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宇宙の漂流者、AI少女と文明再建。~残されたデータとジャンク品で銀河の果てを目指す開拓物語~  作者: 堀吉 蔵人


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受け取る者たち

お昼に更新中です。 ぜひ読んでいってください!!

朝、颯は船底のビルジタンクを確認していた。


 配管の継ぎ目に指先を当てる。表面に細かい水滴が並んでいた。長距離航行では断熱材の微細な隙間から水分が染み込んでくる。タンクの底に溜まった結露が、ドレンバルブの下で光を吸って静かに揺れていた。颯はバルブを半回転だけ開いた。


 液体が落ちる音が始まった。均一で、細い。


 タンクが空になるまで、颯は配管に手を当てたままでいた。数字に出る前に皮膚が先に知っていることがある。振動の有無、温度のわずかな差。この船に乗り込んで一年半、どこが弱くどこが強いかを体で覚えている。廃棄宙域で拾ってきた補修材で塞いだ箇所が十一か所ある。全てを触らなくても思い出せる。


 音が止まった。バルブを閉める。腰を伸ばして立ち上がった。


「颯」


「何だ」


「セイとの定期通信で、昨夜の依頼への回答がありました」


 颯は操縦席へ向かいながら聞いた。


「フィーエル基地の技術者は現在十二名です。製造ライン経験者が三名、整備系が五名、医療二名、農業二名。製造系の最年長は大崩壊前からの技術者で、今年六十四歳。残りの二名は大崩壊後の独学で、精密部品の製造経験はありません」


 颯は操縦席に腰を下ろした。計器の数字が視界に入った。フィーエルまで三日と七時間。


 十二名。百十人の集落に対して十二名の技術者。比率として少ないとは言えない。ただ問題は精度だ。M-0144の設計書が要求する製造水準がどの程度か、颯にはまだ正確に把握できていない。医療機器である以上、基礎的な金属加工と溶接だけでは届かない部分があるはずだった。


「設備は」


「旧連邦の製造棟を一部修復したものです。工作機械が四台。うちCNC制御の一台は制御ユニット待ちで停止しています」


 停止。颯は少し考えた。CNCがなければ精密加工の選択肢が一つ消える。医療機器に入る前に、先にそこを直す必要が出てくる可能性がある。


「CNCの制御ユニットの調達見通しは」


「セイが近隣の廃棄宙域の残骸を当たっています。一ヶ月以内に確認できると思う、という言い方でした」


 確実ではない表現だ。颯はその「思う」という言い方を、少し頭の中に残しておいた。



 昼を過ぎた頃、セイから直接通信が入った。


「朝の報告に補足があります。技術者の頭数だけでは分からないことがあります」


「聞かせてくれ」


「今のフィーエルで一番計画を引ける人間は、アリスという整備士です。六十四歳の師匠の弟子で、今は実務では師匠を超えています。設計書を渡して一週間で読み込んで、そこから製造計画を組める人間は、今の基地にはアリスしかいません」


 颯は「アリスしかいない」という言い方を少し考えた。絶対の言い方だ。確信から来ている。


「そのアリスはM-0144を知っているか」


「名前は知らないと思います。ただ設計書を見せれば分かります。そういう読み方ができる人間です」


「他に届けるものが増えた」


 颯は言った。


「M-0144以外に三種類ある。水資源の精製技術と農業支援システムと、居住モジュールの建造設計書だ」


 通信が静かになった。沈黙が数秒続いた。颯は待った。


「……それを一人で運んでいたんですか」


 声に何かが混じっていた。驚きとも、また別の何かとも、うまく分けられない種類のものだった。


「持っていたのは最初からだ。中身を確認したのは最近だ」


「封印されていたということですか」


「解けていなかった」


 セイが息を吸う音がした。それから間が続いた。


「農業担当が二名います。一人は植物学の基礎知識がある。もう一人は大崩壊前に食料配給の管理をしていた人間です。農業支援システムの設計書はその二人で読めます。水の精製技術は整備チームで当たれます。基礎的な化学知識を持つ人間が一人います。居住モジュールは——」


「アリスか」


「そうです。それが一番難しい」


 颯は気づいていた。セイの話し方が変わった。先ほどまでは颯の質問に答えていた。今は設計書の内容に対して、基地の人間を自分で割り当てている。


「順番の問題がある」と颯は言った。「全部を同時に動かせない。CNCが止まっているなら、医療機器の精密部品に入る前にそちらを直す必要がある。農業と水精製は先に動かせるかもしれない。アリスに四種類全部を引かせるのは量として厳しい」


「そうですね」


「教えられる人間を育てながら進めることになる。最初の一ヶ月は設計書の読み込みと試作で消える。製造に入れるのはその後だ。全部形にするには少なくとも三ヶ月は現地で動く必要がある」


