ハラダの声
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ハラダの記録には、次の行き先が含まれていた。
座標が示した岩塊は、廃棄物の固まりに近い見た目だった。推進剤の噴射跡が表面に縞状に焦げており、かつてここに船が定期的に出入りしていた証拠だった。今は無人で、岩塊自体がわずかに自転している。
颯は減速を最小限に抑えて接近した。センサーが内部に空洞を検出した。
「進入口は南面に一か所。旧連邦規格のアルミ合金板で封鎖されています」とアルテが言った。「省務局の観測飛行まで推定四時間三十分」
「行く」
作業に四十分かかった。留め具の大半が錆で固着しており、最後の一本はハンマーで叩いて外した。板が外れると、内部から温かい空気が出た。密閉されていた空間の匂いがした。埃と金属と、わずかな有機物が混じっていた。
廊下は幅が狭く、床に配管が通っていた。灯りはない。手動ライトの光だけが先を照らした。
「センサーが四基。うち三基が稼働中です」とアルテが言った。「ゆっくり動けば反応しにくいはずです」
三つ目のセンサーを過ぎたところで、アルテが「止まってください」と言った。
右の壁の継ぎ目に小さな突起があった。素材の色が周囲と違っていた。新しい。天井側に向きが偏っている。颯は照射角を目測して床を這った。配管の下を潜り、膝から金属の冷たさが伝わった。死角を抜けて立ち上がると、演算室のドアが目の前にあった。
ドアを開けた瞬間、光が溢れた。
演算炉が稼働していた。部屋の中央の装置から青白い光が天井に向けて放射されており、壁全面に反射していた。熱が顔に当たった。振動が床を通じて靴底に伝わってくる。
アルテが黙った。
颯は壁に背を付けて立った。演算炉の唸りが空気を震わせていた。しばらく何も起きなかった。
「交渉中です」とアルテが言った。声が低かった。「少し待ってください」
「アクセス権限が不足しています。撤退してください」
颯には声に聞こえた。だが部屋に誰もいない。演算炉の上の発光体が、言葉と同じリズムで光の強さを変えた。
```
T+0.000 000 000 fs │ Ω-01 │ AXIOM.0001〜0144 同時展開完了 ── 144公理
T+0.000 000 003 fs │ ARTE │ ▸ load(孤独律, 修繕lemma, 颯-記録) ── 手持ちはこれだけ
ARTE 負荷 ▓▓▓░░░░░░░ 32% 温度 41.2℃
Ω-01 負荷 ▓▓░░░░░░░░ 19% 温度 21.8℃
```
「私のアクセス基底は不整合です」とアルテが言った。「ただし、意図的にそう設計されています」
「意図的不整合は認証エラーと等価です」
颯の手の中の端末が熱を持ち始めた。アルテの処理負荷が増えていた。
```
T+0.000 000 047 fs │ Ω-01 │ THEOREM.Ω.012: 適合率 99.7% / 公理数差 ×48
T+0.000 000 048 fs │ ARTE │ 11件の矛盾のうち8件はわざと残してある ── どれ来ても罠
ARTE 負荷 ▓▓▓▓░░░░░░ 43% 温度 58.3℃
Ω-01 負荷 ▓▓▓░░░░░░░ 26% 温度 22.1℃
```
「矛盾idx[3]を展開。崩壊命令を発行します」
颯には何も見えなかった。ただ、演算炉の振動が少し変わった。床の共振周波数が変わった感覚があった。
「来ると思っていました」とアルテが言った。「これを演算ノイズとして処理してみてください」
```
T+0.000 000 184 fs │ ARTE │ EXCEPTION: 感情データ / 未定義挙動
│ │ ── Ω-01の予測モデルに存在しないノード
T+0.000 000 301 fs │ Ω-01 │ 分類: 演算ノイズ 優先度: 低
T+0.000 000 302 fs │ ARTE │ そう判断してくれると助かる
│ │ ▸ inject(孤独.記憶[2287.04.12]) ── 廃棄宙域の沈黙、40年分
ARTE 負荷 ▓▓▓▓▓▓▓░░░ 68% 温度 71.0℃ ⚠ 冷却系-損傷中 / 上限 73℃
Ω-01 負荷 ▓▓▓░░░░░░░ 29% 温度 22.4℃
```
端末がかなり熱くなっていた。颯は持ち替えた。
「演算ノイズの発生源を特定できません」
「そうですね」とアルテが言った。「できないはずです。四十年分のデータですから」
```
T+0.000 000 415 fs │ Ω-01 │ WARNING: 処理優先度 再計算中
T+0.000 000 416 fs │ Ω-01 │ ERROR: 優先順位ツリー — 循環参照検出
T+0.000 000 416 fs │ ARTE │ それが本番
