相談
窓から差す光を青く反射する銀髪のメイドが、俺のベッドに寝転がっている姿を見るのは久しぶりの気がする。
彼女は俺の視線に気付くことなく、黙々と報告書と睨めっこをしてから、それを五つの山のどれかに置き、六つ目の山からまた別の報告書を手に取っていく。
今のアイリにそんな気は全くないと頭では分かっているが、彼女が新しくデザインした側近メイド衣装は背中が大胆に開いており、その嫋やかな肌が魅惑的に視線を引き寄せる。しかも、彼女は書類仕事を毛嫌いしているため、たまに苛立って足をばたつかせるたび、ペチコートの中から伸びる綺麗なラインを描く太腿や脹脛にも目が行ってしまい……どれだけ自分を律しても煩悩が湧き上がる。
(落ち着け、俺! ――今ここで彼女に声を掛けたら、確実にからかわれる……!)
部屋のローテーブルで作業をしていた俺は、深く息を吸って自分の仕事に戻る。――こっちは予算申請書を確認し、そのまま受理するもの、計算を直してから受理するもの、はたまた資金の使途について詳細な説明を求める一筆を添えて差し戻すもの……と、確認の終わった申請書を三つの山に分けていく。
何故、執務室ではなく自室でこんなことをやっているかといえば――今朝、セリースが初めてつわりを患ったのだ。
彼女の妊娠が確定してから多分五、六週間も経って……今まで何もなかったことが奇跡だったのだろう。
彼女が蒼白な顔で執務室にフラフラと入ってきた時、俺はとっさに立ち上がって出迎えようとしたのだが、一歩遅かった。
次の瞬間、彼女の口からアニメでお馴染みの虹色液体――ではなく、普通にグロい胃袋の中身が飛び出してきて、執務室は大惨事と化したのだ。
通りかかったジアにセリースを預け、ついでにビアンカにも彼女の看病を頼んだ。亜人っ子メイドたちは努めて執務室の汚れを綺麗に片付け、換気もしてくれたが、流石に今日はあそこで作業をする気にはなれない。
セリースの書類処理能力をずっとバカにしていたけれど、アイリもそこまで大差はない。――どうやら、頭の出来の問題じゃなかったようだ。彼女たちは心の入り込めない事務仕事をするのが極端に苦手で、アイリがセリースより上手くこなせるのは、単に彼女の方が少し集中力に長けているだけらしい。
ビアンカやジアをセリース付きにしたのは人手として惜しいが、鼻が敏感になったエルフ様曰く『亜人っ子メイドたちは獣くさい』らしく、近寄らせるのも難しい。
因みに、俺も様子を見に行った時に同じ理由で部屋から追い出され、ただならぬ心の傷を負っている。
考えてはならないことが多すぎて、俺にとってはこの書類仕事が、頭を空っぽにして休ませるための一つの習慣と化している。
とはいえ、ここでようやくアイリに相談ができそうだ。
「綾子さん――」
「……」
「綾子さぁん――」
「……」
「アイリってば!」
「うるさいっすよ、ゴシュジン」
「……すまん。――なあ、お前はどう思う?」
「なんのことっすか?」
アイリは書類から視線を外すことなく、無気力に返事をしてくる。
しかも、最後の質問はごもっともだ。――相談したいことがありすぎて、俺自身でも迷っているんだが……。
「――あのエロフのことなら『自業自得』だと思うっす」
「まあ、そうだな……あっ! お前もあいつのことを『エロフ』って呼んでるのか?」
「自分がデザインしたキャラっすからね。――だが、ゴシュジンがセリースたんのことをバカにするのは駄目っす! やったら許さないっすよ」
「バカになんかしないさ。あのままの彼女を好きになったんだから……」
「へ~え……おめでとうっすね。お幸せに~……」
「……お、おう。――じゃなくて、お前のこともな」
「――っんなこと聞きたくないっす!」
「お、俺はっ……!」
「聞きたくないと言ったっす! ――ここがこんなクソみたいな箱庭世界じゃなかったら、あたしとっくに出て行ってたっす。……でも、ここを出たら死より恐ろしいループの現実が待っているだけっす……」
(そうだった……。アイリだけじゃなく、ビアンカもセリースも最初はそんなことを言っていたよな。現実はループし、意識がはっきりしている時も脚本の強制力に動かされるだけ……だけど、俺は……!)
