貯蔵庫の沈黙
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貯蔵庫の棚は、取り出す順番まで決められていた。
廊下の奥まで光が届いた。ランプは三本に一本だけ点いていた。残りは暗いままだった。それでも足元は見えた。
颯は壁を確認しながら進んだ。鉄の匂いが濃かった。時間が積もった匂いだった。壁面に小さな亀裂が何箇所かあった。颯は各割れ目に指を当てた。気流はなかった。空気が外に逃げていない証拠だった。
「配置図が端末から読めました」とアルテがインカムから言った。接続は安定していた。「三層構造です。最下層が素材保管区画です。エレベーターは止まっています。階段が使えます」
「電力はどこから来ている」
「外壁南面の太陽電池パネルです。出力は定格の十八パーセントです。照明と基本換気を維持するだけの量です」
十八パーセントで照明が点いている。ハラダが設計したか、旧連邦の設計が堅牢だったかだ。いずれにせよ、施設はまだ息をしていた。
階段を見つけた。手すりが錆びていた。体重をかけると音が出た。崩れなかった。一段ずつ確認しながら降りた。
「気圧は正常範囲内です」とアルテが言った。「ただ酸素濃度がわずかに低い。二時間程度は問題ありませんが、長時間の作業では補助が必要になります」
最下層に出た。手動のラッチ式の扉があった。レバーを押し下げると内側から鈍い音がして開いた。
冷たい空気が流れてきた。廊下よりも低い温度だった。冷却システムの一部が動いていた。
颯は一歩入った。
広かった。
左右と正面の三面に棚が天井まで並んでいた。段ごとに異なる形状の容器が整然と置かれていた。金属缶、密閉瓶、耐圧容器。ラベルは旧連邦の規格書式だった。細かな文字と記号が並んでいた。
「読んでいます」とアルテが言った。
颯は最も近い棚の前に立った。ラベルの記号を見た。颯には読めなかった。アルテが読んでいた。
しばらく沈黙があった。
「M-0144の合成に必要な素材が、十四種類確認できます」とアルテが言った。「うち九種類はここに在庫があります。残りは別区画の可能性があります」
「状態は」
「密閉容器の多くは正常です。冷却が維持されていたことが効いています。ただ、一部の容器は密封材が劣化しています。中身の確認が必要です」
颯は棚を一列ずつ確認した。劣化している容器には目印のテープを巻いた。全体の二割程度だった。八割は外観上は問題がなかった。
奥の壁に端末が一台あった。旧連邦の規格のものだった。電力表示が点いていた。
颯は端末の前に立った。画面に触れると、ログイン画面が出た。
「管理者認証が必要です」とアルテが言った。「ハラダの記録に認証情報が含まれているか確認します」
一分ほどかかった。
「あります。パスワードをリモートで入力します」
管理画面が表示された。素材の在庫リスト、入出庫記録、管理ログが並んだ。
「最終アクセス日時は旧暦二二七六年三月十一日です」とアルテが言った。「ハラダの消息が途絶えた時期と重なります」
颯はそれを聞いた。計算した。十一年前だった。
「最後に何をした」
「在庫の確認と素材リストの更新です。それから、この施設の管理権限を個人登録から削除しています」
「どういう意味だ」
「管理者情報が空白になっています。ハラダは自分の名前を消した。所有者のいない施設になりました」
所有者のいない施設。颯はその言葉を頭の中に置いた。
「同じタイミングで」とアルテが続けた。「素材リストの整理と補充も行っています。欠品していた素材を三種類補充しています。出発前に棚卸しをしてから出た、という解釈も成り立ちます」
出発。あるいは、もう戻らないことを知っていたのか。記録には残っていなかった。
棚の中腹あたりに、他の容器と違うものがあった。木目調の外装をした小さな箱だった。四十センチほどの立方体だった。ラベルに記号はなかった。手書きの文字が一行だけ書いてあった。
颯はカメラに向けた。
「判読に少し時間がかかります」とアルテが言った。三十秒ほどかかった。「『未使用。最初に使う人へ』と書いてあります」
颯は箱を手に取った。重さがあった。ラッチを外して蓋を開けた。
小さな金属部品が緩衝材に包まれて並んでいた。一つひとつが区切られていた。全部で十六個あった。各部品には細い糸で小さなタグが付いていた。
