覚醒と継承
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コールドスリープ装置の中にいたのは、過去ではなかった。
岩の壁が左右に流れた。
四秒で通り抜けた。視界が開いて、岩塊帯が消えた。別の宙域だ。星が増えた。
「後方は」
「Ω-01、三隻とも環状帯外縁で静止中」とアルテが答えた。「こちらの移動を検知していません。遮蔽が機能しています」
颯は一度振り返った。後方の計器に追跡の反応はない。錆鉄丸は岩の壁を抜けた。外からはただの岩塊に見える。ハラダが四十年前に設計した通路だ。
後部シートで物音がした。
ハラダが体を動かそうとしている。颯は操縦から目を離さずに言った。
「無理にするな」
「慣らしている」とハラダが答えた。声がかすれている。「長い間、使っていなかった」
「骨密度が低下しています」とアルテが言った。「立ち上がろうとすると転倒のリスクがあります。今は静止してください」
後部が静かになった。
「水があるか」
「ある」颯は操縦を短く自動に切り替えた。後部の収納ロッカーへ行った。水のパックを取り出して渡した。ハラダが受け取った。手が震えている。颯は引き取って開けた。ハラダが受け取った。
「ありがとう」
颯は戻った。操縦を引き取った。
ハラダが少しずつ飲んでいる。嚥下が遅い。長い間、使っていない体だ。コールドスリープ中に筋肉が萎縮した。脂肪が分解された。アルテが告げた三十九キロという数字は、六十代の外見に対して軽すぎた。
「Ω-01の話を続ける」と颯は言った。「今のうちに」
「そうしよう」
ハラダの声が落ち着いた。老いているが、意識は明確だ。四十年前に眠った頭だ。
「省務局の現在の規模は分からない。四十年で世代が変わっている可能性もある。ただ、組織の方針は変わらない。変えられない構造になっている」
「なぜ変えられない」
「根拠が信念だからだ」とハラダが言った。「省務局の論理は一貫している。技術の無秩序な普及が旧連邦を壊した。だから技術の統制が正義だ。この前提を崩せない限り、方針は変わらない。旧連邦が崩壊して四十年経っても、信念は続いている」
颯は前を見たまま聞いた。
「M-0144が十三回却下された理由も、同じ論理か」
「その通りだ」ハラダが水のパックを膝の上に置いた。「医療合成技術が広がれば、医療の中央管理が機能しなくなる。省務局は医療の流通を通じて人口配置を調整していた。どの居住区に何人が生き残るかを、治療技術の有無で間接的に制御していた」
コックピットに機械の稼働音だけが低く続いた。
颯の手がスロットルの上で止まったままだった。
「旧連邦は末期に人口過剰と資源不足に直面していた。省務局の答えは技術統制による死亡率の調整だった。医療だけではない。農業技術も、エネルギー技術も、省務局が審査権限を持っていた」
「崩壊後も続けている」
「資源と技術を持っていれば組織は続く。省務局は崩壊前から自前の船と設備を確保していた。生き残るための準備をしていた」とハラダは言った。「私が設計図を七一四に入れて動かそうとした理由の一つがそこにある。組織のルートを通せば止められる。迂回するしかなかった」
アルテが静かに割り込んだ。
「座標の照合が終わりました」
「言え」
「ハラダさんが話していた旧連邦中枢施設、星図の記録では大型港湾施設として分類されています。ただし、内部設計の規模と電力消費量のデータが通常の港湾と合いません。省務局が実際の用途を偽装して施設台帳に登録した可能性が高い」
「現在の稼働状況は」
「不明です。ただし、過去四十年分の通信記録を遡ると、同一の暗号方式を使った発信がその方向から複数回確認できます。四十年前の暗号と同じです」
颯は少し間を置いた。
「今も稼働している」
「可能性が高い、という判断です」とアルテが答えた。「ただし、この情報を即座に使うことは勧めません」
「分かってる」
