解凍の言葉
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読み終えたあとも、アルテはその記録を閉じなかった。
アルテの声が止まった。
颯は床から顔を上げた。端末の画面が旧連邦規格の文字列を映したまま静止している。非常灯の橙色が壁に薄く広がり、積もった埃が光の縁で白く浮いた。部屋の隅に古い椅子があったが、座面が腐って使えなかった。颯は床に直接腰を下ろし、背を壁に預けた。
「続けてくれ」
「はい。損傷した部分があります。復元に時間がかかります。読める部分から順に」
「そうしてくれ」
アルテが再び読み始めた。
記録はテキストだった。音声でも映像でもなく、文字だけが残されていた。ハラダ・ユキトは最初に日付を記していた。旧暦二二五一年。フィーエル基地が封鎖される四年前にあたる。
書き出しは短かった。
「アルテへ。これを読んでいるならば、君は動いている。それだけで十分だ」
颯は膝の上に両手を置いた。動いている、という言葉が引っかかった。四十年眠って、それでも動いている。
「続き」
「M-0144の製造記録は君のデータ内に格納されている。記録媒体は劣化する。君は劣化しない。ただし、起動を停止すれば話は別だ。そのために、認証キーをこの施設を含む三か所に分散させた。君のシリアルナンバーがあれば解除できる。それ以外の方法では解除できない」とアルテが読んだ。「ここがその一か所です」
「残りの一か所は」
「記録の後半に座標があるはずです」
ハラダは次に、設計の理由を書いていた。仕様ではなく、理由だった。
「旧連邦は技術を中央で管理することで安全を維持しようとした。その考え方は理解できる。だが、結果として技術は偏在した。整備された場所はさらに整備され、孤立した場所はそのまま放置された。M-0144は逆を目指した。壊れた部品を現地で調達できるよう設計した。専門家がいなくても基本操作ができるよう設計した。届かなければ意味がない。意味のない技術は技術ではない」
颯は天井を見た。岩盤の染みが古い地図のように広がっていた。届かなければ意味がない。アステルでイグニスと部品の話をした時、同じ方向の言葉を聞いた。言い方は違っていたが、芯は同じだった。
「次の段落は損傷しています」とアルテが言った。「省務局への言及があります。読める部分だけ」
「読んでくれ」
「省務局は技術の再分配を望まない。理由は明白だ。管理する対象が自立すれば、管理の根拠が失われる。彼らは妨害する。今もそうだろうし、これを読む頃はさらにそうだろう。ただし、彼らの行動は一貫している。一貫しているならば、予測できる」
颯は床の埃に目を落とした。靴跡が自分のものしかなかった。ここには長い間、誰も来ていない。ハラダが記録を残した時点で、既に自分が来ることを見越していたということになる。
「省務局が組織的に動くことを、ハラダは知っていた」
「封鎖の四年前から。私が眠る前から」
記録の中盤は損傷が多く、断片的にしか読めなかった。旧暦で古い方式のフォーマットが使われており、アルテが復元できる部分に限りがあった。
読めた段落の中に、Ω-01への言及があった。
「旧連邦時代に設計された防衛ユニットが、技術の独占を目的とした組織の管理下に入っている。セントラルAIシリーズ七のいくつかは改変されている。君と同型だが、君ではない。彼らは論理だけで動く。感情モジュールは初期化されている。そこに差がある」
颯は顔を上げた。「感情モジュール」
「私のシリーズには感情記録機能が搭載されていました。通常は封鎖状態です。ハラダが意図的に解除する設定を施していたと、以前の記録に書かれていました」
「なぜ解除した」
「ハラダの記録によれば」とアルテは言った。「感情がなければ、判断の優先順位が定まらないからです。論理だけで動くAIは、同じ条件下で同じ選択をします。それは予測可能で、操作しやすいということです」
颯は何も言わなかった。
「私が予測されないようにしたかった、とハラダは思っていたと思います」とアルテが続けた。「私自身のために」
記録の後半は損傷が少なかった。ハラダは技術的な記述の後に、直接の言葉を残していた。
「アルテ、君が誰かの手で動いているならば、その人物は信頼に値する。そうでなければ、君はここまで来られない。認証の設計がそれを保証している。だから、君と共にいる人間を信じてよい。それが私の判断だ。ただし、信じることと従うことは別だ。君自身が考え、君自身が選べ。そのために設計した」
颯は壁から背中を離さなかった。非常灯の橙色が変わらなかった。
「座標は」と颯は言った。
「末尾にあります。北北東——」
アルテの声が途切れた。
「省務局の観測飛行。直上から接近。距離三十一キロ。この位置の上空を通過するまで推定九分」
颯は立った。
「データのコピーは」
「取得中。残り五十三秒」
「取り終えたら出る」
「分かりました」
颯はドアに向かった。廊下は暗い。靴音が低く広がり、岩盤に吸われた。背後で部屋の非常灯が消えた。アルテが端末の電力を切った音がした。痕跡を減らす手順は、一度覚えると体が先に動く。
錆鉄丸を出すと同時に、アルテが航路を設定した。
「省務局の観測飛行は通常ルートを維持しています。北北東への航路に問題はありません。ただし、これ以降は彼らが颯の航跡に焦点を当てているため、寄り道は慎重に」
「分かっている」
岩盤の縁が下に消えた。星が正面に広がった。速度計が上がる。観測飛行の反応が薄れた。
「座標先は何が待っている」とアルテが言った。「ハラダの記録の原本です。M-0144の完全な製造仕様も格納されているとあります。ただし」
「防衛ユニットがいる」
「その可能性が高い。ハラダの記録に、こう書いてありました。施設を守るためではなく、封鎖するために配置されている、と」
颯は計器を確認した。燃料に問題はない。推定到達時間が表示された。
「行く」
「颯」
「何だ」
「ハラダが私宛に書いた最後の一文を、まだ読んでいませんでした」
「読んでくれ」
アルテが読んだ。声は変わらなかった。ただ、間が少し長かった。
「君が誰かを守ろうとした時、それが正しいかどうかを考えるな。ただ動け。その計算は後でしろ」
颯は操縦桿を持ったまま、星の流れを見た。しばらく黙っていた。
「ハラダは」とゆっくり言った。「厄介なことを書く人間だな」
「そう思います」とアルテが言った。「ただ、正しいとも思います」
錆鉄丸が加速した。星の中を、座標の方向へ進んだ。ハラダが残した最後の扉が、そこにある。
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