治癒の夜
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夜の病室で、M-0144だけが処置を続けていた。
夜が深くなった。
廊下の灯りが落ちていた。病室はM-0144のインジケーターだけが光を出した。青白い点が横に並んで、ヒデオの寝顔を下から照らした。駆動音は低く、一定だった。空調の音とほぼ同じ高さで、しばらく聞いていると区別がつかなくなった。
颯は壁際の椅子に座っていた。背もたれに体を預けていた。目蓋が重かったが、閉じなかった。インジケーターが全部点いているのを確認するたびに、少しだけ体の緊張がほどけた。
「颯さん」とアルテが言った。機器スピーカーから来た声は低く抑えられていた。廊下に漏れない音量だった。
「何時だ」
「深夜〇時十七分です。処置開始から二時間四十分が経過しました」とアルテが言った。「神経系深部の第二接合領域の細胞修復、四十一パーセント完了。ハラダの補記事項の中間推計値と一分以内の誤差で一致しています」
颯がヒデオを見た。目を閉じたまま横になっていた。呼吸は浅いが乱れていなかった。胸が規則正しく動いた。
「痛みが出た場合の対処は」
「三十二分時点で微小な痙攣反応を一度検出しましたが、機械が自動で修復速度を落として感覚遮断パルスを調整しました。ヒデオさんは気づいていませんでした。ハラダの患者四番の記録に同じ処置が書いてあります。手順通りです」
颯は答えなかった。
インジケーターが点いていた。音が続いた。
廊下で車輪の音がした。引き戸がわずかに開いた。ハナだった。車椅子を自分で動かしていた。廊下の灯りが落ちていたから、インジケーターの光を目印に入ってきた。颯を見て止まった。
「起きていたんですね」とハナが言った。
「入れ」と颯は言った。
ハナが車椅子でゆっくり進んだ。引き戸を音が出ないように戻した。机の横まで来て止まった。インジケーターを見た。全部点いていた。昼と同じだった。
「眠れませんでした」とハナが言った。
「そうか」
「機械は——問題ありませんか」
「アルテ」と颯が言った。
「処置、継続中です。現在まで問題はありません」とアルテが言った。
ハナが少し体の力を抜いた。それから病室の台に据えたM-0144を見た。アクチュエーターが動く音は小さかったが、確かに動いていた。
「ハラダという人が書いた設計なんですね」とハナが言った。
「M-0144の設計者だ」と颯は言った。「今はアステルでコールドスリープからの復帰療養中だ」
「颯さんが運んできたから、ここにあるんですね」
颯は答えなかった。
「ヒデオに使えるか、ずっと——」とハナが言いかけた。途中で止まった。「わかりませんでした。届くか。届く前に間に合うか。颯さんが来るまで、わからないままでした」
「アリスとカレンが作った。セイが素材を集めた。アルテが設計を読んだ」と颯は言った。「一人の話じゃない」
「それでも、颯さんが運んできた」
颯は窓の外を見た。暗かった。星が見えた。
「寝ていろ」と颯は言った。「体が持たない。アリスが朝に来る。それまで休め」
ハナが颯の顔を見た。颯は窓から目を戻さなかった。しばらく間があって、ハナが車椅子を動かした。
「おやすみなさい」とハナが言った。
引き戸がゆっくり閉まった。足音が遠ざかった。駆動音だけが残った。
夜明けが来た。
颯が椅子で目を覚ました時、窓の外が白んでいた。機械の音は変わらず続いていた。関節が重かった。首を動かすと鈍い音がした。
「颯さん」とアルテが言った。
「ん」
「夜明けです。処置進捗、七十三パーセントです。推計より十一分早い進行です」
「早い理由は」
「ヒデオさんの細胞応答がハラダの患者四番の記録と類似した傾向を示しています。回復速度が予測より高い。ハラダの設計は最も遅い回復速度を基準に計算してあります。実際の患者が速く回復することは設計の想定内です」
颯が立ち上がった。ヒデオを見た。
ヒデオが目を開けていた。颯に気づいた。
「おはよう」とヒデオが言った。昨夜と比べて声が出た。
「起きたか」
