自分だけの地獄
アイリ視点です
この世界に転生してからの最初の記憶は手の痛みや血と汗の嫌な匂いだった。
あの時目を手に向けたら掌がズタズタになっていたことを構いなしにしっかりと剣の柄を握り、丸太に丸太に挟まっていた剣先を引っ張り出し、一歩下がり、また切り込みに転じた。
『何なの?!手が痛い!……何してる、あたし』と思いながらも、身体が勝手に動き続けていた。自分自身に見惚れるほどの洗練された、鋭い動き。
しかし、『こんな状態でまたあの丸太に剣が当たったら手がヤバい』と思った瞬間、横からムキムキの男の手が視界に入り、赤ちゃんの腕をひねるほど簡単にあたしの手を止めた。
この人、脳筋のくせに、こういう時は意外と優しい。自分の娘の実力を金持ち貴族に自慢したくこの場を設けたのに、その娘であるあたしにムリをさせないほどの思いやりもある。
今のあたしはアイリ・ミネレット、滑稽にも自分の前世で作ったゲームの冷遇されしヒロインに転生し元日本人。
前世での最後の思い出は、ずっと好きだった、海外の会社に就職が決まった大学の先輩に告白したこと……。
あの後何があったか、もう思い出せない。先輩を引き留めることに成功したのか?離れていても連絡を取り合うことを約束したのか?……おそらく、違うでしょう。あたしは転生したのなら、あの後はたぶん……。
アイリはあたしの考えた中の一番嫌いなキャラだ。
容姿端麗、才能溢れるな上に努力を惜しまない。何でもできる人なら何でもできて当然って感じ……クソキモチワルイ。
なら、お前にとって神であるあたしはお前の人生をめちゃくちゃにしてあげる!
このイベントでエンリー・ポークナイトに見惚れる、十八歳になる二年後に手籠めにされる。
その時は既に、今かすり傷しかつけないこのぐらいの丸太を難なく両断できるまで成長する。
タンザナイトのような、魂を吸い込まれそうな綺麗な青の瞳。淡い青色を浴びて光を反射する銀色の髪は完璧なボブカットにまとめてある。
脚が長い、フィットな体型に、凛々しい佇まい。
顔がほとんど無表情だけど、アンテナみたいに突き立つくせ毛が、別の生き物のように彼女の感情を代弁する。
ゲームをプレイした人たちは彼女を見てどう思ったんでしょう?
『哀れだなあ』と思ったひとも少なくはなかったはず、だけどほとんどの人たちはたぶん彼女を見下ろして優越感を覚えたに違い無い。
こんなに恵まれていても、アイリはなにもなさず、成り金貴族の性奴隷になり下がるしかなかった。
そんなアイリに、朴念仁だけど優しい父親がいるには一つ理由がある。
ミネレット卿はあたしの前世の父親が参考になった人物。
前世のあたしは高校を始めたころ同人がすごく売れて、漫画の雑誌からシリーズの契約が入った。
何とか両親を説得してサインしてもらったのですが、始まったのは徹夜絵描きの生き地獄。
最後に、締め切りが間に合いそうに無い徹夜明けにお父さんが部屋に乱入し、床に散らばっていた原稿を集めて、炉で燃やした。
最初はショックでなにもできずに立ち尽くしていたんだが、しばらくしたら醜く暴れ出した。泣いたり、叫んだり、物を壊したり、危うくご近所さまに警察を呼ばれるところだった。
最後に泣きつかれて、寝落ちました。
おかげで体を壊さずに済んだんだが、そのあと漫画の仕事はできなくなった。漫画の契約もだけど、同人を描くのも億劫になった。
家族は何時も喧嘩ばかりで、遂に両親は離婚した。
お父さん、あたしの葬儀に来てたのかな……?
二十代の失恋で命を捨てた、親不孝のバカ娘の葬儀に来るわけ無いでしょうし……もう会えないから、良いか……。
「がはは!どうだ、ポークナイト卿?うちのアイリは中々でしょう?」
肩で息をしているあたしの身体を嘗め回す視線で見続ける将来の主……。イヤだな……。キリスト教の地獄が本当に存在するなら、これのことでしょう。あたしはこの中にいるのに、意識があるのに、身体が勝手にこの横暴な悪人にペコペコしている。
そして、この地獄を作りし邪神は紛れもなく前世のあたしだ。これは皮肉以外になにものでもない。
そのあと三年がたったけど、あたしの意識が暗闇に閉ざされていた。気づいたらエンリ―の部屋の扉の前にたっていた。これは――あのイベントですね……。
行きたくないが身体がかってに扉を開ける。そして台本通りアイリは純潔を散らされ、ごみのようにエンリ―の部屋から全裸のまま追い出される。
それから次々とイベントが起こり、勇者と待機するシーンまでシナリオが進み、アイリはエンリ―を守りながらやられた。
これで終わりとおもいきゃ、また十五歳の見学イベントに巻き戻る。
それから何十回、何百回、何万回同じシナリオが飽きるまで繰り返される。時に勇者パーティーに殺され、時に勇者ハーレムの末に加わり、アイリは不幸の人生を繰り返すしかない。
アイリの中のあたし、すべてを知っても、すべてを覚えていても、なにもできないままアイリといっしょに苦しむしかなかった。
そして、数ヵ月前。何週目なんて分かりもしない『初夜』イベントの時、あたしは与えてもらった際どいメイド服を着けたあと、エンリ―の部屋を出ようとした時、違和感を覚えた。
今更なにも感じない強姦イベントだったはずなのに、温かさを感じていた。性行為に起きる昂りのことではなく、なにか人として扱われるつかめないあの感情……。遅ればせながら、いままで一度も部屋の中で着替える時間を与えて貰えなかったことに気付き、扉の柄に手をかけた途端視界が暗転した。
アイリとして生まれ変わった時から、あたしはイベントの時以外は暗闇の中に居て、世界を認識することができない。そんな時間を普段眠って過ごすことにしていたんですが今回は眠ることができなかった。
さっきのは何だったんでしょう?バグか、それとも……?
