↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

23/53

長い夜

暫くの間、俺たちは無言でホットココアを啜っていた。安宿特有の薄っぺらい壁越しに、隣の部屋から『ベッドの軋む音』や『怪しげな溜息(?)』が時折聞こえてくるせいで、室内には居心地の悪い沈黙が漂っている。

横目でジアの様子を窺うと、どうやら生まれて初めてのホットココアをかなり気に入ったようで、両手でカップを包み込みながらちびちびと大事そうに飲んでいた。


やがて、マグカップの中身が半分ほどになったところで。ジアはそれをベッドサイドの安っぽいナイトスタンドにコトリと置き、俯きながらベッドの縁に腰を下ろして、チラチラと意味深に俺の方を見てきた。


(なんだ? ……あっ! 着替えたいのか。――まあ、ビキニアーマーとはいえ金属製だ。あんな冷たい鉄板を身に付けたままベッドに入るわけないよな……)


俺はジアが口を開く前に壁の方を向き、「俺は見てないぞ」と言わんばかりに壁紙を眺めて、意味もなくマグカップを口へ運ぶ。

直後、背後から「カチャ……チャリン……」と金属鎧を外す生々しい音が聞こえてくる。俺は振り返ってはいけない光景を脳内で想像しないよう、必死に素数を数え始めた。


(2、3、5、7……この欲情は……『エンリー』のものだよな? ……どうでもいいが、ジアはマジでマズいから、ここは冷静に……)


「コトンッ……」


(……11、13、17……れいせいに……)


「きしりっ……」


(……19、20……ッ?!……もう、勘弁してくれぇ……!)


――やがて、バサッ、ガサゴソ……と、シーツを引っ張るような衣擦れの音が聞こえてきた。どうやら無事に着替えが終わったらしい。


俺はホッと胸を撫で下ろし、ベッドの方へ振り向くと――。


(なっ!? な、なんでっ!? ――なんで何も着ていないんだぁぁ!?……)


一応、毛布を膝に掛けて大事なところを隠しているが、「ベッドの中に入れば良かったんじゃないのでは」と思う俺の方がおかしいのだろうか……?


(あっ! ホットココアの残りか! だったら着替える前に全部飲んでおけよぉ!! ――どんだけ気に入ったんだよ!)


もはや言い訳できないほど恥ずかしいことをやっている彼女は、俺の視線に耐えきれず顔を俯かせた。だが、マグカップを置いておくつもりは毛頭ないらしく、頑(かたく)なにカップの縁に唇を当てて、ちびちびと甘いココアを飲み続ける。


(ヤバい……俺、このあと本当にこの衝動を抑えることができるだろうか?……)


彼女の暴力的なまでの肢体を凝視してしまう前に、俺はもう一度慌てて壁の方へと振り向いた。

だが、ずっと壁を向いているのも不自然極まりない。あと、壁紙の剥がれ具合を観察するのも、さすがに飽きた。


(なにか、もっと自然に彼女と同じ空間に居られる方法はっ……! ……あ! 隣だ! ――そうだ、普通に隣に座ればいいじゃん! 不自然に壁の方ばかり向いていると逆に意識しているみたいで彼女も落ち着かないだろうし、そろそろ俺もベッドに入る時間だし……!)


「あんがと……」


――ジアの気まずそうな囁きに、俺はハッと我に返った。

彼女の隣に腰を下ろしたものの、俺は視界の端にうっすらと映る丸みのシルエットから意識を逸らすことができず、彼女がココアを飲み終わるまでの間、自分が何を考えてどう過ごしていたのかが完全に記憶から飛んでいた。


「……お、おう」


彼女の手から空になったマグカップを受け取る瞬間、俺とジアの腕が一瞬だけ触れ合った。その肌の感触は、彼女の顔がもはや肩口まで真っ赤に染まっているのとは裏腹に、ひんやりと冷たく感じられた。


(いけないっ! そうだ、こいつは『変温動物』のようなものだったんだ! なに変に意識しちゃってるんだよ、俺!?そのせいで 彼女まで気まずくなってるじゃないか……!)


「え、エンリーもき、着替えたら……っ」

「……ああ」


俺は残りのホットココアを一気に飲み干すと、空のカップを二つともインベントリに収納してからベッドを立ち上がった。

ベストとシャツを何気なく脱ぎ、そのまま埃っぽい床に落とすのは気が引けたので、さっと『メニュー』を使ってマグカップみたいにインベントリへ消えさせてみせる。


しかし、彼女の着替え中、俺は紳士的にあっちを向いてあげたというのに、ジアは俺の着替えから目を外すつもりはないらしい。

さすがに見られながら服を脱ぐのは恥ずかしくなり、俺は完全に『メニュー』モードに切り替えて、ピコピコと『装備(ふく)』を外すことにした。


(本当はこのままパジャマを着込んで寝たいところだが……体温調節ができない彼女にとっては、多分俺がパンツ一丁の方が『湯たんぽ』として好都合だろう……)


『メニュー』を閉じてゲーム世界へ意識を戻した俺は、まだ彼女に背を向けたまま、ぎこちなく問いかけた。


「お前が気にしないなら、俺が壁側で寝てもいいが――どうする?」

「う、うん……そのように、お願いします……」


(こいつ、しおらしくなるといつも丁寧語に切り替わるな……調子が狂うじゃんっ!)


