リード13番の座標
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アステルまで、三日かかる。
錆鉄丸は帯の外縁を離れ、岩礁の少ない宙域へ出た。デルタの六本アンテナが視野から消えると、前方は均一な暗さだけになった。エンジン音が一定に続いている。
一日目、颯は小さな作業を積み上げた。消耗品の棚卸し。熱交換フィンの清掃。固定ボルトの増し締め。手を動かさないと考えすぎる。
「フィーエルから受信しました」アルテが言った。首からかけた端末が短く振動した。「セイさんです。デルタとの直接通信ルートを確立したいとのことです。ゾーラさんへの許可確認を依頼されました」
「ゾーラに確認を送ってくれ」
「送ります」
返信はすぐに来た。
「ゾーラさんから了解の返答が来ました。フィーエルとデルタの直接通信窓を毎日一回、デルタ時間の十四時に設定するとのことです」
颯はフィンを拭いた布を折り畳んだ。フィーエルからデルタへの直通。颯が中継しなくていい。五つの拠点が自分たちで声を交わせる。
「アステルからも来ています」アルテが続けた。「イグニスさんです。デルタから転送したデータの中に、三十年前に廃棄した採掘機の設計書があった、と」
「使えそうか」
「確認中だそうです。ただし、メッセージの文体が普段より早口です」
「珍しいな」
「廃棄した時の判断記録も含まれていて、当時の状況が詳しく書かれていたとのことです。内部構造の設計書と、修理の失敗記録が両方ある。当時はできなかったことが今なら分かる、と書いています」
ゾーラが七十年かけて集めたデータが、もうアステルで動き始めている。颯は保存食の藻の抽出液を一口飲んだ。苦くて薄い。ゾーラが補充してくれた食料の中にましなものがあったが、手間をかける気にならなかった。
二日目の朝、隠れ里からエリアが送ってきた。
「水路の改修が完了しました、という報告です」アルテが言った。「浄化フィルターが安定して動いています。一か月間の水質データが添付されています」
「問題はないか」
「はい。エリアさんから個人的なメッセージもあります。次に来る時には新しい植物を見せたい、とのことです。フィルターが安定したことで、新しい栽培試験を始めているそうです」
颯は返答を送った。次に立ち寄る時に交換部品を持っていく。栽培試験の話を聞かせてくれ、と。
端末が静かになった。窓の外は均一な星だった。
「アルテ、北北西の信号はまだ来ているか」
「継続しています。十七時間周期が変わらず続いています。錆鉄丸のアンテナでも受信できています」
「今いる位置から見て、どの方角だ」
端末の画面に方向が表示された。颯はその方角を見た。星しかない。暗くて均質な宙域だ。七百から千天文単位の向こう。アステルに旧連邦の星図が残っているはずだ。着いたら確認する。
三日目の夕方、アステルが視野に入った。
小惑星帯の中に構造物が見えた。太陽光パネルが並んでいる。ドッキングポートの誘導灯が点滅している。一か月前と変わらない外観だったが、格納庫の外側に新しい作業の跡があった。大きな何かを動かした痕跡だ。
着陸許可を要請すると、すぐにイグニスの声が返ってきた。「颯、戻ったか。あの資料は本物だぞ。廃棄した時の判断記録まであった。当時何が壊れていたか、全部書いてある」
「廃棄した理由が分かれば直せるかもしれないな」
「そういうことだ。外装を外して確認している。駆動部の構造がシンプルだ。当時は部品の寸法が分からなくて諦めた。今は設計書がある」
颯は岩の多い地形に慣れた操作で錆鉄丸を下ろした。着地の感触が脚を通して来た。
格納庫に入ると、イグニスが待っていた。
白いものが混じった髪を短く刈り込んだ男で、作業着の袖に機械油の跡があった。背は高くないが、動作に無駄がない。以前と同じ顔つきだったが、目の奥が少し違った。何かが前に進んでいる顔だ。
「着いたか」イグニスは言った。格納庫の奥に歩きながら、颯もついた。「ゾーラという人間のデータを一晩かけて読んだ。前任者の記録が混じっていた。三十五年前に亡くなった人間だ」
「知っている。ゾーラから聞いた」
「修理の進め方と、機械の癖と、失敗の記録が細かくある」イグニスは立ち止まって、むき出しのフレームに手を置いた。大型の採掘機だ。カバーが外されて、内部がさらされている。「読んでいると、作業している姿が浮かぶ。死んだ人間の記録を読むのは変な気分だが、参考になる。あの記録がなければ、この機械をゼロから調べ直していた」
「今はどこまで進んでいる」
「外装を外して、駆動部の確認をしている。部品は七割が使える。残りは作るか、代替品が要る。部品の寸法表があれば話が早い」
