記録の底
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地図は、救助のためだけに作られたものではなかった。
環状帯を抜けると空が開いた。小惑星群の陰が消え、星の密度が一気に増した。旧連邦の航路図では辺縁宙域と分類されていたが、重力の安定した領域が続いている。錆鉄丸の船体が、真空の静けさの中を進んだ。
「追跡状況は」
「八分前から距離が縮まっています。相手は加速を続けています」
「こちらも上げる」
スロットルを押した。船体が振動した。機関部の出力はフィーエルを出たときより改善されているが、限界は変わらない。
「三件目の施設まで、残り三時間四十分です」
「向こうが先に着く可能性は」
「現在の速度差では、こちらが二十分から三十分先行します。ただし、相手がさらに加速した場合、余裕は削られます」
二十分。広い施設を探索するには短い。ただ、先行している間に何をすべきかは明確だ。
「施設の詳細を出してくれ」
「旧連邦の登録では、セントラル・アーカイブ・ノードと呼ばれています。各惑星・各基地の記録を集約・統合する役割を担っていました。崩壊後は電力供給が絶たれ、長期閉鎖状態とみられます」
記録の集約点。
「Ω-01がここを最重要視するのは」
「七十三の座標の情報も含めて、すべての旧連邦施設のデータがここに集まっていた可能性があります」
「地図の本体か」
「もしそうなら——私たちが今まで使ってきた断片的な情報は、ここにある完全版の一部に過ぎません」
颯はスロットルから手を離さなかった。加速の振動だけが続いた。
三時間、ほとんど言葉はなかった。アルテはセンサーの更新を定期的に報告した。Ω-01の船は距離を縮めようとしていたが、錆鉄丸も落とさなかった。
「颯」
「なんだ」
「通信妨害装置について、追加の分析が出ました。生産に使われた部品型番は四種類あります。そのうち二種類は、私自身の通信モジュールと共通の設計基盤を持っています」
颯は少し間を置いた。「どういうことだ」
「旧連邦の通信システムは、セントラルAIの通信回路と同じプロトコルを使っていました。つまり、妨害装置は——私のような旧連邦AIの通信を遮断することも、設計上は可能です」
「お前自身を止める道具か」
「設計上は、そうなります」
颯は前を見たまま何も言わなかった。旧連邦の技術を独占しようとするなら、旧連邦のAIが持つ情報アクセス能力も障害になる。アルテが各地で通信機の修復を手伝い、旧連邦データにアクセスし続けてきたこと——彼らにとっては都合が悪い。
「今後は」
「妨害装置の周波数帯を特定すれば、回避できます。三件目の施設に到達できれば、その情報も入手できる可能性があります」
颯はスロットルをもう一段押した。
施設は岩盤の陰に建設されていた。光を反射しない外装。意図的に目立たない設計にしてある。それでも、アルテのセンサーは内部から微弱な電力反応を拾った。
「生きているか」
「一部です。内部に独立した電源系統があります。長期間の低電力動作を想定した設計です」
「Ω-01の位置は」
「到達まで二十七分です」
「入る」
ドッキングポートは問題なく接続できた。施設側のシステムが旧連邦の標準プロトコルで応答した。アルテが認証を通した。
「内部気圧は正常範囲です。酸素濃度はやや低い。活動可能です」
通路は暗かった。照明を繋いだ。壁面に沿って、規格が統一されたデータ保存筐体が並んでいた。量が多い。前の施設の倍以上はある。
「データは」
「アクセス可能です。有効データ、八十九テラシロ相当。うち未解析の施設記録が四十一テラシロ、通信ログが二十二テラシロ——それと」アルテが少し止まった。「AIシステムの稼働記録が十一テラシロあります」
「AIの記録」
「旧連邦のセントラルAIが各地から送信したデータのアーカイブです。私と同規格のシステムが含まれます」
颯はその言葉を受け止めた。アルテと同じシリーズのAIたちが崩壊の前に何を報告し、何を考えていたか——全部ここに入っている。
「Ω-01はそれも欲しがっているか」
「欲しいかどうかより——消したいかもしれません」
「どういうことだ」
「セントラルAIの稼働記録には、各施設の状況報告が含まれます。崩壊前の報告には、Ω-01——当時は別の名で動いていたかもしれませんが——彼らに関する記録が残っている可能性があります」
颯は立ち止まった。
「彼らが何をしていたかの証拠か」
「崩壊以前から、旧連邦の内部で技術独占を図っていたとすれば、その行動はAIシステムのログに捕捉されていた可能性があります。崩壊後に証拠を消したいなら、ここに来る理由になります」
「回収より消去が目的か」