俺は慌ててベッドに乗り込み、さっそく彼女の背後に回って壁側に位置をとった。だが、そこでランプを消し忘れたことに気づき、心の中で自分自身を叱責した。

しかし、俺が動くより先に、ジアは膝に掛けていた毛布をバサッとどけて、ランプに向かって無防備に歩き出してしまったのだ。


後ろ姿とはいえ、見ちゃいけないと瞬時に悟った俺は、左手で目を覆いながら顔を枕に埋めることにした。そして、微かにではあるが、振り向いたであろうジアの「ふふっ!」という笑い声が聞こえた気がする。


彼女はランプを消し、狭い宿屋のベッドの俺の隣に潜り込み、そして――また恥ずかしくなったのか、背中を丸めて、出来るだけ俺から距離をとって横になった。


(まあ、彼女があれで結構な恥ずかしがり屋だということはもう気づいているが、このままだと意味ないじゃん。どうせ夜中に寒くなって無意識に俺に抱きつき、朝起きてそれに気付いた時にもっと恥ずかしい思いをするハメになるんだから……)


俺はこみ上げる欲情をなんとか抑え込み、自由に動かせる左手を優しくジアの肩に置くと、彼女が俺に背中を預けられる体勢になるよう、のそのそと誘導した。

胸に触れてきた彼女の背中の感触は、たしかに少しひんやりしていた。


(しかし、そこまで体温が下がっていない気がしないでもないが……彼女は本当に変温動物の体質があるのか……?)


ジアの強張った身体が、暫くして氷が融けるように俺の温もりに負け、気付けば彼女は安らかな寝息を吐きはじめた。

俺も手の力を抜いて、自然と彼女を背後から抱き寄せるような姿勢になってしまう。結果、俺の左手は意図せず、彼女の身体の魅力的な一部にそっと触れる形になってしまった。


『こんな状況を作った彼女が悪い。据え膳を用意しておいて文句は言えないだろう』と、悪魔の囁きが耐えられないほどうるさく響き渡る。だが、そんな俺の獣の行動をギリギリで制止したのは、腕の中から聞こえる彼女の安堵した寝息だけだった。


(そうだよな……数週間くらい前から、彼女はずっと路地裏で生活をしていたはずだ。安眠は久方ぶりだろう……こんな状況で寝込みを襲うなんて、それこそ鬼畜の所業すぎる!)


だからといって、衝動のコントロールができても、すんなり眠れるかどうかは全くの別問題だ。

俺が眠れないまま頭のなかで羊たちを数えている途中、ジアが当たり前のように寝返りを打ち、俺に身体を押し付ける体勢となった。


(……おいおい。とことん俺を寝かせる気がないのかよ……!?)


夢の中でも本能に従って温もりを求める彼女から少しでも距離をとるつもりで、俺はなんとか仰向けの姿勢に移行した。しかし後悔先に立たず――体勢を変えたことでジアが俺の右腕に絡みつくことになり、あろうことか幸せそうな顔で俺の胸に顔を埋めてきたのだ。


もはや動けない。このまま石像になって朝まで耐え抜くしかない――そう覚悟を決めた、その時だった。

眠っていたジアは「カプっ」と俺の首元に甘噛みをしてきたのだ。


「お前、吸血鬼じゃあるまいし、絶対にわざとだろうっ!?」と心の中で叫んでいる俺を当然に無視して――夢の中で俺を美味しいステーキかなにかと思っているようで、ジアは「はむはむ」と俺の首元をかじり始める。


(もう結構動いたから、また姿勢を変えようとしたら彼女を起こしかねない……朝、早くこないかなぁ……まさかと思うが、これは『ああいうイベント』にでも突入してるんじゃないよな……!?)


……外が明るくなり、隙間の多い窓板から淡い朝の光が差し込んでくる中。俺は目の下に立派なクマを作りながら、ただ虚しく天井を見つめている。


俺の隣でまだ深い眠りに就いているジアは、俺の首元を立て続けに「はむはむ」と甘噛みしながら、シーツの下で俺の身体にぴったりと抱きつき、器用に足まで絡み合わせてきている。

本気ではないため痛みは全くないのだが、いかんせん首元が彼女のよだれでベトベトだ。爬虫類的な性質のせいで、彼女は俺を都合のいい『温かい抱き枕』くらいにしか思っていないらしいが、やっていることは完全に痴女だ。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。