記憶の迷路
セリースの視点です。
(頭が、重い……。この深い暗闇は……ああ、また『いつもの』っすか……)
もはや驚く気力すら残っていないアタシは、視界を埋め尽くす濃密な暗闇に飲み込まれる感覚に、ただ静かに身を委ねた。――だって、いつものことだから。
人生のほとんどは『これ』だ。
その上、意識のあるときは、薄っすらと繋ぎ合わされた『突発的なハプニング』の連続だけ。しかも、そのどれもが何度も何度も繰り返して見たような光景ばかり。
今アタシが漂っているこの暗闇は……まるで、見えない迷路に放り出されたみたいな感覚ね。あっちこっちに、アタシ自身の記憶がバラバラに眠っているような気がする。
(はぁ……こっちは本当に疲労困憊なんだから、ちょっとは勘弁して欲しいっすけど……!)
代わり映えのしない光景に辟易していると、突然、ギュッと胸を締め付けられるような感覚に襲われた。
何か、正体の掴めない『記憶』がずっとそこまで迫ってきていて、アタシを放っておいてくれないってわけ。
(……なに、この感情? ……まるで、最近になって『今までとは全く違う生き方』を知ってしまったような……あ、ダメだ! 痛いっ! ……この痛みは、どこから……!?)
頭痛でも腹痛でもない。身体のどこからくる痛みなのか分からないけど、とにかく耐えきれない。
――しかもこの感覚……もしかして、このすぐ横の『壁の向こう側』に、その答えがあるってこと?
(どうやったら向こう側に行けるんすかね……? ダメだ、アタシはビアンカっちみたいに頭が回るわけじゃないし、物理的に壁をぶっ壊しかねないアイリみたいなバカ力もないし――)
とりあえず手探りで歩き回っていれば、運良く向こう側へ通じる道にたどり着けるかもしれない。
(ここは……!)
まるで、かぶりつきたくなるくらい美味しい深い森の空気。精霊の手みたいに優しい木漏れ日が、幼いアタシのほっぺたをくすぐっている。
『お母さん』の太陽みたいな笑顔を見て、アタシも釣られて「キャッキャッ!」と無邪気に笑っていた。
(お母さん……! また会えて嬉しい。……ああ、この気持ちを、今そのまま言葉にして伝えられたらなぁ……)
アタシは知っている。お母さんはこのあと、四年も経たないうちに流行り病であっけなく死んでしまうってこと。
だけど、アタシがここで何を言おうと、この決められた運命を変えることは絶対にできない。
――それに、お母さんも当然その『運命』を知っているはず。
(だとしても……アタシはここでの生活で悲しい思いをしたことは一度もない。むしろ、さっき感じた『あの痛み』は、この頃の記憶とは全く無関係な気がする……)
「チェリーちゃん。お母さんはね、今晩の夕食にお魚を釣りに行ってくるから、チェリーちゃんは大人しくお家で待っててね?」
「あいっ!」
(うふふっ! ……我ながらマジで可愛すぎじゃないっすか、この頃のアタシ!?)
記憶の中のお母さんは、何気ない動作でスルスルと服を脱ぎ捨て、見事な全裸のまま意気揚々と家を後にする。
人間などの他種族からは「エルフは節操のない破廉恥な集まりだ」なんてよく揶揄されるけど、そいつらは何もしらないっすよ。エルフにとっての『布地』は森の中では絶対に手に入らない、人間の町などでしか調達できない『超貴重品』だから仕方ないってわけ。
だから、エルフの子どもは十四歳や十六歳、たまには十八歳になるまで服なんて着ないで裸で過ごすし、大人だって『服が汚れそうな仕事』をする時は、絶対に服を脱いでから挑むのが常識っしょ。
森の恵みのおかげで、家も食糧もすべては『みんなの物』。だけど、服だけはエルフにとって数少ない『私物』であり、それが破れたり汚れたりしたら、全財産を失ったも同然の大事件なんだから。
(それに……これは決して『同族の贔屓目』なんかじゃないけど、エルフは全員もれなく美男美女なんだから、全裸でウロウロしていても、絶対にお目汚しになんてならないじゃん!)
まあ、人間の雄なんて四六時中『お盛ん』な獣ばっかりだから、エルフの事情なんてハナから分かろうともしないっしょ。例えば、目の前にいるこの連中とかね。
いい年をした、立派な聖職者ってことなのに、父ちゃんが持ってきてくれた『お母さんの遺品』の服に着替えたばかりのアタシに、すぐさま邪な欲望まみれの視線を送ってくる。
エルフは大抵、緑魔法の素質を持って生まれてくる――主に男性に限った話だけどね。
でも、アタシは珍しく『白魔法』の素質を持ってたから、その情報は近くの町のクソ領主経由で、あっという間に神殿側に筒抜けになっていた。
『白魔法の素質がある者は、漏れなく神殿に所属しなきゃいけない』なんてルールはどこにもない。だけど、『森に住む貧乏種族の事情なんて誰が気にするかよ』って大人の都合で、アタシは幼くして家族から引き離され、神殿に引き取られたってわけ。
(幸い、神殿に居た時間はそう長くは感じなかったな。――だって、あそこではとくに何も起こらなかったし……)
じゃあ、次に流れてきたこのシーンは……人間との、生々しい身体の重なり合い?
