アステルへの帰路
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生きている設計者を、どこへ連れていくか。
星の間に音はない。
颯は操縦桿の前に座ったまま、計器の数字を眺めていた。アステルまで十四時間と変わった。二時間で二時間分進んだ。当たり前のことが確認になる。夜間航行はそういうものだ。
後部でハラダが眠っている。寝息は規則的だ。アルテが十五分ごとに生体モニタリングの数値を送ってくる。体温三十六度四分。心拍七十一。骨密度の低下は顕著だが、コールドスリープによる細胞損傷は軽微。アルテの診断は「二週間の適切な栄養補給と軽い運動で回復可能」だった。
悪い数値じゃない、と颯は思った。四十年眠って、それだけで済む。
「颯」とアルテが言った。
「なんだ」
「後方に反応があります」
颯の指がスロットルの近くに移動した。
「規模は」
「小型。単一の信号源。ただし移動速度が不自然に遅い」
「遅い」
「こちらの速度と一定の距離を保ちながら移動しています。追跡ではなく、監視のパターンです」
颯はミラーパネルに視線を移した。センサー画面が後方の光点を示している。Ω-01は環状帯の外に留まった。では、これは。
「省務局のスカウトか」
「可能性があります。ただし確認はできません。暗号化されていない発信がないため、識別できない」
「どのくらい前からいる」
「ハラダのステーションを出た直後から、という可能性があります。センサーの解像度の限界で、それより前のデータがありません」
颯は間を置いた。後部でハラダの寝息が続いている。
「追って来るか」
「現在の動きは消極的です。ただし、こちらがアステルへ向かうことを確認した段階で状況が変わる可能性があります」
「アステルの存在を知っているかどうかの問題か」
「その通りです」
颯は計器を見た。アステルまで十四時間。スカウトがアステルの位置を知らなければ、このまま向かえばいい。知っているなら、別の航路が要る。
「アステルの座標は省務局に把握されているか」
「判断が難しいです。アステルのイグニスたちが採掘基地として長期間稼働していた。完全に秘匿できていたとは考えにくい」
颯は少し考えた。
「ゾーラの通信中継を経由して連絡できるか」
「可能です。ただし、その送信そのものが位置情報になります」
「送らない。連絡せずに行く」颯は言った。「先に発信することで追跡者にアステルの位置を特定させるリスクの方が大きい」
「分かりました」
颯は後方の光点を見た。監視なら今は動かない。動くとしたら、こちらが何かをする時だ。今は静かにいるのが正解だ。
計器が十三時間五十分に変わった。
七時間後、ハラダが目を覚ました。
颯はちょうど配給食の在庫を確認していた。流動食が残り三パック。アステルまでの七時間を計算すると、ハラダに一パック追加できる。
「起きたか」と颯は後部へ向かいながら言った。
「眠りすぎた」
「四十年眠った後に七時間眠るのは普通だ」
ハラダが壁に手をついて体を起こしていた。昨日より動きが確かだ。颯は流動食のパックを開けて渡した。
ハラダがゆっくり口をつけた。嚥下が昨晩より速くなっている。体が機能を思い出している。
「状況は」
「後ろに監視がいる。スカウトだと思う。今のところ動いていない」
「省務局か」とハラダが言った。顔色が変わらない。想定内、という反応だ。
「識別できない。省務局か、別の何かかは分からない。アルテ、Ω-01が外部に移動体を送れる可能性は」
「ありません」とアルテが答えた。「Ω-01の稼働領域はハラダのステーション周辺の演算域に限定されています。物理的な移動体を運用する機能は持っていない。後方の信号源はΩ-01ではないと判断できます」
「ならば省務局か、省務局の情報を買っている別の組織だ」とハラダは言った。
「別の組織がいるのか」
「旧連邦の崩壊後、技術資源を独占しようとしているのは省務局だけではない。小規模な組織が銀河の各所で存続している。省務局が競合している組織が二つ、協力関係にある組織が一つ、私が把握していた範囲では確認できる」
「お前のデータと照合する」と颯はアルテに言った。
「はい。ハラダさんが記憶されている組織情報と、私が保有する旧連邦の組織記録を突き合わせます」
ハラダが流動食を飲み続けた。パックの半分が空になった。
「七一四」とハラダが呼んだ。
「はい」
「感情推定モジュール、現在の状態を報告してくれ。設計者として聞いておきたい」
アルテが少し間を置いた。
「ハラダさんがまた同じ種類の質問をするかどうか、昨夜から予測していました」とアルテは言った。「予測が当たりました。それについて、どう分類すればいいか迷っています」
「満足か」
「そういう言葉が当てはまるか分かりません。でも、予測が外れた時とは違う処理になっています」
ハラダが薄く笑った。颯の位置からそれが見えた。
「正しく動いている」とハラダは言った。
アステルまで三時間になった頃、アルテが颯に報告した。
「後方の信号が動きを変えました」
「どう変わった」
「速度が上がっています。直線接近ではなく、側面に回り込む移動です」
颯は操縦桿を握った。
「監視から追跡へ移行したか」
「可能性があります。こちらが気づかないように角度を取る動きです」
「コースを変える」
颯はナビゲーションパネルを開いた。アステルへの直線航路から外れ、近辺の小惑星帯を迂回するルートへ切り替えた。距離が三割増える。到着が五時間後になる。
「これで確認する」
