種子の部屋
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十三日目に二つ目の星団を抜けた。
密度が薄くなるにつれて視界が開いた。前方は広い宙域で、遠くに一つだけ、鈍い光点がある。リード13番の座標だ。
「信号強度が上がっています」アルテが言った。「送信間隔が十七時間から十六時間五十三分に短縮されました」
「なぜ短縮した」
「原因は不明です。接近に反応している可能性があります。あるいは単なる誤差かもしれません」
颯はエンジン出力を落とした。慣性で進みながら計器を確認した。燃料は問題ない。水と食料もあと十二日分ある。
八日目の夕刻、光点が惑星の形をとり始めた。
小さな星だった。大きさはフィーエルの三分の二ほど。大気が薄い。表面は灰褐色で、部分的に白い反射がある。岩盤か、あるいは塩湖の跡か。
「大気組成の確認をしています」アルテが言った。「窒素六十八パーセント、酸素二十一パーセント、二酸化炭素八パーセント。呼吸は可能ですが、屋外での長時間作業には補助が必要です」
「施設は気密になっているか」
「表面スキャンで構造体を三つ確認しています。南半球の赤道付近。うち一つから熱源反応があります」
颯は軌道を修正した。熱源がある場所を目指した。
九日目の朝、轌道投入が完了した。
高度三百キロから施設を見た。白い塗料が剥落した外壁、砂埃で覆われた太陽電池パネル、部分的に崩落した隣接棟。それでも中央の構造体は立っていた。壁に亀裂はない。窓の一部に光がある。
「旧連邦農業施設、標準型Gシリーズと一致します」アルテが言った。「農業実験棟、種子保管棟、生活棟の三棟構成が基本仕様です。現在熱源があるのは種子保管棟です」
「種子保管棟が動いている」
「自動温度制御系が稼働しているようです。生活棟は電力供給がありません」
颯は着陸ポイントを探した。種子保管棟の南側に平坦な岩盤がある。そこに降りることにした。
着陸は問題なかった。
地面は固く、砂埃が舞い上がったがすぐ収まった。外気温は零下十二度。呼吸補助装置を付けてハッチを開けた。
静かだった。風はなく、音もない。岩盤が白く光を反射している。施設の外壁は思ったより高く、颯の身長の四倍以上ある。錆びた鉄材と褪色したパネルが積み重なっているが、構造体としての形は保っている。
「入口を探す」颯は言った。
「北側に気密扉があります。電力は生きているようです」アルテは船内から通信で答えた。「外には出なくていいです。センサーから誘導します」
北側へ歩いた。砂が堆積していて、扉の下部が半分埋まっていた。颯は積もった砂を手で掘り始めた。
「非常解錠のパネルが扉の右側にあります。高さ九十センチほど」
パネルを探した。砂を払うと金属の枠が出てきた。ガラスカバーは割れている。内部のスイッチは三つ。颯は指で押した。反応がない。
「電力は通っているはずですが」
「手動で引けるか」
「確認します。……気密扉は手動緊急解錠があります。扉の左側、腰の高さにハンドルがあるはずです」
砂をさらに掘った。ハンドルが出てきた。錆びていた。力をかけた。動かない。もう一度。体重を使った。金属が軋む音がして、扉が五センチほど動いた。
隙間から空気が漏れ出た。
内部の気圧が外より高い。施設がまだ密閉を保っていた証拠だった。颯は扉を引き続けた。三十センチ、五十センチ。颯が体を横にすれば通れる幅になった。
中は暗かった。
非常灯が壁の低い位置に緑色の光を細く出している。廊下が真っ直ぐに続いていた。床に砂はなく、塵だけがある。空気は乾燥していた。温度は外より高く、零度前後。
「内部に生体反応はありません」アルテが言った。「ただし電子系は動いています。廊下の突き当たりを右に曲がると種子保管室への通路です」
颯は歩いた。非常灯の緑光が等間隔に続いていた。壁の案内板は文字が読めないほど色落ちしているが、矢印の形は残っている。
突き当たりを右に曲がった。廊下が変わった。幅が広く、天井も高い。扉が左右に並んでいる。その先に金属製の重い扉があった。
扉は閉まっているが、制御パネルに青いランプが点灯していた。
「開きます」アルテが言った。「電子ロックです。施設の管理システムと通信しています。……認証コードが要ります」
「旧連邦の施設だ。デフォルトコードはあるか」
「G型農業施設の標準コードは三十七種類データベースに入っています。試します」
三十秒待った。扉が音を立てて開いた。
部屋の中は別の温度だった。
気温は十二度。湿度が高い。空気が生きていた。颯が一歩踏み入れると、換気扇の音が聞こえた。低い、一定の音だ。百七十年、変わらず動き続けている音だった。
