人生は繰り返すもの――ではない?
ビアンカ・アーカイドの視点です。
私の名前はビアンカ、ビアンカ・アーカイド。ビラール帝国歴一六〇〇年に名門アーカイド伯爵家の次女として生を享けました。
私にとっての人生は本を読み返すような、あちらこちら変わった事が在りましても、基本は何十回も、何万回も同じ出来事の繰り返しみたいなものです。
たとえば、十五歳になり、社交界デビューした時から頻繁に起こりだす、誰かの陰謀かのような粗相にも、いい加減飽き飽きしておりますの。そんな頃、良くして貰ってるメーゼン家の御令嬢、パミラ様にいつも『この出来事も何回目で在りませんこと?』と声を掛けたくて仕方ありません。結局そんなことをしなくて何時も我慢しますこと。
だって、誰にだって判るようなことを言うのは子供のすることですし、私に期待されてるのはアーカイド家の令嬢として相応しい、品のある振舞い方であります。
そして、そのお粗相が故に私には十八歳になっても縁談が入らなくて、困ったことに背後で陰口を言われる始末。
お父様方の曾お祖母さまの遺伝子を強く受け継いだお陰なのか、私十八歳なのにとても愛らしい、幼い容姿をしています。その曾お祖母さまの絵にまるでそっくりですが、私の瞳はクリソベリルみたいな、お母さま譲りと言われる、淡い緑色をしています。
髪は曽お祖母さまと同じプラチナブロンド。けれど、絵の中の彼女があれほど凝った髪型をしていたのに、私は何時も髪を下ろしただけのシンプルな姿
これと言って不満があるわけではありません。……絹糸のような光沢が、日差しの中で淡い緑に透ける瞬間は、自分でも神秘的だとは思いますし。
――ただ、どうしても。他の髪型を試そうという発想に至らなかったことが、今更ながら不思議でなりません。
もっとも、この髪型なら男女の営みの妨げにもならず、便利だとは認めますが。……どうせ私の人生に、髪型を輝かせるような場面なんて、一度も訪れることはないです。
由緒正しいお嬢様である私は房事の機微にまで通じている理由。それは勿論、己の人生を幾度となく、絵本のように読み返してきたからに他なりません。
その中で、初めて私に肉体関係を迫るのは――今、目の前に佇む殿方。エンリー・ポークナイト男爵家嫡男。
……本当は、この方の『秘密の花園』に咲く一輪の花として、エンリーさまにだけ愛でられて過ごす時間は、他より安寧に満ちたものでした。――これから始まるはずだというのに、どうしてこれほど懐かしく感じてしまうのかしら。
でも。今のエンリーさまの振る舞い、以前知っていたものとは少し違う気がします。
最初から何もかも分かっている私にとって、ディナーの会話に付いて行くことなど造作もないこと。だから考え事をしていても、台詞は勝手に口から溢れていきます。
彼の何が違うのかしら。……言葉? いいえ、台詞の全ては既知のものと同じ。淀みなく会話が進んでいることが何よりの証拠。では行動? ……これも何度も見てきた通り。……もしかして、服装? いいえ、これもいつもと同じ。
整えていない髭や前髪のせいで第一印象は最悪ですが、よく見れば彼のお目は大きく、どこか幼い。鼻や口の形も……好ましいと言えるでしょう。
――そんな彼の深い赤色の瞳に映る、私自身の顔。……なんて幼いのかしら。
アーカイド家の子女として威厳ある振る舞いをしようという私の努力が、反って社交界で陰口を叩かれる理由になっていたのだと、一瞬で理解しましたわ。
これでは威厳どころか、幼子が背伸びして経験豊かな大人の女性の振りをしているようにしか見えません。
……道理で、魔人族のサキュバスのように『幼い顔をして、男と遊び歩いている』などと噂される始末。
あら。……エンリーさまのどこが違うのか、今分かりました。
――視線ですわ!