「M-0144のコアユニット用の精密部品です」とアルテが言った。「現在は製造されていない規格です。このうち四点があれば、完全仕様のM-0144が作れます」
「フィーエルで使っているものと違うか」
「フィーエルのM-0144は、代替部品で一部の機能を補っています。これがあれば治療精度が上がります。特に神経系深部への到達範囲が広がります。ハナさんが日常動作で支障を感じている、指先の細かい運動制御にも踏み込める可能性があります」
颯は部品を一つ持ち上げた。手のひらに乗る大きさだった。軽かった。精密機械の軽さだった。
蓋を閉めた。
ハラダは最初に来る人間のためにこれを置いていた。管理者の名前を消して、所有者のいない施設にした。誰でも入れるように。颯のような人間がいつか来ることを、計算に入れていたのかもしれなかった。
「全体の在庫量を計算しました」とアルテが言った。「M-0144用の素材について、フィーエルで現在使用している量を基準にすると、約六十台分の追加製造が可能です。コアユニット用の精密部品は十六個、完全仕様が最大四台作れます」
「一度で持ち出せる量は」
「錆鉄丸の積載量を考えると、全量は難しい。優先順位をつけて選択する必要があります」
「精密部品と、フィーエルで補えない素材を優先する」
「了解しました。リストを作ります」
冷えた室温の中で颯は動き続けた。棚を確認した。アルテがリストを作った。颯が動き、アルテが読む。
一時間後、リストができた。
「優先度の高い素材を積めば、M-0144の素材改善として三十台分に相当します。ただし完全仕様化に使えるコア精密部品は四台分です。積み込みに颯が一人で行うと推定七時間から八時間です」
「今日始めるか」
「休息を挟んだ方が効率的です。気圧の差が体に負荷をかけています。今日は動線確保を行い、明日から本格作業を始める方がよいと思います」
颯は棚を見た。量を目算した。多かった。焦って壊す必要はなかった。
「そうする」
船に戻った。食事の準備をした。加熱パックを開けながら颯は考えた。
設計図がアルテのデータの中にあった。製造ラインがアステルにあった。患者がフィーエルにいた。素材がここにあった。これらが最初から別々の場所に分けられていた。
「ハラダは一か所にまとめなかった理由があったんだろうな」
「分散させることで、一つが見つかっても他が残る」とアルテが言った。「一人で全部を繋げないと意味がない構造です」
「誰かが繋げることを想定していた」
「記録からは確認できません。ただ、管理者の名前を消して所有者をなくした。それは特定の誰かではなく、条件を満たした誰かを待っていた、という解釈が成り立ちます」
颯は食器を片付けた。窓の外に施設があった。ランプが一つ点滅していた。消えては点き、点いては消えた。それでも消えなかった。
「アルテ」
「はい」
「感情モジュールについて、ハラダが書いていたこと。消えないから残した、という話」
「覚えています」
「この施設も同じだな」とアルテが静かに言った。「どちらも、消えないから残った」
颯は返事をしなかった。窓の外でランプが点滅を続けた。施設の中で十一年間、だれも来なかった。光だけが来て、素材が棚に並んでいた。
「休眠に入ります」とアルテが言った。「緊急時は起こしてください」
「分かった」
目を閉じた。室温が安定していた。エンジンが低く回っていた。眠りが来た。
翌朝、施設の作業を始めた。
最初にドッキングポートのシール材を補修材で補強した。三十分かかった。次に積み込みの動線を確保した。最下層から錆鉄丸の貨物区画まで、一直線に動ける経路を確認した。
「搬出順を最終確認しました」とアルテが言った。「精密部品の箱を最初に、次に液体素材の密閉容器、最後に固体素材の順です」
颯は最下層に戻った。ハラダの箱を両手で持ち上げた。廊下を歩いた。階段を上がった。ドッキングポートを渡った。錆鉄丸の貨物区画の棚に置いた。
一往復が終わった。
施設に戻った。次の容器を選んだ。アルテが状態を確認した。颯が持ち上げた。動線を歩いた。置いた。また施設に戻った。
作業が始まった。施設の中で、ハラダが整えて置いていったものが、一つずつ動き始めていた。棚の順番が、そのまま搬出の順番になった。
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