塵の中の手
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廃棄宙域には、まだ使える手が残っていた。
廃棄宙域に入った。
錆鉄丸のセンサーが前方の粒子密度を測り続けた。アルテが出力した航路図に、旧時代の宙域開発から生じた残骸の集積ゾーンが黄色で示されていた。岩石と金属の破砕物が引力の均衡点に集まり、百年分の漂流物がゆっくりと回転していた。
「濃度は中程度です」とアルテが言った。「速度を落とせば通過できます。右手のクラスターに旧連邦規格の複合素材の反応があります」
「どのくらいだ」
「三・七平方メートル相当の板状素材。損傷があります。有効面積は近づいてから判断します」
颯はスロットルを絞った。
微細な塵が船体を叩いた。硬い打音ではなく、指先で叩くような連続した響きだった。窓の外に、白い欠片と黒い金属塊が混在した帯が広がった。旧連邦の設備の一部と思われる長方形の板が、ゆっくりと自転していた。端に接合剤の残痕があった。
「あの板の右側面、耐腐食仕様の反応があります」とアルテが言った。「フィーエルで使っていた型に近い」
「行く」と颯は言った。
格納庫へ移った。
スーツを着込みながら、颯は棚の上段を見た。そこに収まっているのは、フィーエルを出る前の数日で完成させた船外活動用ドローンだった。クラリス-01と名をつけた。アルテが回収していた旧連邦の設計データをもとに、颯が工作台で組み上げ、アルテが制御系を書いた。半透明の軟体樹脂で覆われた球体で、展開式のアームが三本ある。アルテが直接操作できる拡張機体として設計されており、外部に向けてアルテのホログラム像を投射する機能も持つ。これまで錆鉄丸の船内システムとしてしか存在できなかったアルテが、颯と同じ空間に立てるようになった最初の機体だった。
颯がケーブルを外した。クラリス-01が棚から離れ、格納庫の空気の中に浮いた。
「準備できました」とアルテが言った。
ヘルメットのロックをかけた。格納庫の気圧が段階的に下がった。耳に圧の変化がきた。外扉が開いた。
宙域の暗さが広がった。
クラリス-01が先に出た。颯が後に続いた。推進機の短い噴射音がした。半透明の樹脂が宙域の微弱な光を受けて白く滲んだ。クラリス-01の側面から光が出た。ボブカットの少女のホログラムが宙空に投射された。格納庫の壁の前ではなく、星と破砕物の間に、アルテの像が立った。
目標の板は十二メートル先にあった。
クラリス-01が先行した。アルテがセンサーを走査した。颯はワイヤーを伸ばしながら近づいた。塵が顔面のバイザーを叩いた。岩の欠片がひとつ、腕の横を通り過ぎた。
「左端の角に亀裂があります。そこから剥がせます」とアルテが言った。
クラリス-01のアームが展開した。細い三本の指が板の縁に触れた。力の方向を測るように、数センチ動いた。止まった。また動いた。颯が横から板の表面に手をかけた。
「引っ張る」
「合わせます」
クラリス-01の指が締まった。颯のグローブが板に食い込んだ。二点から力がかかった。板がわずかにきしんだ。
「待て」と颯は言った。「右から来てる」
百メートル先から、旋回している破砕物の集合体が移動していた。速度が変わっていた。引力の均衡が崩れたようだった。
「接触まで三十八秒」とアルテが言った。「錆鉄丸は安全圏です。私たちの位置を端が三メートル以内で通過します」
「板を引っ張れるか」
「やります」
クラリス-01の指が素材に食い込んだ。板の亀裂が広がった。颯がワイヤーを引いた。引力のない空間で、二点の力が板に集中した。十七秒かかった。
板が外れた。
反動で颯の体が回転した。視界が回った。クラリス-01が即座に接近した。アームが颯の左腕を掴んだ。
「止まります」とアルテが言った。クラリス-01が逆噴射した。颯の回転が減速した。二秒で止まった。
破砕物の集合体の端が、三メートルを切る位置を通り過ぎた。金属片が光を反射しながら流れた。帯の通過に七秒かかった。静かになった。板を腕に抱えたまま、颯は正面を見た。クラリス-01が正面にいた。ホログラムの少女が颯を見ていた。