――アタシと……ポークナイトっていう人間。
エルフは所謂、繁殖力が極端に低い種族。普段からあまり性欲なんてないし、他の種族の雄と交わったところで、子供が生まれることなんてめったにない。
(まあ、もし奇跡的に出来たとしても、それはヒューマンとの交わりでしかあり得ないし、生まれたハーフエルフは人間社会で凄く重宝されるんだけどさ)
我が子が幸せに育ってくれるだけでも、親としてはそれだけで十分に嬉しいっしょ。
――なぜハーフエルフがそこまで尊ばれるかって? それは、漏れなく人に近い見た目をしていて、全員が最低でも緑魔法の素質を持って生まれてくるから。その上、何世代にもわたってその魔法の素質が遺伝するっていうおまけ付き。
それにしても、このブタ野郎は本当に煩わしい。アタシと何回身体を重ねたところで、アタシが身ごもるなんて絶対にあり得ないし、エンリー・ポークナイト自身だって、そんな設定は分かっているはずなのに。
アタシは身を任せるだけの虚しい感覚から意識を遠ざけるように、必死にどうでもいい豆知識で気を紛らわす。
――すると。濃い霧の向こう側に、淡い紫色の瞳をした幼女の姿が、ほんの一瞬だけ見えた気がした。
(あの子は……ダメっ……! また、痛みが……っ!)
気付けばアタシはまた暗闇の中に戻されていて、迷路の見えない壁を虚しく拳で叩いていた。
さっきの幼女の姿が、もう思い出せない。
――たしか、エルフと交わってできた子供は、その価値の高さからほとんどが貴族社会で囲われて生まれる。稀に男の子も生まれるけど、ハーフエルフは大抵が女児。そして、魔法への適性が何世代にも引き継がれる代償なのか、彼女たちの末路は決して華々しいものばかりじゃない。
世代を重ねるごとに寿命は極端に短くなっていき、血統の末端に生まれた子たちはみんな、結婚できる年齢になる前に早逝してしまうんだよね。
(……さっきのあの子の顔、凄く懐かしかったな……)
アタシはもう一度、目の前の見えない壁を手探りで確認する。
(やっぱりダメね……。向こう側に行くには、他の道を探さないと……)
ここは……アタシが『幸せ』になっていた時代。
『勇者』っていうもう一人の人間に、エンリーの『魔の手』から『救い出された』アタシと他の子たちは、洗脳されたように「ワイワイ」とやつに連れ回されている。
他の皆は「エンリーが醜悪な見た目だったから、イケメンに救われてよかったね」なんて言うけど、アタシからすれば人類なんて全員、ただの醜いハゲ猿の集まりでしかない。
たとえば、エンリーがコレクションしていたそこそこ容姿端麗なこの子たちだって、エルフのアタシから見れば全員ブスにしか見えないし。
(それでも、この勇者にうつつを抜かしてベタベタしてるんだから、アタシも相当どうかしてるっての……)
なにも、勇者にだけ身体を許すっていうならまだしも。アタシたち全員がやらされてることは、完全にただの『娼婦』の所業だ。
(『路銀』を稼ぐために、なんでアタシたちが町で身を売らなきゃいけないわけ!? お前が働けよ! ヒモのクズ勇者がっ!!)
そう心は叫んでるのに、頭はボーっとしていて、『憤怒』の感情なんて少しも湧いてこない。むしろ、『幸せ』に浸りきっている。『『前門の虎、後門の狼』って、マジでこういうことだったんだね。
アタシたちを『買ってる』このクソ貴族たちは、エンリー・ポークナイトに嫉妬して『勇者』をけしかけ、彼の『ハーレム』を崩壊させた。
一応『勇者パーティー』なりに頑張って、最終的にアタシたちは魔王を倒したんだけど……輝かしい役割なんてアタシたちには一つも用意されていなかった。チートの『勇者』が一人で強すぎて、マジで「何なのこいつっ!? アタシら要らなくない!?」って感じだったし。
(……って、やたらと頭の痛みが強くなってる……!?)
気付けばアタシは、いつの間にかさっき通った『幼い頃の記憶』の中へと引き戻されていた。マジでグルグル回っていたわけ?―――アタシ、ここまでバカでしたっけ?
ついさっきまで曖昧だった痛みは、いきなり脳を割るような激しい頭痛へと変わってアタシを苦しめる。
だけどなぜか、その強烈な苦しみよりも鮮明に、時折目の前をフラッシュバックしてよぎる『知らない景色』への懐かしさが勝っていた。
(これは……痩せたエンリー? なになに? ウケるんだけど……)
――しかし。またしても目の前をよぎった、あの儚げな紫色の瞳の幼女の姿に、アタシの意識は唐突に現実へと引き戻された。
ハッと目を見開く。周りは、暗い廊下……。目の前には、よく知っている重い木製の扉。
(開いてる……。そこに見えてるのは……)
「っ!?――」




