外縁への針路
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夜が明けた。
照明は変わらなかった。岩盤の中に昼夜はなかった。ただ颯の体が六時間の眠りを終えていた。
「補注第十七番について」とアルテが言った。「ダールへの返答を準備しています」
「聞かせろ」
「代替素材の調合比率は、標準設計では旧連邦規格の金属粉六割、有機繊維四割です。ハラダの注記によれば、金属粉の配合を五割まで下げても機能に支障はなく、熱膨張への耐性が上がります。ただしその場合、有機繊維は精製度の高いものを使う必要があります」
「アステルが使えるか確認してから送れ」
「確認します」
毛布を折りたたんだ。壁の端末にケーブルが刺さっていた。アルテの演算端末が九十九パーセントを示していた。
廊下に出た。機械の低音が続いていた。加工区画の前を通った。中では三人が作業していた。早い時間だった。端末を見ながら素材を測っている者の背中が見えた。知らない顔だった。
格納庫に入った。クラリス-01の充電が完了していた。一〇〇の表示が壁の端末に出ていた。錆鉄丸の外観を確認した。後部着陸脚の一本、接触面の摩耗が進んでいた。前回の廃棄宙域降下の跡だった。今回の航行に支障はなかった。
「ダールへの返答の件、アステルの保有素材では有機繊維の精製が難しいとのことです」とアルテが言った。「代替として、繊維の代わりに焼結した炭素粉末を使う方法があります。ハラダの補注に記載があります。補注第二十九番です」
「第十七番と第二十九番をセットで送れ」
「送りました」
格納庫の向こうから足音が来た。ダールだった。作業着の肩に昨日と同じ溶接焼けがついていた。
「朝早いな」とダールは言った。
「出る」
「今か」
「充電が終わった。待つ理由がない」
ダールは格納庫の壁にもたれた。腕を組んだ。目線がクラリス-01へ行き、それから颯へ戻った。
「補注のこと、助かる」と彼は言った。「第二十九番は盲点だった。昨日から考えていた問題が一つ解けた」
返事をしなかった。
「ロストンへは月内に送れそうだ。連絡がついた施設の中で、製造できそうなところが二か所ある。フィーエルのデータがあれば後は手順を追えると言っていた」
「それでいい」
ダールが顔を上げた。颯を正面から見た。
「北北西だったか」
「ああ」
「百七十年信号が来ているやつか」
「そうだ」
ダールは短く息を吐いた。格納庫の照明が機体に反射していた。クラリス-01のアームが壁際で静止していた。
「戻ってこい」とダールは言った。命令ではなかった。確認に近かった。
「ロストンに届け終わったら知らせろ」
「ああ」
錆鉄丸に乗り込んだ。格納庫の扉が開いた。宙域の暗さが差し込んだ。
アステルが後退した。岩の複合体が宙域に浮かんでいた。外壁の補修跡が散点していた。明かりがいくつか見えた。格納庫の灯りだった。しばらく眺めた。それから計器に向き直った。
「北北西、発信源推定方位」
「設定します」
推進炉の出力を上げた。アステルが後ろへ引いた。岩の塊が、明かりが、宙域の暗さに溶けた。
三時間後、アルテがクラリス-01を起動した。
「練習をしてもよいですか」
「何の」
「回避経路の計算です。障害物のない宙域なので正確な条件ではありませんが、センサーと推進のループを確認しておきたいです」
「やれ」
クラリス-01が船尾ハッチから出た。外部カメラにドローンの映像が映った。アームを伸ばし、縮め、また伸ばした。廃棄宙域での作業データをもとに修正した動作リストをアルテが端末へ送ってきた。番号がついていた。
「第三系列の開き角を十二度増やしました」とアルテが言った。「廃棄宙域で板の縁を掴んだ時、接触面積が足りませんでした」
「確認した」
クラリス-01が錆鉄丸の機体を一周した。外壁の状態を外側から映像に送ってきた。後部着陸脚の摩耗部分が映った。颯が想定していた程度だった。
「反応遅延が〇・三秒から〇・一秒に改善されています」とアルテが言った。端末に計算値が来た。前回との差分が赤く示されていた。