 沈黙があった。


「三ヶ月、基地にいることを考えていますか」


 颯はすぐに答えなかった。考えていなかったわけではない。ただ、口に出すには輪郭がまだ固まっていない。


「分からない」


「そうですか」


 落ち方が穏やかだった。否定でも肯定でもなく、受け取った、という落ち方だった。


「一つ聞いていいですか」


「どうぞ」


「あなたは何を目指しているんですか」


 颯は計器を見た。数字が動いている。それは問いの答えではない。


「目指しているかどうかが、まだ分からない」


「今は」


「今は運んでいる」


 セイが少し間を置いた。


「私も同じでした。届けることだけを考えていた。着いて、渡して、それで終わりだと思っていた。でも今は違います。着いてからが長い、という感覚があります」


「フィーエルに戻ってから、何があった」


「百十人がいます」


 それだけだった。


 颯はその短さの中に何かを感じた。百十人が何を食べて、どこで寝て、どんな病気を持っているか——一ヶ月それを見てきたセイには、数字が別の重さで届く。颯にはまだその重さが全部分かるわけではなかった。分かるのはフィーエルに着いてからだ。今は、そのことだけが分かった。



 夕方、颯は操縦席から前方の星を見ていた。


 船内の気温が自動調整で二度上がった。補修を入れた箇所は宙域の冷えが早い。十一か所のうちいくつかは、そろそろ再補修が要るかもしれない。フィーエルで材料を調達できるかどうかを、颯はそれとなく頭の隅に入れておいた。


「颯」


「何だ」


「本日のセイとの通信は昨日より十二分長い記録です」


「知っている」


 アルテが少し間を置いた。間の種類が変わってきた。処理待ちではない。何かを測っている。


「確認を一つ。今日の通信で、あなたは自分の行動に関する質問への回答まで平均五秒以上かかりました。それ以外の質問への回答は一秒以内です」


 颯は窓の外を見た。星が一点、動いた。光点が流れているのではなく、こちらが動いているのだ。宙域では区別がつかない。


「それが何か」


「あなたが今選択を保留しているのは、情報が足りないからだと判断しています。答えを出す前に材料を集めることを優先している。それは今の状態として正しいと思います」


「お前にとっての正しさか」


「はい。ただ」


 間があった。


「あなたの合理と私の合理が同じかどうかを、私はまだ確認できていません。だから観察を続けています」


 颯の喉の奥で何かが動いた。笑うほどではない。ただ何かが少し緩んだ。


 自分の判断基準が正しいかどうかを疑っているAIを、颯はこれまでに想定したことがなかった。答えられないのでも、答えを保留しているのでもない。基準そのものを問いに戻している。三日前から、アルテのその種の間が増えている。


「一つ聞く」


「はい」


「観察して、それが何になる」


 間があった。先ほどと同じ、測っている間だ。


「分かりません」


 短い答えだった。ただ、その答えに迷いがなかった。颯はその答えをしばらく持っていた。分からないと言いきれることが、何かを意味している。颯にはまだその意味の全部が分からなかった。ただ、嫌ではなかった。



 夜、颯は補助計算機の前に座っていた。


 画面に矢印と四角を書いた。依存関係と優先順位。CNCが止まっているなら、医療機器の製造に入る前に制御ユニットを確保する必要がある。セイが廃棄宙域を当たっている。農業支援と水精製は先に動かせる可能性がある。居住モジュールは計画が先で製造はずっと後だ。アリスが計画を引いて、教えられる人間を育てて、同時進行で動かせるラインを作る——


 全部が、順番を持っている。


「アルテ」


「はい」


「荷物の前の持ち主について、何か記録があるか」


「封印の暗号化形式から、旧連邦の技術部門に属していた可能性が高いです。旧連邦政府の内部規格に準拠した形式です。それ以上は記録が足りません」


 颯は画面の矢印と四角を見た。


 旧連邦の技術部門。文明が崩壊する前に、誰かがこれを守って運ぼうとした。水、食料、住む場所、医療——人間が人間として生きていくために必要なものを、全部まとめて。届けようとして、届けられなかった。廃棄宙域を何年か流れていた荷物を、颯が拾った。


 偶然かどうかは分からない。ただ今は颯の手の中にある。


 前の持ち主にも順番があったはずだ。何を先に届けるべきかを、その人間はどう考えていたのか。颯には知る手段がない。ただ、封印が解けたのはM-0144が最初だった。残りの三種類は後だった。それが順番なのかどうかも、今は分からない。


 分からないことが増えている。減ることがない。


「フィーエルに着いたら、アリスに会いたい」


「セイに伝えます」


 颯は計器を確認した。三日と二時間。後方——六十七万キロ。


 順序図に矢印を一本足した。アリスと話す、という矢印だ。


 今夜確かになったことは、それだけだった。

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