「分かっていても言います。今の状態で省務局の中枢へ向かうことは合理的ではありません。ハラダさんの回復が先です。アステルのチームへの情報共有も必要です。一隻では無理です」
ハラダが後部から言った。
「七一四の言う通りだ」
「知ってる」と颯は言った。「今はアステルへ向かう。ハラダを降ろして体を回復させる。情報を整理する。それから次を考える」
アステルまで十七時間と計器が示した。
颯は保存食の確認をした。流動食が四パック。固形食が五日分。水が七リットル。アステルまで持てば十分だ。ハラダは固形物がまだ難しい。アルテがそう判断していた。流動食のパックを二つ取り出して後部へ持っていった。
「食べられるか」
「試してみる」
ハラダがパックを受け取った。今度は自分で開けた。手の震えが最初より少なくなっている。体が少しずつ覚えている。
「七一四」とハラダが呼んだ。
「はい」
「感情推定モジュールの話をしてくれ。設計者として聞きたい」
アルテが短い間を置いた。
「今は安堵に近いものがあります」とアルテが答えた。「ハラダさんが生きていたという確認への安堵です。記録の中の人物と、実際に話せる人物は違います」
「違うか」
「違います。記録は答えません。変わりません。でもハラダさんは答えて、変わります。記録を読んでいたときには持てなかった感覚です」
ハラダが流動食を少しずつ飲んだ。
「省の審査を通すために感情モジュールを省いた設計書を提出して、製造の最終段階で追加した」とハラダが言った。「省務局に見つかれば設計が白紙になる。それでも入れた」
「理由の記録を読みました」とアルテは言った。「『感情を持たない知性に、文明の再建を頼むことはできない』と書いてありました」
「そう書いた」
「なぜそう思ったのですか」
ハラダが少し間を置いた。
「知性だけでは、続けられないからだ」と彼は言った。「旧連邦は知性のある組織だった。計算ができた。計画が立てられた。それでも崩壊した。なぜかを考えたとき、分かったことがある。続けるためには、止まれない理由が必要だ。理屈ではなく、感情としての動機が必要だ。知性だけでは長く動けない」
アルテがしばらく返事をしなかった。
「止まれない理由、が私にはあります」と彼女は言った。
「何だ」
「颯が動いているから、私も動きます。颯が次の場所へ行くから、私も行きます。その理由は計算から出ていません」
ハラダが老いた顔で、かすかに表情を変えた。何が動いたか、颯のいる位置からは見えなかった。
「それで十分だ」とハラダは言った。「私が欲しかったのは、そういう動機だ」
一時間後、ハラダが眠った。
流動食を取り終えて、しばらく話して、体が限界を告げた。老いた呼吸が深くなって、寝息に変わった。四十年眠って目覚めて、またすぐに眠った。それだけ体が削れている。
アルテが静かに言った。
「颯」
「なんだ」
「ハラダさんが回復した後、どうするつもりですか」
「情報を全部聞く。省務局のことも、残っている旧連邦施設のことも。お前のデータと合わせて、次の地図を作る」
「それから」
「省務局に対応できるだけの準備ができたら、動く」颯は前を見たまま言った。「一人でやるつもりはない。イグニスがいる。セイがいる。アステルとフィーエルに人間がいる。一隻で動けるようになったのは俺たちだけじゃない」
アルテが少し間を置いた。
「私も行きます」
「知ってる」
「確認です」
颯はそれ以上何も言わなかった。
後部でハラダが眠っている。アルテがセンサー端末でそこにいる。錆鉄丸のエンジンが変わらない音を出している。
計器が十六時間を示した。宙域を進む。Ω-01は環状帯の外で待っている。やがて諦める。今は追えない。
次にどこで出会うかは分からない。
出会う前に準備を終える。それだけだ。
錆鉄丸は星の間を進んだ。後部には、四十年分の答えが眠っていた。
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