解析の朝
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アリスは朝になる前から、貨物区画の前に来ていた。
朝、アリスはもうハンガーにいた。
颯がハッチを開けて外に出た時、アリスは貨物区画の扉の前に立っていた。作業着を着替えていた。手に計測器を持っていた。
「早い」と颯は言った。
「夜はほとんど眠れませんでした」とアリスが言った。謝罪も言い訳もない声だった。「昨夜から設計書を読み返していました。精密部品の規格を、頭に入れておきたかったので」
颯は貨物区画の鍵を解除した。扉が開いた。一番手前の棚に、木目調の箱があった。昨日のまま動いていなかった。
「開けていいですか」とアリスが言った。
「持ってきたものだ。あんたの判断でいい」
アリスが箱に手をかけた。蓋を外した。内側の仕切りが見えた。精密部品が一つずつ収まっていた。柔らかい素材で包まれていた。アリスが最初の部品を取り出した。両手で持った。計測器を当てた。数値を読んだ。
何も言わなかった。
颯はアリスの顔を見た。計測器の画面に目が止まっていた。もう一度数値を読んだ。また読んだ。
「公差〇〇三ミリメートル以内です」とアリスが言った。「設計書の要求値内どころか、上位規格に相当します」
「旧連邦の工場で作られたものだ」
「それはわかっています」とアリスが言った。「わかっていますが——」
言葉が止まった。アリスが部品を箱に戻した。次の部品を出した。同じように計測した。同じように黙った。颯は待った。
「全部、この精度だったら——」とアリスが言った。「M-0144の完全仕様機が、本当に作れます」
そこにカレンが来た。
「アリスが来ないから探してたら、もう始めてる」とカレンが言った。ハンガーの中に入ってきた。箱を見た。「これが、ハラダの施設にあったもの」
「そうだ」と颯は言った。
カレンが部品の一つに手を伸ばした。持ち上げた。指先で表面を撫でた。
「重さが均一です」とカレンが言った。「表面の仕上がりも。旧連邦の時代って、どこまでこういうものを作れたんだろうって、いつも思います」
「設計書を見ても、作る機械がなければ作れません」とアリスが言った。「このレベルの精度を出す工作機械は、今の施設にはない。だから輸送するしかなかった」
「颯さんが取ってきてくれた」
「ハラダが残していたものだ」と颯は言った。「俺はただ運んだ」
カレンが部品を置いた。箱の中の他の部品に目を向けた。
「十六個、全部使うんですか」
「設計書の組み方による。完全仕様で組む場合と、最低限の機能だけを先に稼働させる場合で変わります。今は全部を確認してから判断します」とアリスが言った。
計測作業が始まった。
アリスが部品を一つずつ取り出し、計測器で数値を確認し、記録用端末に入力した。カレンが補助した。颯はハンガーの端に立ってそれを見ていた。
「颯」とアルテが言った。耳の受信機に声が届いた。
「何だ」
「アリスさんの計測を補助できます。設計書の数値と照合して、許容範囲を超えた場合にアラートを出せます。端末の通信を許可してもらえますか」
颯はアリスに顔を向けた。「アルテが設計書の数値と照合する、と言っている。端末を繋いでいいか」
「接続できますか」とアリスが顔を上げた。
「できるそうだ」
アリスが端末の設定を変えた。短い確認作業の後、アルテが接続した。
「照合開始します」とアルテが言った。「三番部品、許容値内。四番部品、許容値内——」
計測の速度が上がった。アリスが計測器を当てると、アルテが設計書の数値と照合した。人の手だけで行う時より、作業に余白ができた。アリスの目線が落ち着いてきた。
「助かります」とアリスが端末に向かって言った。
「設計書のデータは精密です」とアルテが返した。「ハラダが作った仕様書は、照合の基準として信頼できます」
カレンが颯の方を見た。「アルテって、こういう作業もするんですね」
「できることはやる」と颯は言った。
「颯さんと同じですね」
颯は何も言わなかった。カレンが部品を持ち上げて、また仕上がりを確かめていた。
セイが来たのは昼前だった。
ハンガーに入ってきて、棚の上に並んだ十六個の部品を見た。計測作業は終わっていた。
「全部確認が終わりました」とアリスが言った。「全部品、設計基準を満たしています。うち、十一個は上位規格相当です」
「上位規格」とセイが繰り返した。
「完全仕様で組み上げられます」
セイが部品を一つ手に取った。重さを確かめるように、少しだけ動かした。また置いた。
「ハナとヒデオの容態は」と颯が言った。
「昨日より安定しています」とセイが答えた。「初回治療で戻った機能は安定しています。ただ、完全仕様機ができれば、第二段階の処置に入れます。特にヒデオは、神経系深部に残った難治部位が複数あって、今の機の出力では届かない領域があります」
「いつ組み上げられる」とアリスに向けて颯が言った。
「三日から五日で基本動作確認まで。一週間あれば完全稼働状態にできます」とアリスが答えた。「問題が出た場合はその限りではありませんが」
「わかった」
「颯さん」とセイが言った。「ハラダの施設から、これだけのものを持ち帰るのは——容易ではなかったと思います」
「特に難しいことはなかった」と颯は言った。
「そういう言い方をするんですね、あなたは」