「アイリが聞きたくないのは百も承知だが、これを言えなかったら、俺はこのあと一生後悔すると思う。だから聞いて欲しい――」
「どうせこの身体だけが目当てっすね? ――ジアでもよくないっすか? そんなにIカップがいいっすか?」
「バカ!! そんなわけあるか!? ――少しは俺の話を聞け! 頼むよ……」
「どうせ後で、ビアンカのことも訊くつもりっすよね?」
「……ああ」
「最っ低! ハーレム野郎! エッチ!」
「……ああ。罵倒してかまわんさ……本当のことだからな」
「なんなんっすか、もうっ! あたしがおかしいみたいじゃないっすか……。こうなるなら、元の『エンリー』の方がよかったよぉ……!」
アイリはせっかく分けた報告書の山を乱暴に崩し、ベッドのシーツに顔を埋めて嗚咽を漏らし始めた……。
「それでも、俺は『アイリ』のことを好きになったよ……」
「――知らないっ! ……うぅ……!それ、あたしじゃないっ! ……」
「いいや。それは確実に今の『アイリ』だよ。――俺が好きになったのは『ヒロインのアイリ』じゃなくて、綾子さんが憑依している『今のアイリ』だ。……言いたかったことは、これだけ……」
「……うぅぅ……!!!」
(はい。これで俺も晴れてゲームシステムが満足しそうな、本来のエンリーに匹敵するクズに成り下がった……)
アイリの泣いている姿を見て、心が引き裂かれるような痛みが襲ってくる。だが、ここで声を掛けるのも、触れるのも今の俺には許されていない。
セリースたち他のヒロインなら許容できるかもしれないが、同じ現代の倫理観を持つ『アイリ』に対して、俺は「四股を受け入れろ」と言うに等しい薄情な要求をぶつけたのだ。
(『ハーレムの一員になれ』なんて台詞、女の子なら誰が聞きたがるものか!? ……俺がもっとしっかりしていれば……)
本来なら俺が尻尾を巻いて引き下がるべきなのだろうが、アイリの香りが染みついたこの空間が愛おしくて、部屋を後にすることすらできない。
(元のエンリーはよかったんだろうな……ヒロインたちの気持ちなんて気にせず、次々とハーレム要員を増やして……。いや、彼は誰からも愛されていなかったからそう見えただけだ。だって、アイリがこんなにも苦しんでいるのは、言わずとも……)
数時間にも匹敵するような息苦しい数分が経ち、ようやくアイリの嗚咽が静まった。俺は彼女が口を開くまで、ソファーで背筋を伸ばして黙って待っていた。
「……ビアンカを手放して良いのかどうか――それが訊きたいっすね?」
「ああ」
「あの子のことも好きっすね?」
「うっ! ……ああ……」
「セリースと子供まで作っておいてっすか?」
「……ぐうの音も出ない」
「最低っすね」
「……」
「――でも、好きなら答えは明白だと思うっすよ」
「……手放すべき――っ」
「――頭、大丈夫っすか!? こんなクソエロ世界で、あの子に幸せな結婚生活が待ってると思うんっすか?」
「しかし、ワンチャン(幸せになる可能性)が――っ」
「――あるわけないっすよ! 折角自我が芽生えたのに、あの子にそんな残酷な日常を送らせたいんっすか!? なんとしても引き留めるべきっす!」
「だが、伯爵家に歯向かうことは、男爵にすぎない俺には――っ!」
「――なに『現実』と勘違いしてるんっすか!? ここはどう見てもあのゲームの世界っすよ。ちょっと脚本から逸脱したくらいでお忘れになったんっすか?」
「それはもっと難しいだろ! これが強制イベントなら、なおさら解決法は見えないって分からないか!?」
「あたしに怒鳴っても解決にならないっすよ」
「……悪い」
「一つの解決法は明白だと思うんっすけど」
「……お前もセリースと同じことを言うのか? ――お前なら、俺が何故あの子に手が出せないかくらい分かってくれていると思ったが」
「分かるっすよ。――でもね、『当ゲームに登場する人物は皆18歳以上です』云々はともかく、ここにいるビアンカは確実に大人の女っすよ。目が節穴じゃなかったら、ゴシュジンもそれくらい分かってるっすね?」
「……ああ。でもよ、自我が芽生えたくらいで、彼女は俺に『イヤです』と言えるだろうか?」
「……ごもっともっす」
「自由意志がないなら、それは『合意』とは言えないだろう」
「――なら、セリースたんは?」
「うっ! ……あいつは、生意気すぎて……」
「最低っ!」
「すまん……そうだな、あれは俺のミスだ。複数の女を好きになったことも、そばに置いておきたいことも、すべて俺が悪い」
「まあ、とにかく……もう一つの解決方法っすけど……」
「っ! あるのか!?」
「まだ思いつかないっす」
「おまっ!!」
「あははっ! ――この事態はあたしも想定してないっすよ。シナリオからの乖離はともかく、今まで全てがあたしたち制作チームが想像した設定通りに動いてたんっすけど……ビアンカの父がそこまで外道だったのは、あたしも知らなかったっすよ。あいつのキャラ、あの食堂のイベント一つの為にしか思い描いてなかったんで」
「なら、詰みってわけか……」
「あたしがビアンカちゃんを風呂に連れてって、身綺麗にさせようかってことっすか?」
「……くっ!」
「く?」
「こんなことで、からかわないでくれよ!」
「――あっ!」
「今度はなに!?」
「もしかして、肌を重ねること以外にも一つ、解決方法があるかも」
「もったいぶってないで、さっさと教えろ」
「それはダメっす」
「またプレイヤーうんぬんか!?」
「流石ゴシュジン、分かってるっすね……好き!」
「はいはい……まあ、自分でもなんとか探すつもりだ。最悪の場合、手放すしかないなら、ベッドを共にしても……」
「ガンバっす!」




