加工棟の残像
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環状帯外縁、座標D-7。
岩盤を削り取って作られた工業棟が、錆鉄丸のフロントパネルに広がっていった。外壁に旧連邦の刻印が規則的に並び、ドッキングポートの縁に経年の砂が積もっている。窓は全て封塞されており、外から内部の状況はわからない。
アルテの声が船内に通った。
「接近継続します。電磁反射は正常範囲。ただし内部に残余熱源を検知しています。現在も冷却中。発生から三時間から五時間以内と推定します」
颯は照明を絞り、エンジン出力を一段階落とした。
ゾーラから受け取った祖母の金属箱には、三つの座標が入っていた。D-7はそのうちの二番目だ。最初の地点では空になった収納棚と、几帳面に整頓された端子ケーブルの束を見つけた。目当てのものが持ち去られ、残余が並べ直されていた。その手口が頭の隅に残っている。
着陸前に、施設を一周した。
外壁の南面に熱焼損の跡があった。新しい傷で、排気口の向きからすると内側から何かの機械を稼働させた跡だ。ドッキングポートに面した壁には扉が三枚、蝶番ごと外されて立て掛けられている。ポートの縁に靴底の汚れ。複数人の足跡。
「ドッキングする」
颯は短く言い、開口部の最も広いスロットへ機首を合わせた。
加工棟の内部は天井が高かった。
ヘルメットのライトだけで歩くと、旧連邦規格の大型拠え付け台が四列並んでいた。各台に固定ボルトの穴跡が残り、周囲の床に引き傷が走っている。颯はその傷の一本にしゃがんだ。深さが均一で、互いに平行だ。複数の担ぎ手が等間隔で持ち上げた時の傷に見える。無秩序な略奪ではなく、段取りを踏んだ撤去だ。
機器そのものは一台も残っていなかった。
「精密旋盤が少なくとも二基。光学研磨装置が一基」
アルテがイヤフォン越しに言った。颯の視野を共有している。
「固定ボルトの解体順序から、事前に設置仕様書を確認した可能性があります。旧連邦の加工機器には標準固定パターンがあります。初見の施設で効率的に解体するには、このデータが必要です。私も同じ仕様書データを保有しています」
「旧連邦のデータベースを持っている」
「あるいは、私のようなセントラルAIから情報を得ている。もしくは旧連邦出身の技術者がいる。いずれも否定できません」
颯は一番奥の台に手を置いた。金属面は冷えていたが、台の脚部の下の床だけがまだわずかに暖かかった。熱が石床に残っている。つい最近まで機器が置かれていた痕跡だ。
奥の管理室へ歩いた。
壁一面のラックが並ぶ小部屋だった。棚板は全て空で、旧連邦の型番が刻まれた分類タグだけが列をなしていた。ラック自体は残されている。重すぎるか、必要ないと判断されたかだ。
部屋を見渡した時、金属の支柱の端に細いものが引っかかっているのに気づいた。五センチほどの銘板だった。四隅に取り付け穴が開き、表面に文字が刻まれている。
「アルテ、これを見てくれ」
ヘルメットのカメラで銘板を撮影した。
「旧連邦規格の作業認証プレートです。工場や作業施設で機器担当者を管理するためのもの。個人識別番号と認定資格が刻まれています。有効だったのは連邦崩壊前、七十年以上前の時代です」
「今は使われていない」
「通常は。ただしこのプレートを持つ者が機器へのアクセス権を持つ施設が、生きているとすれば有用です。様式を模倣して新規作成することも可能です」
颯はプレートをポーチにしまった。
壁面の管理端末に近づいた。電源は落ちていたが本体は残されており、接続ポートの周囲だけ埃が拭われて金属光沢が出ていた。ケーブルを差し込んだ形跡だ。右端に、通常の接続ポートとは位置が違う細い圧痕もある。
「アクセス記録を確認する」
アダプタを接続ポートに差し、アルテへデータを転送した。
返答まで、少しだけ間があった。
アルテが沈黙する間合いを颯は知っている。処理量が多い時ではない。何かを選んで伝えようとしている時の間だ。
「記録消去が実施されています。ただし削除ファイルのタイムスタンプから逆算すると、最終アクセスは十四時間前です」
颯はアダプタを抜き、端末の右端の圧痕に目を落とした。
「この痕は何だ」
「補助記憶装置の差込痕と一致します。モジュール型の外部ストレージです。端末内のデータをコピーした可能性があります。残存断片から、在庫目録と機器仕様書、および周辺施設のリストが含まれていたと推定されます」
「離脱はいつだ」
「プラズマ残滓の散逸速度から計算します」
また、短い間。
「四時間から六時間前。搬出作業に八時間をかけたとすれば、タイムスタンプと整合します」
颯は管理室の壁に目を移した。四か所、紙の貼り付け跡があった。粘着痕が壁紙ごと少し剥がれている。地図か路線図を持ち去ったらしい。
管理室を出て、加工棟の隅まで歩いた。
壁際の影に小さなケースが一つ残されていた。蓋を開けると光学系のレンズユニットが四つ入っていた。交換用の予備品だろう。価値がないと判断されたか、積み込みの最後に見落とされたかだ。
「使えるか」
「センサーのキャリブレーションに有用です」
颯はケースを閉じ、抱えた。
ドッキングポートへ向かいながら加工棟を振り返った。空の台。均一な引き傷。壁紙の剥がれ跡。端末の接続痕。最初の農業施設でも同じだった。必要なものだけを取り、壊さない。データは消す。でも完璧ではない。
几帳面さが共通している。壊すより持ち去ることを優先する。技術者の仕事ぶりに近い。銘板を持っているとすれば、旧連邦の施設が現役なら使える。どこかに、まだ生きたシステムを持つ場所がある。
颯はハッチの縁に手を掛けた。
その時アルテが言った。
「颯」
普段より間が少し詰まっていた。
「三番目の座標、D-9について。この施設のデータベースに言及がありました。同じ系列の加工施設です。建設仕様書の関連施設リストに記載があり、彼らも同じ情報に辿り着いている可能性があります。周辺施設のリストをコピーしているとすれば、ほぼ確実です」
「進路が重なるか」
「最短ルートで計算すると、三時間以内に我々の進路と重なる区間があります」
颯は船内に乗り込み、レンズケースをシートベルトで固定した。
「迂回ルートは」
「一時間四十分の追加です。進路の重複は避けられます。ただし――」
「ただし」
「彼らが同じ座標リストを持っているなら、D-9の次でも同じことが起きます。迂回による回避は一回分です」
颯はコンソールに座り、スラスタの出力を確認した。
相手の全体像がわかっていない。何を求めているか、どれほどの規模か。それが見えない状態で退けば、また別の場所で重なる。避け続けることに意味はない。
「通常ルートでD-9へ向かう」
「了解しました」
一拍おいて、アルテが言った。
「記録します」
その一言は、普段のシステムログとは違う重さがあった。颯がその差異を聞き取れていると知りながら言っている。颯はそれに応じなかったが、コンソールに向けた視線が一瞬、止まった。
錆鉄丸を起動した。暗い開口部から外へ出ると、環状帯の星々が静かに並んでいた。その中のどこかに、同じ座標を手にした誰かが進んでいる。颯たちが向かうD-9へ、先に着くかもしれない。あるいはまだそこにいるかもしれない。
錆鉄丸は星々の中へ静かに出ていった。
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