岩盤に宿る光
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岩盤の奥には、外から見えない生活の灯りが残っていた。
颯はエアロックを抜けた。
磁気ブーツが岩盤に触れた感触があった。重力はほとんどない。小惑星の引力は大気も熱も持たず、ただ岩が岩のそばにある。颯は懐中灯を絞って足元だけを照らしながら進んだ。
背後でエアロックが閉まる音がした。
「現在位置を確認しています」とアルテが耳の中で言った。「最初の熱源まで百二十メートル。方位は十一時方向です」
「了解」
「岩の間隔が狭い箇所があります。防寒服の厚みを考慮して通れる隙間を計算しました。指示を出します」
「頼む」
「三メートル先を右に折れてください。その後、岩の下を這う形になります」
颯は言われた通りに進んだ。岩の表面に白い霜が張っていた。二億年以上ここにある岩だ。旧連邦の時代も、その前も、同じように自転していた。その岩の陰に人間が六十七人隠れている。
前方の影が動いた。
颯は止まった。
影が二つになった。防寒服に包まれた体型だが、両手に何か構えているのが分かる。金属の管から作ったような銃器だった。銃身が長く精度は低いだろうが、この距離では関係ない。
「止まれ」と男の声が言った。
「止まっている」
「手を上げろ」
颯は両手を上げた。一人が近づいてきた。もう一人は距離を保ったまま、照準を外さない。接近した男が颯の防寒服の外側を素早く確かめた。腰の工具ベルトに手が触れた。
「これは何だ」
「工具だ。ホウ素鋼のドライバーとレンチが二本。武器じゃない」
男がベルトを引き抜いた。颯はそのまま渡した。
もう一人の男がバイザーを颯に近づけた。その向こうで目が颯を見た。若い。二十代の前半か。目に怯えはなかった。この状況に慣れている目だ。外の人間を警戒することに慣れている。
「一人か」
「そうだ。船にAIが一台いる。来ない」
二人が短く通信を交わした。外部スピーカーを切っているのだろう。颯には届かなかった。
「来い」と最初の男が言った。
岩の隙間を縫う道があった。
知らなければ辿れない道だ。自然の岩の配置を最大限に使いながら、人工物の痕跡を最小限に抑えるよう設計されている。四十年かけて作り上げた道だと颯は思った。
歩きながら、颯は足元と周囲を記憶した。アルテに送るつもりで。岩の形状、隙間の幅、方角。帰り道は一人で戻ることになる。
光が見えた。
岩穴の入り口だった。発光素子が壁に貼り付けてある。薄く青い光で、熱をほとんど出さないタイプだ。省務局の赤外線索敵に引っかからないよう、熱放射を徹底的に抑えている。
中に入ると体感温度が上がった。完全な気密ではないが、断熱材が岩壁に貼り付けてある。天井まで五メートルほどの空間が広がっていた。
人がいた。
十数人が作業台や壁際に散らばっていた。全員が颯を見た。視線が一斉に集中する感覚があった。子供の顔も見えた。七、八歳くらいの子が二人、岩の陰から首だけ出してこちらを見ている。
女が前に出た。
背が低く、五十代に見えた。白髪が防寒服のフードから出ている。目が鋭い。視線が颯の全体を素早く見てから顔に戻った。
「設計図を送った者か」と女が言った。
「そうだ」
「一人で来た」
「約束した通りだ」
女はしばらく颯を見た。評価しているのだろうが、それを表情に出さない。通信機越しで聞いた声と同じ抑揚のなさだ。
「M-0144を見た」と女が言った。「製造可能な設計図だった。改変なしの本物だ」
「分かるか」
「私はウナという。旧連邦の医療技術局に十一年いた。省務局に統合される三年前まで」
颯は何も言わなかった。
「あの設計図を省務局が持っているなら、この四十年で医療成績が変わっているはずだ。変わっていない。持っていない。省務局があの設計図を探し続けているという情報はこちらにも入っていた」
「どこから情報が入る」
「逃げてくる者がいる。たまに。省務局管轄から出られた人間が流れてくる」
颯はその言葉を一度頭の中に置いた。「増えているか」
「じわじわと」とウナは言った。
颯は搬送ケースからM-0144の付属投与ユニットを取り出した。
室内が静かになった。
ウナが歩み寄って、両手でユニットを受け取った。電源パネルを確かめ、接合部を一つずつ指でなぞった。医療技術局出身の手つきだ。見る場所を知っている。
「電源があれば起動できる」
誰かがケーブルを持ってきた。颯がユニットに差し込んで電源を入れると、起動音が鳴り、診断画面が立ち上がった。
