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苦難

一体、どれだけの時間が経ったのだろうか……?

俺は苦しむプリムラを何とか少しでも楽にしてやりたくて、素人の頭で思いつく限りの処置をすべて試した。


……へなへなと崩れ落ち、自力で立つことすらできない彼女を、慎重に俺のベッドへ寝かせて。


……ただ突っ立っているだけで何の役にも立たない『バグったビアンカ』に理不尽な八つ当たりをし、一度は部屋から怒鳴りつけて追い出して。


……淡々と部屋を出ていこうとする彼女の背中にすがりつき、「頼むから一人にしないでくれ」と泣きついて引き留めて。


だが、俺がどれだけ足掻こうと、プリムラの発作が治まる兆候は一ミリたりとも現れなかった。


熱でうなされる彼女のうわ言や意味不明な囁きの中から、俺は「……のどが、かわいたの」という弱々しい訴えをかろうじて聞き取った。

慌てて水差しからグラスに冷たい水を注ぎ、それを両手で包み込んで、自分の体温で必死に温める。


今も金魚のように小さな口をパクパクと動かして苦しむ妹に、一秒でも早く水を飲ませてやりたい。だが、この冷えた水が、限界を迎えている彼女の身体に致命的なショックを与えることくらい素人でも分かる。だから今は、じれったくてもこうしてグラスを温めるしかない。


ようやくグラスをプリムラの震える唇へと運ぶが、彼女はすでに『水の飲み方』すら忘れてしまったらしく、上手く口を開けてくれない。焦った俺の手元が狂い、冷たい水が数滴彼女の首筋にこぼれてしまった。

その冷たさにショックを受けたのか、意識が朦朧もうろうとしているプリムラが急に激しく暴れ出した。俺は慌ててグラスをテーブルに叩き置き、彼女の襟元を濡らした水を毛布で必死に拭き取った。


(ダメだ、このままグラスで直接水を飲ませるのは無理だ。どうすればいい? 何か……ストローっ! そうだ、ストローならっ……!)


「ビアンカ! 悪いが今すぐキッチンに行って、ストローを持ってきてくれないか!?」


呼びかけられたビアンカは、まるで魂の無い人形のように無機質にコクリと頷くと、部屋の扉を開けっ放しにしたまま、静かに廊下へと消えていった。


焦っていて時間が更に長く感じることを承知の上でも、ビアンカが戻るのをとてもじゃないが待っていられない。


(他に何か……? そうだ、町で拾った『ゴミ』……!)


普通ならそんなものを病人の口に絶対に入れたくないが、ここは物理法則も生物学も通用しないファンタジー世界だ。病原菌となる微生物が存在するかどうかすら怪しい。


(なになに……あったっ!)


どこで拾ったかは分からないが、集めたクエストアイテムの中にストローも一つあったようだ。


(『状態:良好』と書いてあるし、贅沢を言える状況でもないな……)


一応、水差しから綺麗な水を注ぎ、取り出した『ゴミ』のストローをできるだけ洗ってみる。

足元に水たまりができつつあるが、今はそんなことに構う暇はない。


綺麗にしたストローをテーブルから拾い上げたグラスに差し、プリムラの口元へと近づける。

彼女はなんとかして唇に当たったストローを拙く咥えると、必死に水を吸い上げようとしたが、ストローの半分くらいまで吸い上げる力しか残っていないみたいだ。


『どうしたら』と必死に頭を働かせて、グラスを限界まで傾け、ストローが水平になるように頑張ったが、プリムラはもはや何をしようとしていたか忘れたように、吸うことなくストローに息を吐き出してしまった。

またたっぷりと首元に水が滴り落ちたが、彼女にはもう暴れる力すら残っていなかったようだ。


再三試すと、ようやく数滴くらい水を口に含ませることに成功したが、喉が上手く動かなくて酷く咳き込んでしまう。


無力にその光景を見ていると、『こほこほっ!』と苦しんでいた可哀想な妹は気を失い、上半身を支えるように敷いていた枕の上で、死んだようにぐったりと横たわってしまった。


心臓が止まったかのような苦しみに打ちのめされていると、横から誰かの気配がした。ビアンカが戻ってきたのだと思い、顔を上げる。

『もう遅い!!』と八つ当たりをしてやろうとしたが、隣に居たのは、いつの間にか音も立てずに部屋へ入ってきていたセリースだった。


彼女がまた夜這いに来たのだと思い、ドス黒い怒りが沸々と込み上げてくる。頭が真っ白になる中、俺は固く拳を握りしめた。

我を忘れて彼女に殴りかかる勢いで立ち上がり、血走った眼でもう一度その姿を確認しようとして――思わず動きを止め、怯えるように数歩後ずる。


さっき見たビアンカのように、セリースの表情もまた酷く無機質に見えたのだ。動きもどこか糸で操られた人形のようで、生きているように感じられたのは、彼女の熟れたサクランボみたいな赤い瞳だけだった。