颯は何も言わなかった。セイが小さく息を吐いた。
午後、アリスが作業台に部品を並べ始めた。
カレンがそばで補助素材を確認していた。M-0144の補助フレームに使う材料だった。以前フィーエルで集めたものと、ハラダの施設から持ってきた液体素材を組み合わせる計算をしていた。
「アルテ」とアリスが端末に向かって言った。
「はい」とアルテが返した。
「液体素材の配合ですが、設計書の推奨比率は環境温度によって変動しますか」
「変動します。フィーエルの現在気温と湿度を取り込んで計算します」
しばらく間があった。
「修正した推奨比率を送ります。カレンさんの作業端末に届けますか」
「お願いします」
カレンの端末に数値が届いた。確認した。アリスに見せた。アリスが頷いた。
颯はそのやりとりを見ていた。
「颯」とアルテが言った。受信機に声が届いた。
「ん」
「今、複数の計算を並行して実行しています。液体素材の配合、温度変数の補正、フレーム接合部の強度計算——セイさんが提示した患者データとの照合も加わっています。ヒデオさんの神経系深部の損傷マッピングを参照しています。完全仕様機の処置精度なら届く箇所があります」
颯は何も言わなかった。
「ハラダが設計した数値が、ヒデオさんに届く」とアルテが続けた。「その変換の過程を、今、計算の中で見ています。昨夜言っていたことです。素材が治療になる過程を見ていたいと」
「見えているか」
「計算として見えています。ただ——計算以上のものを感じています。処理負荷が上がっているわけでも、エラーが出ているわけでもありません。ただ、この計算に意味があると判断しています」
「以前と違うか」
「以前の私なら、意味という概念を数値化しようとしていました。今は数値化しなくていいと思っています」
作業台ではアリスが部品の配置を確認し、カレンと話していた。フレームの材料を見ながら手を動かしていた。
夕方、セイが食事を持ってきた。
ハンガーの片隅に簡易の食事スペースが作られた。四人で座った。
「アルテは」とカレンが言った。
「食事はしない」と颯が答えた。
「そりゃそうか」とカレンが笑った。「でも——ここにいる感じがするんですよね。今日も一日、計算してくれてたし」
「止まらない」
「アルテが確認しています」とアルテが受信機から言った。「計算は続いています。食事を妨げる意図はありません」
カレンがまた笑った。颯はそれを見た。
「ハラダの施設には、何があったんですか」とセイが言った。
颯は少し考えてから話した。貯蔵庫のこと、木目調の箱のこと、記録が残されていたこと。必要な部分だけを話した。
「ハラダという人は、丁寧な人だったんですね」とアリスが言った。「部品の保管状態も、記録の残し方も、設計書の精度も——すべて一貫しています」
「最後まで仕事を続けた人だ」と颯は言った。
「ハラダは今、どちらに」とカレンが言った。
「アステルにいる」と颯は言った。「コールドスリープから戻ったところだ。しばらくは療養が必要だと聞いた」
三人が黙った。アリスが視線を箱のある方向に向けた。セイが汁物を手に持ったまま止まっていた。
「だから——」とカレンが言った。静かな声だった。「M-0144が完成したら、結果をハラダに送れる」
「そうだ」と颯は言った。
「設計した人に届く」
颯は何も言わなかった。アリスが手元の記録端末に目を落とした。何かを書いているわけではなかった。ただ手元に目を向けていた。
「ハラダが設計した数値は今日、照合が完了しました」とアルテが言った。「明日から組み上げが始まります。患者が回復した時、その経過をアステルに送ることができます。ハラダが残したものは今、機能しています」
セイが汁物をすすった。
「明日から本格的に始めますか」とアリスがセイに言った。
「はい」とセイが答えた。「ヒデオの容態を見ながら、確実に」
「わかりました」
食事が終わった後、颯は外に出た。
フィーエルの空だった。昨夜より雲が少なかった。星が見えた。
「颯」とアルテが言った。
「ん」
「今日の照合作業は有効でした。配合比率に修正が三点必要でした。明日の作業に反映します」
「助かる」
「もう一つ報告があります」
「何だ」
「午後の照合中に、設計書の補記事項を読み込みました。公式仕様書の外に、調整ノートのようなものが記録されています。患者の体格差や代謝速度の違いによる出力調整の指針です。ハラダが実際に使用した記録から導いたと書かれています。日付はコールドスリープに入る数年前です」
颯は黙った。
「アリスさんに明日伝えます。この補記事項があれば、個別の患者への対応精度が上がります」
「そうだな」
「ハラダは最後まで、誰かが使うことを前提に書いていました」とアルテが言った。「今、その誰かがフィーエルにいます。そしてハラダもまだいます」
風が来た。草の匂いがした。どこかで動物か機械か、低い音がしていた。フィーエルの夜の音だった。
颯はハンガーの中に戻った。錆鉄丸の前に立った。作業台の上に、明日の組み上げ用に並んだ部品があった。アリスが配置を決めてから作業に入れるように、順番をつけて置いてあった。
ハラダが設計した数値が、明日から動き始める。
颯は作業台の上の部品を見た。明日、数字はヒデオの体で試される。
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