颯は計器に目を戻した。信号の受信記録を呼び出した。最後の受信が十四時間前だった。次の受信まで三時間を切っていた。クラリス-01が外で推進制御の試験を続けていた。宙域には何もなかった。星と暗さと信号の軌跡だけがあった。
受信まで三十分を切った頃、画面に変化が出た。
「前方に物体反応」とアルテが言った。
クラリス-01が外から送ってきた映像の端に、細長い形が映っていた。回転していた。
「大きさは」
「長径二・四メートル。直径〇・六メートル。毎分七十二回転」
「旧連邦のものか」
「外形からは確認できません。投光器で確認します」
クラリス-01が映像の端へ動いた。投光器を当てた。金属の表面が光った。文字が見えた。塗装は剥がれかけていたが字の形は残っていた。
「RL-7と読めます」とアルテが言った。「旧連邦の通信中継衛星です。RLシリーズは外縁航路用に配備されていました。受信アンテナが破損しています。送信機能のみ残っている可能性があります」
「回収できるか」
「外装を確認します」
クラリス-01が中継衛星の周囲を一周した。映像が届いた。側面に凹みがあった。推進モジュールが脱落していた。固定ビスが三本失われていた。
「本体は無事です」とアルテが言った。「太陽電池パネルが一枚損傷しています。ただし送信回路と記憶媒体の保護筐体は完全です。回収して内部データを読めます」
「やれ」
クラリス-01が衛星に近づいた。アームを展開した。回転する衛星の動きに合わせて、アームの角速度が変わった。廃棄宙域で板の縁を掴んだ時と同じ動きだった。あの時より精密だった。
接触した。アームが衛星を掴んだ。回転が止まった。
「確保しました」とアルテが言った。
衛星が内部に収まった。颯は直接手で触った。金属の冷たさがあった。表面の字体は旧連邦の標準フォントだった。シリアルナンバーが刻まれていた。
「接続します」
アルテが端末を衛星の接続ポートに当てた。映像は出なかった。文字と数値だけが画面に流れた。
「最終記録日時は旧暦二一一七年です」とアルテが言った。「百七十年前です。以降は自律送信のみです」
「信号を発信しているか」
「はい。内蔵の自律プログラムが生きています。電力は太陽電池から補充しながら百七十年間送信を続けていたようです。信号パターンを解析しています」
数値が流れた。颯には読めない形式だった。しばらくアルテが無言だった。機械の計算音だけがあった。
「この衛星は、北北西の発信源から送られた信号を中継していました」とアルテが言った。「記録には元信号の時刻情報が含まれています。十七時間周期の信号は、発信源から送出されたものをこの衛星が中継した複製です。颯さんたちが受信していたのは、元信号から時間遅延した複製でした」
「同じ発信源か」
「確認できます。元の発信源は変わっていません」
「中継衛星がほかにもあるか」
「あります。このシリーズの設計では外縁航路に五基一組で配備されていました。残り四基の配備座標が記録に含まれています。現在位置は不明ですが、配備時の座標を出発点に探索できます」
颯は画面の数値を見た。
「誤差範囲はどうなる」
「このデータを加えると、発信源の推定位置の誤差範囲が半径二十七光分から十二光分に縮小します」
「残りの四基を回収すれば」
「さらに精度が上がります。五基全部で三光分以下になる計算です。ただし一基でも、航路を確定するには十分です」
信号が来た。
画面に波形が出た。十七時間前と同じパターンだった。アルテが静かに解析した。
「発信源は健在です」とアルテが言った。「信号強度が微増しています。接近しているためです」
颯は窓の外を見た。北北西の方位に何もなかった。ただ星があった。百七十年間、何かが信号を送り続けていた場所が、その先にあった。RL-7はその信号を受け取り、送り返し続けていた。誰が聞くかわからないまま。
「次の中継衛星候補の座標を航路に組み込みます」とアルテが言った。「到着まで三十七時間です」
「行け」
推進炉の出力が上がった。RL-7が壁際に収まっていた。百七十年間宙域を漂っていた衛星が、今は船内にあった。
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