断片の光跡
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Ω-01という名前が、初めて実体を持った。
環状帯を抜けるのに四十分かかった。
岩塊の間を縫うように飛んだ。センサーが反応するたびにアルテが座標を読んだ。颯は手動操舵で通り道を選んだ。大した判断は要らなかった。ただ岩をよけることだけに集中した。開けた宙域に出た瞬間、エンジン音が変わった。抵抗が消えた感覚だ。
「断片データの解析が終わりました」
「D-4は」
「環状帯の南側。一時間二十分の位置です。彼らのリストに含まれています」
星図に点が三つ増えた。環状帯より更に内側、恒星系の深部に位置していた。
「内部コードの施設だ」
「はい。D系列は補給・輸送関係です。別の体系があるとすれば、研究か管理系統の施設を指している可能性があります」
三つの点は、貨物船が向かった南西方向と概ね一致していた。颯は操縦桿を南に向けた。
「D-4へ行く」
「……わかりました」
間の長さが、いつもと違った。
「何か言いたいことがあるなら言え」
「D-4を経由する場合、彼らのルートと交差します。D-4は彼らの既知リストにあります」
「わかってる。だから先に動く」
アルテは何も返さなかった。
D-4は小さな施設だった。
外壁に旧連邦の規格刻印が残っていた。緊急補給ポイントの一種だ。単体では大した機能を持たない中継点で、ハッチを開けると外から気圧が流れ込んだ。内部の維持装置が今も動いている。
管理端末に電源を入れた。起動した。
「アクセスできます。ただし——」
アルテが止まった。
「データが整理されています」
颯の手が止まった。
「誰かが触った」
「アクセスログを確認しています。最終接触は十三日前。D-9の貨物船が来た時期とは一致しません。別の日程でここを訪れています」
「二回動いた」
「D-4を先行ルートとして使い、D-9に資材を取りに来た。二つは別行動です。削除された品目の推定が可能です——接続端子の消耗品、通信用部材。大型の設備は残っています」
颯はログの残骸を流した。数値の列だ。意味のある記録は消えているが、アクセスしたという事実は消えていない。
奥に通路があった。突き当たりに扉があった。ロックされている。旧連邦の内部認証だ。
扉の枠に薄く傷がついていた。鋭いツールで試みた痕だ。一度か二度で諦めている。
「彼らも入れなかった」
「そうです。認証コードを持っていないか、優先度が低いと判断したか」
颯は傷の深さを指で確かめた。
「入る。記録が残っても構わない」
「——颯」
「言え」
「入った場合、我々がここを訪問したことを彼らに知らせる結果になります。扉の内側に何があるかは現時点では不明です。リスクと得るものが釣り合うかどうか——判断材料が足りません」
颯はアルテの言葉を整理した。
「入った場合でも、入らなかった場合でも、彼らはD-4に戻ってくる可能性がある。アクセスログに俺たちの足跡はもう残っている。扉の問題は別の話だ」
短い間があった。
「……そうです。アクセスした時点で既に記録は残っています」
「だから扉の問題は関係ない」
答えるまでにもう少し間があった。
「解錠します」
磁気ロックが外れる音がした。扉が内側に開いた。
中は狭かった。
壁一面に旧連邦規格の磁気記録媒体が並んでいた。収納棚の一つ一つに識別ラベルが貼ってある。一部は剥落しているが、システム管理番号の書体は判読できた。
データストレージの保管庫だ。
「何が入っている」
颯はポーチからアダプタを出した。接続端子に差し込んだ。処理音だけがしばらく続いた。
「颯」
「なんだ」
「これは——設計図データの保管庫です。旧連邦各地の施設で製造されていた機器の設計図、製造手順書、部品規格の一覧が含まれています。医療機器、農業設備、通信装置——合計で四万三千二百件以上のデータが保存されています」
「四万三千二百件」
「私が保有するデータは三万二千件です。ここには一万件以上、私の持つデータと重複しないデータが存在します」
颯は棚を見渡した。
磁気媒体の一つ一つが、すでに消えた技術の記録だ。
「彼らがこれを取りに来なかった理由」
「認証コードがなかったか、存在を知らなかったか。ただし——D-4のアクセスログを全件見た結果、彼らはこの部屋の存在を把握していた可能性があります。扉を開けようとして断念した痕跡が確認できます。取りに来なかったのではなく、取れなかった」
「だからD-9で端子を集めていた」
「解錠手段を探していたか、後回しにしていたか。いずれ戻ってくる意図があったと考えるのが自然です」
颯は端子を確かめた。転送速度を計算した。
「全件取る。どのくらいかかる」
「十二分です」
転送が始まった。颯は部屋を出て通路に立ち、外の物音に耳を澄ませた。何もなかった。エンジンの断続的な振動だけが床から伝わってくる。
十二分が経った。
「転送完了です」
颯はアダプタを抜いた。棚を最後にもう一度見た。磁気媒体はそのままだ。持ち去っても読み取る環境がなければ意味をなさない。相手がそれを理解しているとしたら、認証コードか読み取り装置を揃えた上で戻ってくる。
扉を閉めた。ロックは戻らなかった。
D-4を離脱してから三十分、颯はシートに背を預けていた。
「三つの内部コードの座標」
「計算中です」
窓の外に星が流れた。エンジンの出力が一定のまま続いていた。
「アルテ」
「はい」
「D-4で扉の話をした時。お前はいつもより長く止まった」
返すまでに間があった。
「……気づいていましたか」
「毎回気づいてる。ただ聞かなかっただけだ」
「リスクの計算は終わっていました。止まったのは計算とは別の処理です」
「別の処理」
「颯が扉を開けると言った時——処理が二重になりました。リスク評価の計算と、もう一つ。D-9で追跡対象になりうると伝えた時も、同じことが起きていました」
「もう一つ、というのは何だ」
「上手く言語化できません。計算の外にある何かです。颯が危険な判断をしようとする時に、その何かが先に動きます」
颯は答えなかった。
アルテも続けなかった。
夜の星域が窓の外をゆっくりと流れた。颯は工具入れからセンサーボードを取り出した。接続端子の状態を確認する。手を動かさないと、頭が余計な方向へ動く。
「内部コードの座標、計算が出ました」
「どこだ」
「環状帯より更に内側。恒星に近い軌道域です。旧連邦時代の基準では、高セキュリティゾーンに該当します」
「彼らが向かっている先と同じか」
「おそらく。ただし、我々が先着できる可能性があります。D-4を先行した分、彼らは現在南西のルートを回り込んでいます。直行すれば、四十分から六十分の差があります」
颯はセンサーボードをポーチに戻した。
「行く」
「……はい」
答えは短かった。だが今度の間は、D-4の扉の時とは重さが違った。颯はそれに気づいた上で、何も言わなかった。
機首を内軌道へ向けた。エンジン出力を上げた。恒星の光が後方に遠ざかっていく。暗くなる方向へ進んでいる。彼らがまだ開いていない扉が、この先にある。
四万三千件のデータが眠っていた保管庫が、この宙域の奥にまだあるかもしれない。
颯は進路を固定して、手を膝の上に戻した。その保管庫を誰が先に開けるかで、次に助かる場所が変わる。
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