室内の人間が前に来た。子供たちも岩の陰から出てきた。ユニットの画面を見て、年上の子が何かつぶやいた。内容は聞こえなかったが、ウナが短く目を向けた。
ウナが画面を確かめてから、静かに息を吐いた。
「本物だ」と言った。
患者の話になった。
「重篤な者が二人いる」とウナが言った。「肺の問題だ。大気組成の変化に対応できていない。ここの大気は循環させているが、外から成分が少しずつ入ってくる。長年かけて組成が変わった」
颯はアルテに通信した。「聞こえているか」
「はい」と耳に返事が来た。「肺組成適応不全であればM-0144の適用範囲内です。段階的処置が必要で、三日から五日を見てください。一気に補正すると逆反応が出ます」
「処置できる」と颯はウナに言った。「ただし三日から五日かかる。急いでやると悪化する」
ウナが颯を見た。何かを計っているような間があった。
「案内する」
別の岩盤は十五分歩いた先にあった。
患者は別室に寝かされていた。老人と少年だった。老人は七十を過ぎているように見えた。少年は十六か十七くらいだ。老人は眠っていたが、少年は体を起こして颯を見た。まっすぐな目だった。怯えでなく、観察するような目だ。
「ヴィという」とウナが言った。「ここで生まれた。外の人間を見たことがない」
少年が口を開いた。「あなたが外から来た人間か」
「そうだ」
「フィーエルから来たと聞いた。フィーエルに人がいるのか」
「いる。基地がある」
少年は一度眉を動かした。何かを処理しているような間があった。「フィーエルというのは星だと聞いていた。星に人が住んでいるとは思っていなかった」
颯は少年の胸元に吸収パッドを固定し、投与ユニットから延びるチューブを接続した。アルテが数値を読み上げた。処置プログラムの手順をウナに伝えた。
ウナが少年に何か言った。少年は体を横にした。「終わったら教えてくれ」と言ってから目を閉じた。
老人の処置も終えて部屋を出た。廊下でウナが聞いた。
「治るか」
「五日で変化が出る。それで判断できる」
ウナはうなずいた。
夕食があった。
保存食に近いものだったが温かかった。颯はウナと向かい合った。
「ここはいつからあるか」
「最初の者たちが来たのが四十三年前だ。省務局の統合が本格化した時期だ。技術局、農業局、通信局、一つずつ吸収された。吸収を嫌って出た者が流れてきた」
「最初は何人だった」
「十二人だ」
「今は六十七人か」
「子供が生まれ、外から来た者が加わり、病気で死んだ者がいる。それで六十七だ」
颯は保存食を一口食べた。塩が少し強い。
「出て行く選択肢はなかったのか」
ウナは少し考えてから答えた。「最初の十二人のうちの何人かは試みた。省務局の監視を抜けられなかった。消えた。残った者が岩盤を選んだ」
「フィーエルやアステルの存在は知っていたか」
「知らなかった。省務局の監視帯域を避けていたから、外の通信もほとんど届かない」
颯はウナを見た。「繋げる方法がある。デルタという中継基地を経由すれば、省務局の標準帯域を避けられる。アルテが計算している」
「アルテというのが船のAIか」
「旧連邦のセントラルAI、シリーズ七だ」
ウナの目が少し変わった。「シリーズ七の多くはΩ-01に統合されたはずだ。私が局にいた頃、そういう話があった」
「全部じゃなかった」
「何体残っているか」
「分からない。アルテが確認できている分では、他に生きているシリーズ七はいない」
ウナはしばらく黙った。
岩盤の壁の向こうで子供の声がした。消灯前の声だろう。外を見たことのまま育った子供たちの声だ。
「明日、責任者を集める」とウナが言った。「颯、あなたに直接話を聞かせたい」
「分かった」
颯は残りの保存食を食べた。岩盤の壁は分厚く、外の冷たさを完全には消せなかった。それでも光があった。六十七人分の光が四十年間、消えずに続いてきた。
「アルテ」と颯は通信機に言った。
「います」とアルテが答えた。
「明日、責任者たちと話し合いがある。デルタ経由の通信計画を今夜中に出せるか」
「準備します。ハラダさんの記録から省務局の監視帯域データを取ります」
「頼む」
「颯」
「何だ」
「無事でよかったです」
颯は何も言わなかった。岩盤の片隅で、保存食の容器を壁に立てかけた。明日になれば、またここに光がともる。その光を消さないために、置いていく機材を決めなければならなかった。
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