動けなくなっている俺に構わず、セリースはベッドに近付き、身を乗り出して虫の息のプリムラを見下ろした。


「……お、おい。なにをっ――?」


恐怖で喉から声が出なくなった。

つい数ヵ月前に見た、ビアンカが魔法を使う時の光景のように、セリースの体も内側から太陽に照らされているかのように光り出した。

しかし、光の量も色合いも、ビアンカの魔法とは比べ物にならない。

絹のような白い髪が光ファイバーのように輝き出し、両手、両腕に続き、胸元や脇腹、首筋、そして額にまで、優しい日差しのように白く輝く、綺麗なアラベスク模様が現れた。


その神秘的な光景に息を忘れて見惚れていると、セリースが以前ビアンカがしたように、妹の額に掌を当てた。――瞬間、プリムラの全身から、すすの詰まった麻袋を『ボフンっ!』と叩いたかのように、黒くておぞましい煙みたいなモノが噴き出した。

同時に、セリースの体を輝かせていた光が、旧式の電球が切れたようにふっと消える。彼女は電池が切れたロボットみたいにベッドの縁に倒れ掛かり、そのまま力なく転がり落ちて、床の上で動けなくなった。


倒れた際にどこか身体を強く打ったのか、彼女の頭の近くに血だまりが現れ、段々と大きくなっていく。


胸が締め付けられる思いで、倒れたセリースを一旦無視し、俺は勢いよく妹に近寄って安否を確認する。


「よかった、息がある……!」


ビアンカに治してもらう時とは違って、息はまだ弱々しく、熱も全く下がっていない。

しかし顔色はどこか良くなっており、永遠にも感じる一時(ひととき)を待っていると、彼女の額に汗がにじみ出てくるのが見えた。


(ビアンカの魔法は身体を強制的に活性化させて容態を良くしているのに対して、セリースの魔法は、ただ根本的な問題だけを解決した……のか?)


これでもうプリムラは安心だと見切りをつけ、俺は遅ればせながら、倒れたセリースへと意識を向けた。


死んだように不自然な体勢で倒れ込んでいた彼女を仰向けに戻し、額やあごの傷をグラスに残っていた水で洗う。そして、とっさにズタズタに引き裂いたローブの裾で作った即席の包帯で、止血を試みる。

目を覚ますことなく意識を失っているセリースを見ていられず、暫くプリムを一人にしてしまうが、倒れている彼女を自室のベッドまで運んで戻そうと心に決めた。


女の子に対して大変失礼な感想だが、抱き上げたセリースの身体はズシリとひどく重く感じた。


(そう言えば、意識を失って脱力している人間は、予想以上に重く感じるって話だったっけか?)


なぜ自分がそんな無駄な知識を知っているのかと疑問に思いつつも、俺はセリースの身体をしっかりと抱き抱え直し、自室を後にした。


廊下に出て数歩進んだところで、ようやく向こうから何かを手に持って歩いてくるビアンカの姿に気がつく。

彼女はどうやらストローを見つけられず、そのまま自力で木の棒を削って『それっぽい物』を用意してくれたみたいだ。


「お疲れ、ビアンカ。それはもう要らないから、安心してくれ。頑張ってくれて本当にありがとう!」

「……もう要らない、ですかっ――?」

「あっ! すまん!―― 言い方が悪かった。『要らない』ではなくて、状況が変わって『必要がなくなった』だけだ!とりあえず、ビアンカもセリースを運ぶのを手伝ってくれるか? ドアを開けたりとか、障害物をどかしてくれるだけでいいから」

「……畏まりました」

「助かる」


(そうそう、セリースを部屋に寝かせて戻ったら、何とかしてプリムに水を飲ませてやらないと。熱が下がる過程で大量の汗をかくはずだから、急いで水分補給させないと脱水症状という別の問題が起きてしまう)


「部屋に戻ったら、ビアンカがプリムに水を飲ませるのを手伝ってくれるか?」

わたくしにできることでありましたら」

「それは問題ないはずだ。ビアンカになら、きっとできるよ」


最悪の場合、俺が口移しで強引に飲ませるという手段も覚悟していたが、同性のビアンカがやってくれた方が何百倍もマシだろう。


(それはそうと、さっきの『あれ』は一体何だったんだろう?)


原作ゲームで、似たような現象を一度だけ見た覚えがある。――魔王とやらに『呪われた』という、たった一人の魔族側のヒロイン、サキュバスのミアレーが勇者に救われるイベントの時だったはずだ。その『救い』の方法は、この場で語れるような行為ではなかったので、皆様の想像に任せる。


ただ、魔王以外に『呪術』の力を操れる者がこの世界に存在しないはずだ。そして、どう考えてもあの魔王ちゃんに、俺の妹を呪い殺す動機が全くないと思うのだが……。


(もしこれが本当に『呪い』の力だとしたら、セリースには解決ができない問題になる。頼むから、呪いなんかじゃありませんように……!)

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