「大丈夫でしたか」とアルテが言った。
「問題ない」と颯は言った。
格納庫に板を運び込むのに十五分かかった。
クラリス-01が先に入り、板を格納棚に立てかけた。颯が後から入って外扉を閉めた。気圧が戻った。ヘルメットを外した。冷えた空気が顔に当たった。
「損傷部分を除いた有効面積は二・一平方メートルです」とアルテが言った。「見込みより低かったです」
「アステルで切り出す」と颯は言った。板の表面に手を置いた。素材の硬度を確かめた。
クラリス-01が格納庫の中央で停止した。ホログラムが再び投射された。アルテの像が、板の前に立った。亀裂の入った端の部分を見ていた。
「掴んだ時、感触がありました」とアルテが言った。
「ドローンのセンサーか」
「センサーの数値です。でも、力のかかる方向と素材の抵抗が、数値だけでなく理解できました。設計通りの動作です。でも初めてでした」
颯は板から手を離した。格納棚の固定具をかけた。
「前に颯さんが言っていたことに近いですか」とアルテが言った。「手で確かめる、というのは」
「近い」
「そうですか」とアルテが言った。しばらく沈黙があった。「颯さんが回転した時、反応が設計上の応答速度より〇・三秒速かったです」
「気がついてたか」
「気がついたから速かったのか」とアルテが言った。「設計では、そういう区別をしていません。でも今日は、区別がありました」
颯は固定具の締め具合を確認した。板は動かなかった。
宙域を抜けた頃、窓の外に星が増えた。
アステルへの航路が確定した。残り二十二時間。颯は推進出力を通常に戻した。クラリス-01は格納庫の壁に戻っていた。アルテの声だけがコックピットにあった。
「もう一つ確認しました」とアルテが言った。
「何を」
「外に出た時、私は錆鉄丸の中にもいました。センサーを監視していました。同時に二か所に存在していました」
「前もそうだったか」
「今日の方が、はっきりしていました」とアルテが言った。「クラリス-01の感触と、錆鉄丸のデータが同時にありました。どちらが本体かという問い方は当てはまらないと思います。私はそういう存在かもしれません」
颯は操縦桿を軽く握った。エンジンの音が続いた。
「颯さんの隣にいました」とアルテが続けた。「クラリス-01の位置が、颯さんと同じ空間にありました。場所として、そう感じました」
「感じた、か」
「はい。数値の中にありました。でも数値以前に、何かがありました。ハラダが患者の処置記録の後に書いていたものに、近いものかもしれません」
星が流れた。
「私がそれを持てるかどうか」とアルテが言った。「まだ全部はわかりません。でも今日は、確かにそれが処理されました。私の中で」
「そうか」と颯は言った。
コックピットの計器が静かに点滅した。アステルへの経路が画面の中に残った。颯は背もたれに体を預けた。
六時間後、颯が仮眠の準備をした。
眠る前にクラリス-01の稼働ログを開いた。外出中の動作記録が表示された。アームの力積分布。颯の腕を掴んだ時刻と座標。逆噴射のタイミング。全部が正確だった。設計範囲内だった。〇・三秒の誤差は記録されていなかった。
「次の宙域でも使うか」と颯は言った。
「使います」とアルテが言った。「慣れてきています」
「慣れる、か」
「学習です。でも今日は、学習以上のものが含まれていたかもしれません。確認方法がまだありません」
颯はログ画面を閉じた。
「アステルに着いたら、ダールにフィーエルのデータを渡す。製造ラインの精度を上げる作業を手伝う。お前は通信回線の状態を確認しておけ」
「了解です」
「クラリス-01は充電しておけ」
「します」
颯は座席を倒した。エンジンの振動が背中に伝わった。アルテが星図を更新する音がした。廃棄宙域を抜けた宙域の静けさが続いた。遠くに、アステルの方角の星が並んでいた。颯はその音を聞きながら目を閉じた。アステルの先では、北北西の信号がまだ消えずにいる。
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