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宇宙の漂流者、AI少女と文明再建。~残されたデータとジャンク品で銀河の果てを目指す開拓物語~  作者: 堀吉 蔵人


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四日の距離

お昼に更新中です。 ぜひ読んでいってください!!

フィーエルまで四日と六時間になった午前、颯は補助冷却ラインの継手を締め直していた。


 三番継手にトルクレンチを当てる。四分の一回転。手の内側に伝わる締まりが変わる。数値は基準値の中にあった。それでも、先週から三番には微量の圧力損失が続いていた。こういうものは、先に手が知る。数値が動く前に、継手の遊びが指に届く。指先が確信を持った瞬間、レンチを当てる。それだけだ。


「圧力、安定しています」


 アルテの声が届いた。


 颯は工具を収めながら四番継手を確かめた。問題ない。五番も同じ。冷却液の循環音は低く一定で、変化がない。問題のないシステムは音で分かる。変化がないことが、答えだ。


「後方は」


「六十七万キロ。今日も変化なし」


 三日間、その数字が続いている。颯は工具箱を閉めながらその事実を頭の中に置いた。追いつこうとしない。離れようともしない。あの距離は、颯の動きに合わせて動いている。


 工具箱を収納棚に戻した。手の甲についた冷却液を布で拭いた。



 昼過ぎ、センサーが反応した。


「前方九十二万キロ、未識別シグネチャ。出力は弱い。固定しています」


 颯は計器を確かめた。固定。推進出力もない。これだけなら、漂流物か廃棄後の残骸だ。宙域にはそういうものがいくらでもある。ただ、三日前にアルテが言ったことが引っかかっていた。M-0144の情報が外部に漏れているとすれば、この人物以外にも知っている者がいる可能性がある。


「スキャンしてくれ」


「既にスキャン中です」


 結果が出るまでの五分間、颯は操縦席で計器を見続けた。シグネチャの輪郭。電磁放射のパターン。推進痕跡の有無。数字を読みながら、直感に逆らわないようにしている。数字と直感は、どちらかが必ず片方を補う。


「旧連邦期の資材運搬船です。推進系は完全に死んでいます。生体反応なし。電磁シールドの一部が残っているため細部まで読めませんが、脅威シグネチャはありません」


「シールドが生きているなら電力源が残っている」


「その可能性があります。接近調査するなら、フィーエルへの到着が半日遅れます」


 颯は一度だけ計器を見て、答えた。


「通過する」


 半日は長い。数字ではなく、その向こう側にある人間の時間として、半日は長い。



 夕方、セイから通信が入った。


「センサーに何か引っかかりましたか。こちらでもシグネチャが見えました」


 颯はマイクを開いた。


「残骸だ。旧連邦の資材船だったらしい。推進系は死んでいる。通過した」


「型式を確認したら五十年以上前の船でした。うちのスキャナーで読めました」


「そのスキャナー、改造が入っているか」


「出力だけ換えています。フィールドワークが多いので、距離があっても読めないと困る」


 颯はその言い方を少し考えた。フィールドワーク。医療技術者ではなく、実務者。設備の組み立てと調整に特化している——アルテが旧連邦の記録から拾い上げた情報が、今もう一度形になっている。


「自分でやったのか、その改造」


「ほとんどは自分で。基地の技術者に一部手伝ってもらいましたが、設計は自分です。壊れたらすぐ直せるように、シンプルな構造にしています」


「あなたの船も改造が入ってますね。排熱パターンで分かります。旧連邦期の船体にしては出力が高い」


 颯は少し止まった。六十七万キロから排熱を読んでいる。


「アルテリアン改修だ。エンジン出力系だけ」


「……アルテリアン」


 セイが少し間を置いた。間の種類が変わった。


「今でも動かせる人間は、ほとんどいないと聞いています。専門の技師が必要な改修で、大崩壊後は引き継がれていないと」


「一人だけ知っていた」


 短い沈黙があった。


「今もその人は」


「二年前に死んだ」


 また沈黙。颯はその沈黙に何か感じたが、何も言わなかった。この種の沈黙は、言葉を足すと壊れる。


「すみません」


「謝ることじゃない。宙域にいれば、そういうことはある」


 セイが少し間を置いた。


「そうですね」


 声が落ちた。落ち方に、何かあった。颯には分かったが、聞かなかった。そういう重さは、自分で持つ方がいい場合がある。それはこちら側も同じだ。



 通信を閉じてから、颯はしばらく操縦席に座っていた。


 アルテリアンの改修を施したのは、廃棄宙域で世話になった老技師だった。名前は何度か呼んだが、今は少し遠い。旧連邦の技術者だった。大崩壊の前から宙域に住み着いていた。設計図を読む速度が異常に速かった。紙に印刷した設計書を広げて、昼過ぎから日暮れ頃まで何も言わずに読んで、それから颯の船の下に潜り込んだ。


