今後について
結果から言うと、別にアイリから怒られることは無かった――無かったが、どうにも最近、俺は訓練で怪我をする確率が、心なしか増えた気がしないでもない。
これが絶対にアイリの仕業だという確証はないが、そうだとしても甘んじて受けよう。前にも言った通り、俺の中では、別にアイリと恋人になったつもりはない。
それでも、体の関係になったことは否定できない事実だし、アイリは他のヒロインと違って、綾子さんの『現代の一般的な常識』も受け継いでいるはず。だから彼女にとって今の俺は、複数の女と肉体的な関係をもつ、最低のクズ男に見えるだろう。
セリースに関しては、わざわざ宝具をすり替える必要が無くなったため、結託していた悪徳商人に連絡を入れて計画をキャンセルした。それでも予定通り儀式は失敗し、セリースは『使えない』と神殿から破門され、俺のところに舞い戻ってきた。
そして彼女のメイド衣装なのだが――無い。いや、誤解しないで欲しい、別に彼女を全裸で侍らせている訳じゃないぞ。元の衣装を着てもらっているよ。
だって、どうやら本来の『エンリー』でも、あのエロフを困らせるような際どい衣装は思いつかなかったらしい。
しかし、本人が「仲間はずれはイヤ」と騒ぐものだから、近いうちに彼女にもメイド衣装を用意してやらないと、暴動が起こりかねない。
当然ながら、セリースも訓練に加わり、ついに一番体力が低いのは俺ではなくなった。
しかし、エロフ……もといエルフでありながら、彼女の得意武器は弓矢ではなく、どうやらレイピアだったらしい。
単純な腕力ではアイリに負けているが、技術ではそのアイリも凌駕してみせたことに、皆驚いていた。
そして、正直なところプリムにはあまり近づかせたくなかったのだが、どうやら俺の可愛い妹は、エルフに対して並々ならぬ憧れを抱いていたらしい。
セリースも幼女相手には普段の傲慢さを和らげており、体力不足で訓練をすぐバテる彼女は、結果的にプリムの良い遊び相手になっていた。
閑話休題。とにかく、俺は今、執務室で山積みの事務仕事をしている。
この『執務室での事務仕事』というイベントに、エロゲ的に一体何の意味があるのかは未だに分からない。昨日今日始まった日課ではないし、時折誰か――主にビアンカが手伝いに来てくれるものの、だからといって『お約束のエッチなハプニング』が起きるわけでもなく、ただひたすらに真面目な書類処理をこなしているだけだ。
最初の頃こそ、試しに『メニューモード』を発動して、脳内のゲーム画面で『ミニキャラのエンリーとビアンカ』がせっせと働くアニメーションを眺めながら時間を潰していた。
しかし、ただそれを眺めているだけというのもすこぶる退屈で。「どうせ他にやることもないなら、いっそ自分で手を動かした方がまだマシだ」という結論に至ったのである。
(……しかし、和むな~、これ)
そう言えば、覚えている限り、前世(?)のリーマン時代にも書類仕事がメインだった気がするな。
こうしてビアンカと一緒に書類の山と向きあっていると、まるで会社の後輩と一緒に、不条理な上司から押し付けられた仕事を片付けているみたいだ。
しかも、理不尽な上司も小うるさいクライアントもいない、理想的な職場環境……。
(まあ、ビアンカがあんな格好じゃなければ完璧なんだが……。慣れたつもりでいたら、ふとしたときに相変わらず目のやり場に困るな)
一応、前にも言った通り、アイリに彼女たちが着る『動きやすい服』は調達してもらった。でも、あれもだいたいゲームで見た『勇者パーティー時代の冒険者風の格好』でいて、とてもじゃないけど、健全な服装とは言い難い。
今の『メイド衣装』よりは何倍もマシなんだが、この子が頑なに屋敷の中でその服を着ようとしないのだ。
「……しかし、ビアンカに手伝ってもらうと、本当に仕事がはかどるな」
「それなんですけど、私がエンリー様の仕事を手伝うのは、本当に宜しいのでしょうか?」
「なぜ?」
「だって……例えばこの書類は、アーカイド家へ送り出したスパイの報告書ですのよ? もし私がこれを内密にお父様に知らせたとしたら、勘当を取り消してもらえるかもしれませんわよ?」
「んんっ……なんと言えばいいのかな。――ビアンカは今の環境に不満があるのか?」
「いいえ! 全くありませんわ!」
「――なら、俺としてはビアンカを完全に信用できる。それだけの話だ」
「エンリー様……っ!」
「それに、ほら。アイリに手伝いを頼めば一応仕事はするけど、あいつ面倒くさがりだから『早く終わらせろオーラ』を出してきて俺の精神(SAN値)がすり減る。そして、セリースに至っては――」
「あら? こちらの申請書の束の中に、ポークナイト家が贔屓にしている商会からの『新商品入荷のお知らせ』が紛れ込んでいますわ……」