棚が並んでいた。天井まで届く金属製の棚に、小さな容器が整然と収められている。容器は樹脂製で、それぞれにラベルが貼られている。ラベルの文字は小さく、旧連邦の規格で書かれている。
「読めるか」颯は一つを手に取った。
「コードと品種名です。シリアル番号の体系は旧連邦農業局の種子保管規格に一致します」アルテの声が通信に戻ってきた。「保管状態を確認しています。……温度と湿度の管理は継続されています。容器の密封も保たれています」
「種子は生きているか」
「発芽率のテストをしていないので確定はできませんが、保管条件は適切です。旧連邦の長期保管設計は三百年を想定していました」
颯は棚を端から見た。数えられないほどある。三百列以上、高さ七段。施設の奥まで棚が続いていた。
「全部で何種類ある」
「棚のコードを解析しています。……農作物の種子が千二百七十四種、薬用植物が三百十六種、緑化植物が八十八種。合計千六百七十八種の記録が管理台帳に登録されています」
颯は棚の間に立ったまま、しばらく動かなかった。
フィーエルで育てているのは十二種類だとセイが言っていた。エリアの隠れ里が確保しているのが三十種ほど。それがこの棚に納まっている数の、五十分の一に満たない。
「遺伝情報のデータベースはあるか」
「管理端末があります。部屋の奥に」
端末は棚の最奥にあった。
旧連邦規格のコンソール型で、モニターは暗いが電源が入っていた。颯がタッチすると画面が点灯した。旧連邦農業局のロゴが現れ、次にメニュー画面が出た。
「接続します」アルテが言った。「……データベースのインデックスを確認しています。遺伝情報、栽培環境記録、交配実験記録、品種改良の経緯。全部入っています。エリアから聞いた品種をリストアップします」
颯は端末の前で待った。
「確認しました。エリアが探している十四種のうち、十一種がここに記録されています。残り三種は記録がなく、連邦内の別施設が管理していた品種です。おそらくここには来ていない」
「十一種ある」
「はい。栽培環境データと交配記録も含まれています。エリアの隠れ里の環境条件でどう栽培するかを計算するのに必要なデータです」
颯はモニターの前に立ったまま、換気扇の音を聞いた。低く一定の音。誰もいない部屋で、百七十年以上動き続けた機械の音だった。
「コピーは取れるか」
「外部記憶媒体があれば。錆鉄丸の補助端末を持ってくれば転送できます」
「分かった。取ってくる」
船に戻って補助端末を取り、施設に戻った。端末を管理コンソールに接続した。アルテが転送プログラムを組んだ。
「容量は二十テラバイトほどです。三十分かかります」
「待つ」
颯は棚の間に戻って座った。金属の棚が整列している。容器が並んでいる。低い換気音が続く。
旧連邦がこれを作った時、百七十年後にフィーエルから来た若い船乗りが持ち出すことを想定していただろうか。おそらく想定していない。施設を設計した人間も、種子を収めた人間も、とっくに死んでいる。ただ機械だけが動き続けた。
「転送完了しました」アルテが言った。
颯は立った。端末から補助媒体を外した。手のひらに乗る大きさに、千六百七十八種の植物情報が入っている。
「エリアに送れるか」
「帰りにデルタに寄れば、そこから中継できます。直接の通信は距離があって難しいですが、デルタ経由なら三日以内に届きます」
「それでいい」
颯は部屋を出る前に、もう一度棚を見た。種子は当分ここにある。データはコピーした。必要なら誰かが来て現物を取り出せばいい。エリアがその判断をする。颯がするべきことは、情報を届けることだけだ。
扉を閉めた。廊下を戻った。外の気温が体に当たった。
錆鉄丸まで歩きながら、颯は通信を開いた。
「アルテ、このリード13番に信号を送り続けた人間は、送信を止めた後に何があった」
「不明です。施設の日誌記録は百七十三年前で終わっています。最後の記録は通常の点検報告です」
「普通に生きていた」
「記録の上では。その後のことは残っていません」
颯は船に乗った。コックピットに座った。
「帰りのルートにゾーラのステーションを入れてくれ」
「既に入れてあります」
「デルタには十九日後に着く」
「はい」
エンジンを起動した。着陸脚が動いた。砂が舞った。施設が下に遠ざかった。白い構造体が岩盤の中に小さくなった。
まだ換気扇が動いているはずだ。誰も来なくても、百七十年そうであったように、次の誰かが来る時まで、種子を守り続けるだろう。
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