 三日で改修が終わった。「こいつは飛ぶぞ」とだけ言った。


 二年前に肺に水が溜まって死んだ。設備が足りなかった。


 颯はその記憶を少し持って、置いた。



 夜、颯は補助計算機のログを確認していた。フィーエルへの到達予測、エネルギー消費、各システムのステータス。数字が並んでいる。


「颯」


「何だ」


「今日のセイとの通信について」


「聞いている」


「会話を続けた時間は、昨日より四分長い」


 颯は画面から目を上げなかった。


「それが何か」


「記録として述べただけです」


 アルテが間を置いた。その間の長さが少し違う。処理ではない。


「一つ確認してよいですか」


「言え」


「フィーエルに着いたあと、あなたはどこへ向かいますか」


 颯は答えなかった。以前なら、この質問に意味がなかった。届けること、それだけだった。今は少し違う。何が違うのかが、まだうまく形にならない。


「まだ決めていない」


「そうですか」


「お前は何か考えているか」


 アルテが間を置いた。珍しい沈黙だ。何かを測っている。


「フィーエルの基地には、M-0144以外にも古い技術の記録が残っている可能性があります。旧連邦の補給基地は、技術保管の役割も兼ねていた」


「そのことと、今の質問が関係しているのか」


「はい。あなたが持っている設計図は、M-0144だけではないという話をしたことがあります」


 颯は思い出した。廃棄宙域で拾った荷物。M-0144の設計図と、それ以外の封印されたデータ。アルテはその存在を把握していた。解析は途中だと言っていた。


「解析が進んだのか」


「M-0144以外に、三種類の設計図が含まれていることが確認できました」


 颯は画面から目を離した。


「三種類」


「すべて医療系ではありません。一つは水資源の精製技術。一つは農業支援システム。もう一つは」


「もう一つ」


「建造技術です。居住モジュールの規格設計書。大崩壊以前の基準を満たした、長期居住に耐える構造の設計書です」


 颯は少しの間、何も言わなかった。


 水。食料。住む場所。


 M-0144が医療だとすれば、それは命をつなぐ技術だ。この三つは、命をつないだ先に必要な技術だ。人間がもう一度人間として生きていくために必要なものが、廃棄宙域の漂流物の中にあった。前の持ち主が届けようとして、届けられなかった。


「いつ確認した」


「四日前です」


「なぜ今言う」


 少し間があった。


「あなたが届けた後のことを考え始めたと言っていたから。今日のセイとの会話を聞いていて、伝える時機だと判断しました」


 颯はその言葉を聞いて、天井を見た。


 時機を判断する。三日前から、その言い方が変わっている。以前のアルテは情報を持っていれば即座に出力していた。今は違う。受け取る側の状態を見ている。


「時機判断か」


「以前からできていました。ただ、使う必要がある場面が増えています」


 颯は声に出ない程度に息を吐いた。笑うほどでもない。ただ、少し奇妙だった。奇妙だと思うのに、嫌ではない。



 後方の光点は六十七万キロ。前方にフィーエルまで四日。


 颯は計器から目を離した。窓の外に星が流れている。流れているのか、こちらが動いているのか、宇宙では区別がつかない。どちらでも、方向は変わらない。


 荷物が重くなっていた。


 最初に手に取ったとき、M-0144の設計図だけだと思っていた。今は三つが加わっている。百十人という数字。セイが一ヶ月間飛んでいた事実。届けた後に何をするかという問い。アルテが時機を測るようになったこと。二年前に肺に水が溜まって死んだ老技師のこと。


 一つずつ加わっていく。減りはしない。


「アルテ」


「はい」


「フィーエルの基地、技術者の構成を確認できるか。製造ラインの経験者が何人いるか、設備の現状も」


「セイ経由で聞けます。明日の通信で依頼します」


「頼む」


 颯は計器に目を戻した。推進効率、冷却温度、後方距離——六十七万キロ。


 荷物の中身が変わったことを、荷物を渡す相手はまだ知らない。それをどう伝えるかを、颯はまだ考えていなかった。考えるのは、着いてからでいい。


 ただ、着いてから始まることが、出発前に考えていたより大きい。それだけは、今夜確かになった。


 颯は短く手を動かして、計器の輝度を少し落とした。星が少し鮮明になる。前の持ち主が届けられなかった荷物を、颯は今夜も運んでいる。水、食料、住む場所、医療。全部そろえば、人間は生きていける。


 もう少し先のことを、颯は考えていた。

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