「夜中に——何か動いている感じがしていた」とヒデオが言った。「痛くはなかった。ただ動いている感じだけあった。暖かかった」
颯はインジケーターを見た。全部点いていた。
アリスが来たのは夜明けから一時間後だった。タブレットを持っていた。部屋に入って颯を見た。
「徹夜ですか」
「椅子に座っていただけだ」
アリスはそれ以上言わなかった。ヒデオのそばに座って数値を確認した。M-0144の表示をタブレットに転送した。長い時間、数字を見た。
「予測よりいい」と言った。静かな声だった。
「アルテも同じことを言った」
「八十一パーセント完了。あと五時間でこの段階が終わります」とアリスが言った。タブレットを持ち直した。「ハラダの補記事項の校正値——実際のデータで有効が確認されました。颯さんは休んでください。私がここにいます」
颯は少し間をおいた。「機械は問題ないか」
「問題ありません」とアリスが言った。「ハラダの設計は、今夜の結果で証明されました」
颯が錆鉄丸に戻ったのは朝だった。
メインデッキに横になった。天井を見た。鉄の匂いがした。エンジンは止まっていた。格納庫の静けさだった。
「アルテ」と颯は言った。
「はい」
「ハラダはどういう気持ちで記録を書いたと思う」
間があった。
「わかりません」とアルテが言った。「ただ——記録の書き方を見ると、急いで書いた痕跡がありません。処置後の数値だけでなく、患者の様子を時間をかけて書いています。何を感じていたかは書いていない。でも、書くことを選んでいます」
「そうか」
「今夜、私はヒデオさんの細胞応答を数値として記録し続けていました」とアルテが言った。「数値は正確です。でも、ハナさんがインジケーターを見た時の顔を昨日記録したデータを、今夜も何度か参照しました。数値にできないものが、データの中にあります。ハラダの記録にも同じものがあります」
颯は天井を見ていた。
「ハラダも患者を見ながら書いていたかもしれません。推測ですが——記録しておいていいですか」
「好きにしろ」と颯は言った。
「記録します」とアルテが言った。
颯は目を閉じた。鉄の天井が暗かった。格納庫の静けさが続いた。
三日後。
颯が格納庫で作業していると、カレンが来た。
「颯さん。来てください」
廊下に出ると、ヒデオが壁に手をついて立っていた。ハナが横にいた。アリスがうしろに控えていた。セイが廊下の端から腕を組んで見ていた。
ヒデオが颯を見た。
「立てました」とヒデオが言った。声に力があった。三日前と違う声だった。
颯は何も言わなかった。
「機械を——近くで見てもいいですか。使っている間、形がよく見えませんでした」
「来い」
ヒデオが壁から手を離した。ゆっくり歩いた。廊下を五歩進んで病室の入口で止まった。そこまで来た。ハナが隣を一緒に歩いた。
「これが」とヒデオが言った。M-0144を見た。インジケーターが一部点いていた。待機状態だった。「ハラダという人が設計したんですね」
「そうだ」
「颯さんが運んできて、フィーエルのみんなが作った」
「そういうことだ」と颯は言った。
ヒデオが机の前まで来た。接合部を目で追った。アリスとカレンが手を動かした継ぎ目を見た。一周してから颯を見た。
「ありがとうございます」とヒデオが言った。
窓から昼の光が差し込んでいた。廊下の奥でカレンが何か作業している音がした。アリスがタブレットに数値を記録していた。ヒデオが壁に手をつかずに立っていた。
「アルテ」と颯は言った。
「はい」
「記録しておけ」
「記録しています」とアルテが言った。「旧暦二二八七年——今日の日付で。ヒデオさんが支えなしで医療区画を横断した日として。新型のM-0144完成から三日後として」
ヒデオが少し息を吐いた。ハナが隣で目を細めた。颯は笑わなかったが、インジケーターの点灯を確認してから窓の光の方を向いた。
M-0144は待機状態に戻っていた。次に届ける場所は、もう星図の上にある。
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