以前の彼は私の身体を嘗め回すような卑猥な視線をしていました。けれど今の彼のお目は、どこか私と似ている。……ええ、そうでしょう。彼だって私と同じように、これから先のことを全て知っているのですから。
ですが、今まで見てきた彼の中に、運命を憂うような要素は一度も無かったはず……。
今、彼がメイドのアイリさまに視線を送りました。……一瞬だけ、彼の目が輝いたように見えました。
アイリさま。彼女もまた、彼が束ねた花々の中に居た美女の一人。
……そうですわよね。やっぱり彼も、大人の女性らしい身体をしている女の子がお好みだったのですわ。
……どうしたというのかしら、私は。
今日この日から、地位も名誉も奪われる私は、望まずとも幾度となく彼のお情けを頂くことになる。好みでもない相手の目が誰に向こうが、私にはどうでも良いことのはず。
――だというのに。どうして、彼の目がアイリ様を映す時だけ『生きて』見えるのが、これほどまでに煩わしく感じるのかしら……?
ようやく、あの妙な味のするスープが運ばれてきました。本来ならここで、アイリさまは私の前にお皿を置きながら、『ごめんなさい』と……悲しげに謝罪の言葉を囁くはず。
――ですが、今のアイリさまはそのまま離れ始めて、何も仰いません。
驚きのあまり、淑女らしからぬ不作法を承知で彼女を視線で追えば――体の芯まで凍り付くような、タンザナイトの瞳と視線がぶつかりました。
……気のせいだったのかしら。アイリさまはすぐに目を伏せ、恭しく引き下がっていきます。私は戸惑いながらも、手元のお皿に視線を戻すことしかできませんでした。
皆で神様への感謝を捧げ、静かにスープに匙を入れます。
……普通に、美味ですわ!?
静かに匙を口に運び、スープを嚥下しながら、記憶の頁を紐解きます。
アイリさまは、この場面で必ず謝罪を口にしました。このスープは、いつも粘つくような甘い味がしていましたはず。……何より、完食を目前にしても、意識の混濁など微塵も訪れません。
――このままでは、既知の未来とは違う『何か』が始まってしまう。
私の心の中で、見知らぬ誰かの声が絶え間なく叫び続けています。『何もかも、変えてはなりません!』と。
正気でこれをするのは初めてですが……腹を括るしかありませんわ。鮮明に覚えているあの出来事を、完璧に演じてみせる。それ以外に道は無いのです。
――椅子から立ち上がり、ふらつく足取りでテーブルに両手を突きました。音を立てて倒れる椅子など構いもせず、震える指先をドレスの襟元へと運びます。
演技だと自覚した上での振る舞いは、流石に、その……恥ずかしくて堪りませんわ。頬から耳、項までが熱く焼けるのを感じながら、私はお馴染みの台詞を口にしてみせます。
「……あつい……♡」
伏せた睫毛の隙間から、対面に座るエンリーさまを窺えば、彼は酷く混乱していました。
お父様やお兄様が見せてきた『呆れ』とは違う。それは、本物の狼狽。
「ビアンカ、何をなさいます!?早く座りなさい!」
お母様の制止を無視し、私は奇妙な悪戯心に火を灯しました。彼から目を離さず、ゆっくりと、ドレスのボタンに手をかけます。
――彼は助けを求めるように、私の背後のアイリさまに視線を送る。
(だめですよ、エンリーしゃま……。わたくしだけを、見ていないと……!)
ボタンを外す手を止め、ドレスの生地を掴んで、全力で引き絞る。
――外していなかったボタンが、ぷちぷちと心地よい音を立てて弾け飛ぶ。
無残に引き裂かれる、私のドレスの前身頃。
……そして、無音で崩れ落ちる。私の地位と、尊厳。
「ビアンカ、貴女という子は! ……申し訳ございません、ポークナイト家の皆様。うちの娘が、このような―――」
(あ~あ。やってしまいましたわ……)
エンリーさまの無言の指示だったのでしょうか。アイリさまがいつの間にか私の肩にブランケットを掛け、それを胸の前でぎゅっと握り合わせます。そのまま彼女に促されるまま、私は部屋の外へとエスコートされていきました。
背後からは、聞き飽きたお父様の勘当の台詞や、エンリーさまの弁明が私の耳に届きます。まるで夢の中の出来事のように、遠く、遠く。
――ただ。エンリーさまの声だけが、いつもと違って。
酷く真摯に聴こえました。