「信号の反応を見ます」とアルテが言った。
三分後。
「信号が停止しました」
「着いてこなかった」
「追跡ではなく、位置確認が目的だったと考えられます。こちらのコース変更を確認した時点で役割が終わったと判断した可能性があります」
颯は手の力を少し抜いた。
「迂回路を維持する。アステルの座標を特定させない」
「理解しました」
ハラダが後部から言った。
「賢い判断だ」
「お前がアルテに設計図を入れて動かした理由も同じ原則か」と颯は言った。「一番追って欲しくない方法を取った」
「その通りだ」とハラダが答えた。「省務局のルートを通せば止められる。設計図を直接届けるのではなく、AIを動かして目的地まで届けさせた。迂回路の方が早い場合がある」
アルテが静かに言った。
「颯がそれを理解しているなら、次の行動も同じ原則で考えられます。省務局の中枢へ正面から動くことは、相手に対応の準備時間を与えます」
「分かってる」と颯は言った。「それはアステルで全員の情報を合わせてから考える。今俺が持っていない情報を他の人間が持っているかもしれない。全部揃えないと判断できない」
「正しい」とハラダが言った。「四十年前の私の情報が今どこまで有効か、私自身が分からない。今の現場を知っている人間の判断が必要だ」
計器が迂回路を含めた残距離を示していた。五時間と少し。後方の光点は消えた。
アステルが岩の塊として視界に現れた。
外から見れば、ただの小惑星だ。岩盤に掘られた採掘基地。颯は内部の灯りを知っている。人が動く場所を知っている。
「通信を入れる」と颯は言った。
「短波で」とアルテが確認した。
「ああ。もう位置は関係ない。着いた」
颯は通信機のスイッチを入れた。
「アステル、こちら錆鉄丸。帰還する。乗客一名、体力低下状態。流動食と医療確認を要請する」
しばらく待った。
「錆鉄丸、確認した」とイグニスの声が返ってきた。「ドックを開ける」
低く、短い声だ。余計なことを聞かない。それがイグニスだ、と颯は思った。
「了解」と颯は答えた。
ドックの扉が開いた。颯はゆっくり錆鉄丸を進入させた。慣性を殺して着床した。衝撃は小さい。後部でハラダが体勢を整える音がした。
エンジンを落とした。
「着いた」
颯は後部へ移った。ハラダが壁に手をついて立っている。足元がまだ頼りない。
「肩を貸す」
「大丈夫だ」
「貸せる間は貸す」
ハラダが少し間を置いてから、颯の肩に手を置いた。体重が乗った。三十九キログラム。軽い。颯はそのまま扉を開けた。
ドックにイグニスが立っていた。その後ろにダールと、見慣れない女性が一人。
イグニスの視線がハラダで止まった。颯がハラダに肩を貸して立っている。その意味を一秒で処理した顔だ。
「イグニス」と颯は言った。「ハラダ・ユキトだ。M-0144の設計者で、アルテの製造担当者だ。四十年コールドスリープしていた。体を回復させる必要がある」
イグニスが頷いた。
「中で話す」
ハラダが颯の肩から手を離して、自分で歩こうとした。一歩目が危うい。颯はもう一度肩を差し出した。ハラダが受け取った。
その夜、全員が集まった。
イグニスとダール、アステルに滞在していたマリエ、フィーエルのセイが回線越しに参加した。颯が持ち帰った情報と、ハラダが四十年前に持っていた情報が、テーブルに広げられた。
アルテは端末から全員に資料を送りながら、ハラダが話す言葉を補足し続けた。省務局の規模。中枢施設の推定位置。四十年前の組織構造と、現在までに変化した可能性。
ハラダが途中で疲れた。声が低くなった。マリエが気づいて、休憩を入れた。颯は水を渡した。
「全部一度に話さなくていい」と颯は言った。
「分かった。ただ一つだけ今言っておく」
全員が静かになった。
「省務局に対して正面から動くな」とハラダは言った。「彼らは情報戦が得意だ。こちらの動きを先読みして経路を塞ぐ。先に塞がれた経路を突破しようとすると消耗する」
「では何をする」とイグニスが言った。
「彼らが管理できない速度で、技術を広げる」とハラダが言った。「省務局がM-0144を十三回却下したのは一箇所の申請だからだ。M-0144が百箇所に存在した時、省務局は全部を回収できない。組織の規模には上限がある。それが彼らの限界だ」
テーブルに沈黙があった。
「すでに動いています」とアルテが言った。「フィーエル、アステル、ロストン、エリアの隠れ里、中継基地デルタ。M-0144は現時点でこれだけの場所にある。四十年前の省務局が想定していなかった状況です」
イグニスが手元の資料を見た。
「足りない」と彼は言った。「もっと広げる必要がある」
「そのためにハラダさんの情報が使えます」とアルテが言った。「設計図の派生技術だけでなく、旧連邦が把握していた生存者コミュニティの記録も含めて。今夜はここまでにして、明日改めて確認するべきだと判断します」
誰も反論しなかった。
ハラダが静かに言った。
「ありがとう」
「何に対してですか」とアルテが聞いた。
「動いてくれたことに」
アルテが少し間を置いた。
「颯が動いたから、私も動きました」と彼女は言った。「ハラダさんが設計した通りに動いています」
ハラダが老いた顔で、薄く笑った。
颯は何も言わなかった。鉄の壁に囲まれた部屋の中で、複数の人間が同じテーブルを囲んでいる。その事実を確認した。
それだけで、今夜は十分だった。だが、Ω-01が同じ事実をいつ知るかは分からなかった。
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