まあ、どうせあたしは何回この地獄を繰り返し、最後に頭までおかしくなったに違いない。
たぶん、あたしは思い出せないだけで、実はこんなシナリオも書いたのでしょうし……。
でも、気になって、気になって仕方がない。次のイベントは何だったっけ?――あ!中庭のあれ……。
エンリ―の指示でアイリは他のメイドにいびられ、真冬の日に中庭へ洗濯をしに送り出される。アイリの手は長年剣を握り続けたせいで剣ダコまみれなはずだが、設定上彼女は綺麗な細長な指の持ち主。それでいて、長年鍛錬したおかげで痛みにもつよくて、傷ついた手の使い方にも長けている。
凍り付く洗濯水の中、長時間洗濯をしても平気。さらに、出血し、水や洗濯ものを汚さないことにも気を配り、この任務を容易に成功させる。
そこで、善人ズラをしたエンリ―が現れ、手の怪我の手当のお代としてまた身体の関係を迫られる。
そして、ほら――柱の陰にヘンリーが居る。やっぱり勘違いだった。またシナリオ通りの展開になるに違いない。
「アイリ、もう良い。寒いでしょう?部屋に戻って」
(え……!?)
私の書いた台本に、そんな台詞はない。
寒さに震え、指先から血を流す私を見下ろして、その豚のような中ボス――エンリー・ポークナイトは、困ったように眉を下げていた。
「……もうひと頑張りっす」
(ヤバい、素で答えちまった――!)
「いや、そんな手で無理だろ。見せてみろ」
(気づいてない?)
しかも、命令されたのに、身体が勝手に立ち上がろうとしない……。自由に動ける!
なら、できるだけこのキモイデブに触れたくない。
「手、見せて」
「は、ひゃい!」
「『ひゃい』?」
「ご、ごめんっす。でも、本当に大丈夫っす」
「……お前、アイリじゃないだろ。誰だ?!」
背筋に冷や汗が流れる。設定上ヘンリーのようなキャラがアイリに敵うはずじゃないけど、シナリオから逸脱したこのイベントでは設定が通用するでしょうか?
でも、もういい。数万回繰り返したこの地獄が、これ以上悪くなることなんてない。
「……あ、怪しいもんじゃないっすよ。なぜか知らないけど、アイリに転生(?)しちゃった、〇〇〇綾子っす」
「転生……?」
「え?ええ……」
「えっと……綾子さんって、日本の方?」
「そうっす。えっと、ご主人サマは?」
「エンリ―でいい。俺はなにがなんだか分からないよ」
「ご主人サマは転生者じゃないっすか?」
「エンリ―だ。分からんといったろ。死んだ覚えがないし……一つだけ知ってるのは、このゲームをプレイしたことがある」
「へえ~!?こんなゲームをプレイしたんだ~。ご主人サマはスケベだね~」
「そ、それは……ズルいぞ!綾子さんもプレイしたんだろ?」
「あたしはプレイしてないっすよ」
「いや、絶対プレイしたじゃん。さっき『ゲーム』って言ったし」
「あたしはこの世界はゲームだと知ってるのはどうしてだと思うんすか?」
「プレイしたけど、認めたくないだけだろうが。もう、これからだれが何のゲームをプレイしたかで弄り合うのは無しにしとこう」
「その前に、感想は?」
「なんのことだ?」
「大好きなゲームのヒロインと、あんなことやこんなことができたんすよ? 役得っすよね?」
「おまっ!あの時から意識が……?!」
(ヤバっ!揶揄うつもりでいっちゃいけないことまで口走った!あたしのバカ!)
「ま、まあ……あたしは気持ち悪かったっす……」
(顔、まだ設定通り無表情っすよね?動揺してることがバレてないっすよね?)
「ほんっとうに申し訳ありませんでした!!」
「え!?土下座。待て、待て!止めて……。あれは……そう、ゲーム!ゲームの台本だから。ええ!」
「……俺は、なんてことを……」
「まあ、まあ。それで、感想は?」
「ほっといてくれ!」
(揶揄ってみたんすけど、危険なそんざいではなさそうだね……あたしは口を滑らせたことにも気づかず、自分でも前から意識があったことを認めてるし……)
「またまた~。ゲームをプレイしたってことは少なくない興味があったんっすよね、こういうの?」
「ゲームならさておき、アイリの中身が人間だなんて誰が思うんだよ!?」
「中身どころか、あたし『アイリ』そのものだと言ったら?」
「いや、さっき『〇〇〇綾子』だと名乗っただろ」