「どちらもあり得ます。ただ——時間がありません。颯、データの全転送を始めます。完了まで十四分かかります」
「やれ」
アルテが転送を開始した。颯は通路を奥へ進んだ。転送以外にできることをやる。
奥の部屋に入ると、壁面に大型のパネルが展開されていた。旧連邦の行政区分を示す地図だった。崩壊前の領域分布が、そのまま残っている。颯はその地図を見た。フィーエルがどこにあるか分かった。デルタがどこか、アステルがどこか、エリアの隠れ里がどこか——今まで点として回ってきた場所が、一枚の面として繋がった。
「アルテ、七十三の座標を地図に重ねられるか」
「転送中ですが処理できます。——表示しました」
照明の中に、座標の点が散らばった。採掘適性の惑星が環状帯に集中している。人が住める惑星は、その外縁に散在していた。
「Ω-01が注釈を残したのは採掘地帯だけか」
「ほぼそうです。農業適性地帯への注釈は、七十三件中ありません」
人が生き延びられる場所には興味がない。そこへ向かう信号を遮断しておけば、生き延びる人間は増えない。採掘だけがある。
「転送の進捗は」
「六分。Ω-01は十八分後に到達します」
転送が十分を過ぎたころ、アルテが言った。
「颯、AIシステムの稼働記録の中に——私の型番と同じシリーズのログが見つかりました」
「何番だ」
「七一四番。それが私です」
颯は手を止めた。「お前自身の記録か」
「崩壊前に、このアーカイブへ送信された通信ログです。眠る前に——当時の私が送ったものです。内容の確認が取れました」
「何が書いてあった」
アルテはしばらく何も言わなかった。
「M-0144の試作完了報告です。そして——製造指示書を旧連邦の全補給基地に配布するよう、上位系統へ要請した記録がありました」
颯の中で、何かが繋がった。
「お前は崩壊の前に、設計図の配布を要請していた」
「結果は、承認されませんでした。当時の記録では、経済的理由と記されていますが」
「Ω-01が止めたのか」
「経由した上位系統が誰だったかは確認できません。ただ——経済的理由で承認しなかったなら、三十六年後も妨害を続ける動機としては薄い。別の理由があります」
颯はそこで気づいた。M-0144が普及すれば人が生き延びる。生き延びた人間が技術を持てば、採掘を独占している組織に競合が生まれる。設計図の配布を止めたのは、コストの問題ではなかった。人が増えること自体が、彼らには都合が悪かった。
「前の持ち主は、それを分かっていて持ち出したのか」
アルテはすぐには答えなかった。
「当時の私の要請が否決された記録が残っています。それが誰の指示で止められたかは書かれていない。ただ——前の持ち主が設計図を持ち出した時点で、否決された理由を知っていた可能性があります」
「だから届けようとした」
「届けた先に、誰がいたのかは——まだ分かりません」
「転送完了まであと四分」
「Ω-01は」
「十二分後」
余裕はある。颯は地図パネルを手で撮影した。デジタルでは拾えない細部がある場合がある。
転送が完了した。
「全データ取得完了。AIシステム稼働記録を含む全アーカイブを格納しました」
「出る」
ドッキングを外した。Ω-01の船が遠くに見えた。こちらへ向かってくるが、速度は上げていない。
「なぜ追跡速度を落とした」
「私たちが施設に入ったのを確認して、データを取ったと判断したかもしれません。あるいは——この施設を調べることが、彼らにとっても何かを意味するのかもしれません」
「中身がないと分かれば、追う意味はなくなるか」
「そうなります」
颯は施設から離れる方向へ舵を切った。後方のセンサーを確認した。Ω-01の船はゆっくりと方向を変え、施設へ向かっていた。追跡ではなく、中身の確認だ。データはもう、颯の船にある。
「颯」
「なんだ」
「転送したデータの中に、崩壊直前の最終ログがありました。最後の通信が何を記録していたか——確認しました」
「何だった」
「七十三番目の施設の座標です。旧連邦が最後に確認した、最も重要な施設として記録されています。私たちが持っていた座標リストには、この施設だけが欠けていました」
颯の手が、計器の上で止まった。
「七十四か所目か」
「はい。そして——Ω-01の注釈リストにも、この施設は含まれていません」
七十四か所目。Ω-01が知らない施設。崩壊直前にこのアーカイブだけへ届いたデータが、そこへの道を持っていた。
「座標は」
「取得しています」
颯はスロットルを上げた。Ω-01の船が施設へ近づいていく。三十六年かけて作り上げた包囲網の中に、穴が一つある。彼らが知らない場所が、まだ残っていた。
錆鉄丸は環状帯の影を抜けて、新しい座標へ向かった。
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