「……セリースの仕業だな」
「……ですね。――あのポンコツエルフを引き取って、本当に宜しかったのですか、ご主人様?」
「ビアンカは時々エグいことを言うね。まあ、一応彼女が無職になったのは俺のせいだし。面倒はちゃんと見てやるつもりだ」
「お優しいのですね……っ! では、私を夜伽に呼んでくださるのは――っ」
「――また今度な?」
「いつもそればかりですわね。エンリー様の意気地なし!」
「なにか言ったか?」
「いいえ。エンリー様は『素敵な殿方だな』と」
「それ、絶対に嘘だよな」
ビアンカは可愛く『ぺっ!』と舌を突き出して、また暫く静かに書類仕事に戻った。
そして、「カタンっ」と部屋の扉が開いたかと思えば、『お茶くみ』ならぬ『コーヒーくみ』のセリースが姿を現した。
「アタシ、コーヒー持って来たんだけど」
「貴女ね! ご主人様にこんなコーヒーを持ってくるなんて! ぬるいではありませんか! まったくもう! ――私が淹れ直してまいりますわ。エンリー様、少し席を外しても宜しいでしょうか?」
「ああ。ビアンカに倒れられでもしたら『大変』だけじゃ済まないからな。ちゃんと休憩も取ってこいよ」
「お心遣い、痛み入りますわ」
「じゃあ、アタシはエンリーの手伝いを――っ」
「「――おまえ(貴女)はそこに座ってろ(いなさい)!」」
「……ちょっと二人とも、アタシに辛辣すぎない? 傷つくんですけど」
「ほら、セリースの手はとても綺麗だから、紙で指を切ったらもったいないと思ったんだよ」
「ま、まあね。アタシはエルフだし、生まれの品格が違うから……えへへっ!」
――褒められると長い髪を指でくるくると回して、途端にしおらしくなるセリース。
((チョロい……!))
俺とビアンカは目が合うと苦笑を交わす。やがてビアンカは踵を返して執務室をあとにする。
「アイリとのスパーリングは終わったのか?」
「……それっ! 聞いてよ。アタシが一本取ったからって、ムキになって――容赦なくアタシをボコボコにしてきたのよ! マジありえなくない? っつうか、なんなのあいつ――」
セリースの愚痴を聞き流しながら、もう一度書類の山に向き直る。
こいつもああ言っているが、アイリに本気で『ボコボコ』にされたら骨折じゃ済まないはずだ。たぶん、天狗になって伸びた鼻をへし折られただけだろう。きっかけは十中八九、セリースがアイリにその『一本』を勝ち誇って煽ったからに違いない。
「――そろそろ、ただの鍛錬で得られるものも少なくなってきたな」
「エンリーもだいぶ痩せて……少しはダンディーになったけど……まだまだアイリには敵わないわね」
(この子、人を素直に褒める事もできない割に、人の神経を逆撫ですることにかけては天才とも言えるな……)
俺は、お約束の脚を組んだ座りポーズでふんぞり返るエルフさんを見た。
(はぁ……あれからほぼ毎夜、彼女からの『夜這い』イベントがあり、数回は抵抗しきれずに劣情に負けた俺がいることを他の二人が知ったら――今度こそ磔にされるな、俺……)
「――それで、エンリーはどうするおつもり? ……もしもし! 聞いてるんすか?」
「あっ? ……ああ。まだアイリに相談しないといけないが、近いうちにダンジョンに行くつもりなんだ。セリースも付いてきてくれるか?」
「ダンジョン? そんな薄気味悪いところにレディーを連れていくつもりだなんて。エンリーもまだまだですね」
「別に、遊びに行くんじゃないからな。全部――っ」
「プリムちゃんのためっしょ? まったく。そう言われると『イヤ』とは言えないじゃん。――しかし、ダンジョンに行けば、アタシの加護が本当に戻ってくると思ってるの?」
「分からない――が、このままビアンカに頼り切りでいたらジリ貧だ。なんとか打開策を探さないと」
「エンリーのシスコンぶりにも呆れたわ……。でも、ビアンカは念のために留守番させて行くつもりでしょ? ビアンカ、絶対『激おこ』になるけど。いいの?」
「そんなの、仕方ない。今の俺にはまだ、彼女を守り切るだけの力がないからな」
「紳士じゃん! ひゅーひゅー!」
「思ってもいないことを!」
「……でも、アタシが『行きたくない』と言ったら、アタシにも『じゃあ、お前も留守番してていい』って言うんでしょ、エンリーなら」
「……ああ」
「どうして契りを交わす前に、アタシに『先にプリムラを治せ』って言わなかったの?」
「そんなの、セリースをただ利用するだけになるだろ!?」
「……だから今のエンリーは輝いて見えるのかな」
「すまん、聞き取れなかった。もう一回言って」
「ううん。なんでもな~い。――ビアンカ、遅いな~。まだかな~?」
「そろそろ戻るだろう……」




