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セリースの役割

――セリースが妊娠してしまった。


その報告を受けた時は寝耳に水だった一方、心のどこかで「それは当然の結果だ」とも思った。


俺はまだ、「この世界はエロゲみたいなものだ」と思い込んでいたようだ。そもそもこのファンタジー世界には避妊という概念や手段が存在しないため、俺たちは当然何も対策していなかった。それなのに、元のゲームには『ヒロインが妊娠する』なんてイベントが無かったから、何度行為を繰り返しても大丈夫だろうと、無意識にタカを括(くく)っていたらしい。


ずっと「責任を取るつもりでいた」と言えば聞こえはいいが、そもそも俺とセリースは、まだ恋人にすらなっていない状況だ。

この期に及んで、彼女が俺に対してただならぬ好意を抱いているのだと、既に確信はしている。しかし、彼女の口からまだ「好き」とは言われていないし、むしろ事あるごとに劣等種だと揶揄われるばかりだ。


なにより、俺とセリースは種族も違う。この世界の文化に疎い俺には、それがなんの意味を持つことなのか、未だによく分かっていない。もしかすると、エルフであるセリースにとって、人間(ヒューマン)との間の子供を授かるということは、とんでもなく忌まわしいことなんじゃないかと、思わなくもない。


結果の伴わない都合のいい関係でいられると、ゲーム感覚で甘く思い込んでいた自分を悔やんでも、後の祭りだ。今は、セリースや生まれてくる子供のために、俺が何ができるのかを考えるしかない。


それなのに、当のセリースはまるで何も変わっていないかのように、今もなお俺を誘惑してくる。

子供ができたことを報告しに来た時のセリースは、伏し目がちに可愛らしく顔を赤らめていて、口調もいくらか柔らかかったから、俺としてはかなり驚いたというのに。


だがその後、毎夜ジアが側に寝ているのにも関わらず、セリースとも一緒に寝ることになってしまった。

これはジア本人の提案で、胎児にとっては両親の『魔力』を近くで感じることがとても大事なのだという。


俺にはその『魔力』というものが感覚としては分からないが、彼女たちにとっては第六感のような、ごく自然に感じ取れるものらしい。もっとも、俺もメニュー画面を開けば、魔力を数値として確認することはできるので、少なくとも架空のものではないとだけは言える。


問題は、なぜセリースがこんなに飄々(ひょうひょう)としていられるのか、だ。


妊娠が何なのか分からないくらいバカじゃないはずだ。――しかし、既に覚悟ができているのだとしたら相当恐ろしい策士ということになるが、そうも見えない。


(もしかして……俺のことをそこまで信頼しているのか……?)


でも、彼女が子供を授かったことを受け入れたのだとしても、出産にはそれなりのリスクが伴うはずだ。

前世の知識では、中世において最も危険だったのは細菌と不衛生な環境だ。それが、中世ヨーロッパをモデルにしたこの世界でどう影響するのか、正直分からない。


微生物が存在するのかどうかはさておき、病気という概念は確かに存在しているし、それにセリースにとってはこの子が初産(ういざん)になる。――そもそも、彼女は俺と関わるまで確実に処女だったのだ。


(とりあえず、初産は通常より何倍も危険が高いはずだから、ビアンカ以外にも誰か、回復魔法を使えるやつを探さないと――いや、ポーションを買い溜めしておくか……?)


俺は眠れず、天井を見上げながら考えを巡らせていた。しかし、ふと隣で寝ているセリースのお腹に目をやって、息を呑む。

――彼女の臍(へそ)の辺りで、蛍火のような小さな光たちが幻想的な舞を繰り広げており、さらには幼い子供たちの笑い声すら聞こえてくる気がした。


(またか、この錯覚は……もしかして……精霊、なのか……?)


目を瞬(しばたか)せると、光たちは淡くなってスッと消えた。


(疲れてるんだ。少しでも眠らないと……)


俺は会社勤め時代に培ったスキルを発動し、無理にでも一時間ほど目を閉じることにした。


数日はこのまま過ぎていき、気がつくといつの間にか元の日常に戻っていた。

強いて言えば、俺はかなり眠いんだが、それは決して眠っているドラゴン娘の隣でセリースの誘惑に毎回負けているからではなく、毎夜セリースとそのお腹の子供のことを真剣に考えているからだ。――はい。


