンカさんは逞しすぎるっすよ……」
「では、いざとなれば勇者にでも助けてもらいましょうか」
「それだけは絶対イヤ!」
「――そうですわね、私も嫌ですわ……申し訳ありません」
「ううん。いいっす」