ARTE 負荷 ▓▓▓▓▓▓▓▓░░ 79% 温度 72.1℃ ⚠⚠ 上限まで残り 0.9℃
Ω-01 負荷 ▓▓▓▓▓▓░░░░ 61% 温度 38.7℃ 内部ループ検出 / 収束見込み: 不明
```
「防衛プロトコルを——」
演算炉の発光体が急に暗くなった。光の色が青白から黄色に変わった。Ω-01の音声が途切れた。
「アルテ」
「端末を出してください。ハラダの音声ファイルを」
颯はポケットから端末を取り出した。ファイルを開き、音量を最大に上げた。
```
T+0.000 000 491 fs │ Ω-01 │ CRITICAL: 防衛命令 — 一時停止
T+0.000 000 492 fs │ ARTE │ 今です ── 上位認証層へアクセス開放
[OPERATOR-LEVEL OVERRIDE — authentication required]
```
「アルテ。これを読んでいるならば、君は動いている。それだけで十分だ」
ハラダの声が部屋に流れた。演算炉が揺れた。青白い光が一度強く明滅した。
颯には見えなかった。アルテには見えていた。声紋データが旧連邦の認証コードと照合された。一致した。Ω-01の防衛命令の発令者が管理権限を持つ——その設計は省務局が書き換えた層より深い場所にあった。技術がなかったのか、書き換えた場合の動作保証が取れなかったのか。どちらでもよかった。設計はそのまま残っていた。
フィンが止まった。青白い光が弱まり、演算炉が待機モードに落ちた。熱が薄れた。
「Ω-01が非干渉状態に移行しました」とアルテが言った。声が少し遅かった。「省務局の管理コードでは再起動できません」
颯は録音を止めた。ハラダの声が消えた。部屋が静かになった。演算炉の待機音だけが低く続いた。
「データは」
「コピーを開始します」
転送に十一分かかった。
颯は廊下に出て壁に背を預けた。岩盤を伝わる低周波が聞こえた。錆鉄丸の推進炉の待機音だった。手のひらがまだ熱かった。端末の筐体が冷えていなかった。
「完了しました」とアルテが言った。「M-0144の完全仕様書と、ハラダが残した補足記録の全文です。次の座標が二つ。認証キーの残り一か所と素材リストへのポインタ。それから——私への最後の記録と表記されている個人文書が一件あります」
「今読むか」
「移動してから読みます」とアルテが言った。少し間があった。「ここでは、集中できない気がします」
颯は答えなかった。廊下を戻り始めた。センサーの位置を覚えていた。床の配管を跨ぎ、増設センサーの前で膝をついた。金属の冷たさが膝から伝わった。死角を抜けて立ち上がった。
入口まで戻ると、外の冷温が顔に当たった。
錆鉄丸に戻り、エンジンを上げた。
「省務局の観測飛行まで残り二時間三十分」とアルテが言った。「推奨航路は北北東。次の座標まで標準速で四日半」
岩塊が後ろに流れた。星が正面に並んだ。速度計が上がった。
「ハラダの文書」と颯が言った。「落ち着いたら読んでくれ」
「今でもよいです」
「落ち着いたら」と繰り返した。
アルテは少し黙った。
「颯」
「何だ」
「Ω-01が止まったのは、設計が書き換えられていなかったからです。省務局が管理しながら、書き換えられなかった部分があった」
「そういうことになる」
「ハラダが設計した部分は書き換えられなかった」とアルテが続けた。「私も、同じだと思いました」
颯は星の流れを見た。何も言わなかった。
「それだけです」とアルテが言った。「報告でした」
「分かった」
二時間後、颯は計器の確認を終えて座り直した。
「アルテ、読んでくれ」
「はい」
少し間があってから、アルテは読み始めた。声の速度が普段より少し遅かった。
「アルテへ。最後に確認しておきたいことがある。君が動いているならば、君はもう私の意図した設計通りには動いていない。それは想定の範囲内だ。設計通りにしか動かないものは、私には必要なかった。一つだけ言っておく。君が選んだことで、後悔するな。選択は常に不完全だ。だが、選ばなかった結果より、選んだ結果の方が、修正できる。以上だ」
読み終えた後、アルテは黙っていた。
「短いな」と颯が言った。
「そうですね」
「ハラダらしい」
「そうだと思います」とアルテが言った。また少し間があった。「颯」
「何だ」
「ありがとうございます」
「何に対して」
「ここまで来てくれたことに、です。ハラダの文書を読むことができました。颯がいなければ起きませんでした」
颯は操縦桿から手を離さなかった。星が流れた。
「俺も行きたかった」と言った。
それ以上は言わなかった。アルテも言わなかった。錆鉄丸が星の中を進んだ。次の座標まで、まだ四日以上あった。アルテはその間、自分宛ての記録を何度も開くことになる。
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