受信の代償
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扉には取っ手がなかった。中央に手のひらほどの窪みがあるだけだった。
「開閉機構はここか」
「はい。緊急時の物理操作を想定した設計です。窪みに掌を当ててください」
颯は手袋を外さずに窪みへ掌を当てた。内側で歯車が鳴った。二度、三度と噛み合う音が続いて、扉が横へ滑った。
中は暗かった。ヘルメットライトが壁を舐めた。丸い部屋だった。三方の壁に端末が並び、中央に円卓型のコンソールがあった。椅子が三脚、円卓を囲んでいる。一脚だけ、座面が焼け焦げていた。埃は通路より薄く積もっていた。長く密閉されていた証拠だった。
焼けた椅子の脇に、小さな金属箱が落ちていた。蓋は開いたままだった。中は空だった。誰かが最後に、何かをここから持ち出したか、あるいは仕舞い忘れたのか。颯にはどちらか分からなかった。
「電力は生きているか」
「コンソール正面に反応があります。インターフェースケーブルを接続してください」
颯は肩の予備ケーブルを外し、コンソール脇の差込口へ通した。手応えがあった。奥で何かが息を吹き返すように低く唸った。
「接続を確認しました。解析を始めます」
颯は円卓の縁に手をついた。埃が指の跡を残した。
待つ間、壁面のパネルが順に光った。橙、次に青。長く眠っていた回路が順番に目を覚ましていくようだった。焼け焦げた椅子の背もたれに、細い金属タグが下がっていた。文字は摩耗して読めなかった。
「データ量が想定を超えています。百七十年分の受信記録、送信記録、識別コード一覧」
「要点だけでいい」
「はい。まず、座標です」
颯の前のモニターに点が並び始めた。一つ、また一つ。フィーエル、アステル、ロストン・プロスペクト、エリアの隠れ里、中継基地デルタ。既に知っている場所だった。だが点はそこで止まらなかった。
「これは」
「未確認の座標です。二十七か所。うち十一か所は現在も微弱な応答信号を発しています」
颯は数字を頭の中で繰り返した。二十七。自分たちが辿り着いた場所より多かった。
「応答のある十一か所の内訳は」
「コロニー登録名で八件。旧連邦第四艦隊の残存記録で二件。残り一件は識別不能。信号強度が最も安定しているのは、コロニー登録名『ノルテ』です」
「聞いたことがない名だ」
「私のデータベースにも記録がありません。この施設のログでのみ確認できます」
颯は画面の点を見た。名前を持つ場所が、まだこんなに眠っていた。
「残りの十六は」
「応答なし。ただし送信設備自体は生きている可能性があります。無人か、電力が尽きているだけかもしれません」
颯は何も言わなかった。銀河の暗がりに、まだこれだけの声が眠っている。
「もう一件、記録があります」
アルテの声が少し変わった。声の質ではなく、間の取り方だった。
「スカウト部隊と思われる記録です。三年前、この施設の外壁に接触した痕跡があります。西面ジャンクションに工具の刃こぼれが残っていました」
「入れなかったのか」
「防衛システムを突破できなかったと推定されます。電力パターンの脆弱性は、今回颯が見つけたものと同じです。彼らは気づかなかった、あるいは時間が足りなかった」
颯は西面のジャンクションを思い出した。自分たちが二十三秒で開けた場所だった。
三年、誰も入れなかった扉だった。
「その後の接触記録は」
「ありません。この座標への再訪の痕跡は確認できていません」
颯は焼け焦げた椅子から目を離した。組織はもう来ない。少なくとも、ここへは。
「データの完全コピーまでどれくらいだ」
「四分二十秒」
颯は待った。壁の光が一つずつ増えていった。
そのとき、床が震えた。
「今のは」
「電力供給が想定を超えています。コンソールの解析処理が、施設の主電源に過大な負荷をかけています」
「止められるか」
「コピーを中断すれば負荷は下がります。ただし残りのデータは失われます」
颯は考える間を持たなかった。
「続けろ」
床の震えが二度目、三度目と来た。間隔が短くなっていた。天井の継ぎ目から、細い埃の筋が落ち始めた。
「主電源系に異常。区画の気密が低下しています」
「あとどれくらいだ」
「一分五十秒」
壁の照明が明滅した。橙が赤に変わった区画があった。奥の端末が一つ、火花を散らして沈黙した。
「コピー完了まで」
「一分十秒」
颯はケーブルを握った手に力を込めた。抜けば全て終わる。抜かなければ、ここが先に終わるかもしれなかった。
「颯、区画の崩落が始まっています。この部屋の天井にも兆候があります」
「まだだ」
埃が天井から落ち始めた。細い筋になって、光の中を舞った。円卓の表示が点滅を速めた。数字が桁を刻んでいく。
「四十秒」
「まだだ」
「二十秒」
背後で金属が軋む音がした。振り向かなかった。
「完了。データ確保しました」
颯はケーブルを引き抜いた。振り返らずに走った。通路の非常灯が明滅していた。足元で床が波打つように揺れた。天井の一部が落ち、破片が肩をかすめた。
「あと十五メートル」
颯は走った。息が上がった。分岐を折れたところで、背後の通路が轟音とともに沈んだ。埃の壁が追ってきた。
「錆鉄丸、ハッチ開放。今すぐドッキングを解除する準備をしろ」
「はい」
颯はドッキングポートへ飛び込んだ。ハッチが閉まる音と同時に、施設全体が長く低い音を立てた。
「離脱しろ」
「離脱します」
推進炉が唸った。錆鉄丸が後退した。モニターに映る施設の輪郭が、歪みながら崩れていった。外壁の一部が内側へ落ち、粉塵が広がった。
衝撃が来た。
船体が横に振られた。颯は椅子の肘掛けを掴んだ。
「今のは」
「崩落した外壁の破片が、後部隔壁に接触しました」
警報が短く鳴って止んだ。
「被害状況は」
アルテが答えるまで、いつもより長い間があった。
「後部隔壁に破孔。エンジン第二区画への浸水……気圧漏れを確認。推進出力は生きています。ですが」
「ですが、なんだ」
「長距離航行には耐えられません。今の状態では」
颯はモニターの中で崩れていく施設を見た。粉塵の向こうで、光がまだいくつか点滅していた。あの光の先に、二十七か所の座標があった。ノルテという名前の場所も、その一つだった。
錆鉄丸は動いていた。だが、もう以前と同じ船ではなかった。
「アステルまでは」
「現在の出力なら到達可能です。ただしそれ以上は保証できません」
颯は前を見た。星が流れていた。データは手に入った。船は傷ついた。
どちらも、もう取り消せなかった。
椅子の背にもたれた。金属の軋みが、いつもより耳についた。この船に乗ってから、初めて聞く音ではなかった。ただ、今日はそれが違う意味に聞こえた。
「アルテ」
「はい」
「アステルに着いたら、船を止める時間を作れ。急ぎの修理じゃなくていい」
「承知しました。理由をお聞きしても」
颯はすぐには答えなかった。星の流れを見ていた。
「まだ分からない」
それだけ言って、目を閉じた。
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