そんなある日、セリースと一緒に、アイリから持たされたクッキーとハーブティーを嗜(たしな)んでいると、ふと彼女の視線に気づき、首を傾(かし)げて次の言葉を待った。


しかし、セリースは何も言わず、ただすりすりと俺に体を寄せ始めた。


「あのさ、セリース。お腹の子に影響はないとはいえ、そろそろ所構わず俺に色目を使うのはやめにしないか?」

「失礼ね! アタシはいつも面白がってっ……じゃなかった、真摯に接しているのに、あんたが自分の劣情を棚に上げてアタシに非をなすり付けたいわけ?」

「……はいはい。ヒューマンのくせに生意気言って悪いね。だから高潔なエルフ様が寛大な心を見せて、俺に配慮し、色っぽい仕草を控えめに抑えてくれないかな?」

「はあ……しょうがない種族ね……」


彼女のセリフは冗談に聞こえなくもないが、その真面目な表情も相まって、たぶん本気でそう思っているのだろう。


「して、アタシはどうすればエンリーの劣情をくすぐることなく、一緒の時間を愉(たの)しめるというの?」

「……え?」

「なによ?! あんた、愉しいことって言ったら『アレ』しか思いつかないわけ?」

「いやいやいや。そんなことないぞ……じゃあ、えーっと……キスは、駄目か?」

「何なの、『キス』って?」

「え? ――接吻(せっぷん)のことだけど、知らない?」

「セップン?」

「お互いの唇を合わせる愛情表現の習慣なんだけど……エルフの間にはないのか?」

「うん」

「そう、か……。じゃあ、俺からしてみるよ。……嫌だったら分かりやすく抵抗してくれ。すぐにやめるから……」


セリースの返事を待たないまま、俺は彼女の華奢(きゃしゃ)な体をそっと抱き寄せる。その美しいルビーのような瞳と視線を絡ませながら、ゆっくりと彼女の顔に自分の顔を近づけた。

お互いの息遣いを感じるくらいまで近づいても、彼女が目を閉じることはなかった。それに少しびっくりはしたが、俺は意を決して、その柔らかい唇に自分の唇を当て、そっと啄(ついば)むようにキスをした。


(セリースが動かないからやりやすいが、これだと少し味気ない……。なんか、セクハラ上司みたいな考え方をしていないか、俺は……?)


少し身体を離して待つと、セリースは不満そうに口を開いた。


「なにが愉しいか、さっぱりなんだけど。人間(ヒューマン)は本当にこうやるの? それともエンリーだけが下手なの?」

「違う文化だから遠慮してたのに、上等だ! これから本番だから言っとくけど、舌を入れるぞ。少しは不愉快かもしれないが、しばらく我慢しろ」

「えっ? ――や、まっ……!」


日頃の揶揄のお仕返しとばかりに、慌てる生意気なエルフさまの軽い抵抗をそっちのけで、再びセリースと唇を重ねる。

ゆっくりと口を動かして舌を入れるだけの隙を作り、彼女が反応する前に口内へと侵入した。

言うのは変だが、彼女と言葉でうまく想いを伝え合えないのとは裏腹に、身体でコミュニケーションをとる方がよっぽど容易い。

それに、これはもう一つ、この世界の不思議な特徴だ。みんなの見た目は今までどおりゲームのキャラデザそっくりなのに、身体に触れると確かな肉感があり、匂いも味もある。


(――いや、『味わった』というか、少しだけ舌で彼女に触れたことがあってね……その、言い表すなら『チーズケーキ』みたいな、淡い風味を感じたんだが……)


そして今、彼女の口の中でおずおずと舌を動かすと、期待していた通りの甘い味が感覚を襲ってくる。

セリースの抵抗が嘘のように消え去ったので、勇気を出して彼女の真珠のような歯を舌でそっとなぞった。

そこでようやく彼女も応え、俺の口の中に自分の舌を侵入させてきた。俺はそれと同時に、口の奥で彼女の本当の『味』を感じ始める。


ミルクのような甘さの中に、ちょっぴり苦味が混じって独特な風味を作り出している。コーヒーを嗜(たしな)んでいる身としてはこのくらいの苦味はどうってことないが、あえて言い表すなら『コーヒー』よりも『アーモンド』の方が近いと思う。

今の時代のアーモンドしか知らない人なら、たとえとしていまひとつピンとこないかもしれないから、ここはアーモンドエッセンスの入ったクッキーを想像してほしい。


――もっとも、本来のアーモンドは毒を含んだ種だったから、ある意味セリースにぴったりの味だ。


二人して段々熱を入れてお互いを味わい合い、頭が働かなくなる寸前で、すぐ近くから唐突に響いてきたわざとらしい咳払いに我に返った。

目を向けると、俺たちのいるソファーの前に、いつの間にか執務室に入ってきたビアンカが仁王立ちしていた。


(ヤバい、またビアンカを泣かせてしまう!)


そう思った矢先、ビアンカは悲しむことも怒ることもなく、ただ呆れた表情で俺たちを眺めていた。

どうやら彼女たち、ヒロイン間で何か交流があって折り合いがついたようで、最近はかなり仲良くなったらしい。それでも、俺にだけそんな呆れ顔を向けるのはやめてもらいたい。


抱き合っていたセリースと距離を取り、ビアンカに向き直る。そんな中、セリースはどさくさに紛れて口元を拭き、何もなかったかのように口を開いた。


「あんた、ビアンカに不公平じゃない? 夜の営みがムリでも、このキスとやらなら彼女ともできるじゃん?」

「えっ……? お、おう……」

「ご主人様、無理をなさらなくても私(わたくし)はっ……」

「いや。無理なんかじゃない。ビアンカも、俺のこと嫌いじゃなければ……」


(俺は何を言ってるんだろう……。セリースめ、謀(はか)ったな!? ……『キス』を知らないなんて絶対嘘だったじゃないか……)


まあ、ビアンカは見た目が幼いから今まで距離を置いていたが、彼女もヒロインである前に一人の女の子だ。俺の見た目もセリースやアイリのおかげでかなり改善したし、これなら彼女を不快にさせることもないはずだ。

――ビアンカも望むなら、キスくらいしても大丈夫だろ。

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