「設計書を転送する」颯はアルテに言った。「採掘機の関係だけでいい」
「転送します」
イグニスは受け取った画面をその場でスクロールした。しばらく見てから言った。「部品の寸法表がある。セイに連絡する。フィーエルの製造設備でいくつか作れるはずだ。通信は安定しているか」
「デルタ経由の中継もあるし、直接届く周波数帯もある。今夜中に送れる」
「いい」イグニスは画面から目を上げた。「ゾーラとは話せたか」
「話せた」
「どういう人間だった」
「七十年間、誰も来ないと思いながら送信を続けていた」
イグニスはしばらく黙った。格納庫の隅の作業灯が細く光っている。機械油の匂いがする。
「似ているな」イグニスはやがて言った。「うちも似たようなものだった。壊れる前に直して、尽きる前に探して、それを繰り返してきた。誰かに届くとは思っていなかった」
「続けていれば届く」
「そうなるとは思っていなかった」イグニスは同じ言葉をもう一度言った。言い訳でも反論でもない。ただ事実として言った。
夜、颯は格納庫の隅に置かれた折りたたみ椅子で星図を開いた。
アステルの地図データを取り込んだ。旧連邦が測量した宙域の記録だ。一部は更新されていないが、大まかな位置関係は分かる。
「アンテナを少し使ってもいいか」颯はイグニスに言った。「北北西に信号がある。デルタで拾えたが、アステルの設備なら精度が上がる」
「どういう信号だ」
「十七時間周期で送信されている。旧連邦の通信形式だ。ゾーラが言うには三年間続いているそうだ。デルタが最初に受信できる位置にあった」
「三年か」イグニスは少し考えた。「使え。どのチャンネルを開ける」
アルテが周波数を指定した。イグニスが設備を操作した。受信感度が上がった。
三十分ほどして、信号が来た。
「解析します」アルテが言った。短い間があった。「旧連邦の標準通信フォーマットです。音声なし。データパケットです。内容を確認します。座標と、施設識別コードが含まれています。照合します」
颯は待った。格納庫が静かだった。イグニスも画面を覗いていた。
「旧連邦の農業・生態系管理施設のコードです」アルテが言った。「施設名は、リード・ステーション13番」
「農業か」イグニスが言った。
「旧連邦が開拓時代に設置した系列施設のひとつです」アルテが続けた。「食料生産と生態系維持を目的とした施設で、最大三十名が居住できる設計です。設立は二百年以上前。記録の最終更新は百七十年前です。ただし今も信号を送り続けています」
「百七十年前の施設が、まだ動いている」颯は言った。
「旧連邦の建築品質はそういうものです」アルテが言った。「アルテも、錆鉄丸も、デルタのアンテナも、同じです」
イグニスは独り言のように言った。「農業施設か。食料が向こうにある可能性がある」
「施設の現状次第だ」颯は言った。「自動送信だけで、人間がいないケースもある」
「行くか」
「行く。アステルの作業が軌道に乗ってから。一週間後を目安にしている」
イグニスは頷いた。「採掘機の方は一週間あれば見通しが立つ。セイへの連絡も今夜中に送る」
「ゾーラへの定期通信も設定してくれ。週に一度で構わない」
「する」
深夜、颯はひとりで星図と向き合った。
リード・ステーション13番。七百八十天文単位、北北西。アステルから計算した座標は確定している。途中に星団が二箇所あるが、小型船なら通れる。二週間から二十日の航行だ。
「問題は燃料だな」
「アステル基地にある設備で増槽を追加すれば可能です。旧連邦規格の単座型多目的作業艇の設計を確認し重量バランスを計算します。しかし、それでも七百八十天文単位の直行は不可能です」
「途中の星団で補給するしかないか」
「はい。アステルにあった星図を確認すると一つ目の星団に旧連邦の中継デポの記録があります。そこで残存燃料を確保できれば到達可能です」
「頼む。それから、農業施設の設計書の概要が残っているか」
「確認します」端末に内容が表示された。「旧連邦の農業施設シリーズの標準設計です。種子保管室。水耕栽培区画。生態系モデリングシステム。植物遺伝情報データベース。これらが基本設備として含まれています」
颯は読んだ。種子保管室。植物遺伝情報。
「エリアの隠れ里は、独自の生態系を長年維持してきた」颯は言った。
「はい。ただし種類が少ないです。外来の植物種を受け入れることには慎重でした」
「データを先に共有すれば、エリアが適合性を確認できる。種を持ち込む前に検討できる」
「はい。施設の現状を確認してから、という順序になります」
颯は端末を置いた。格納庫の外で、アステルの岩が静かだった。採掘機の修理が始まる。通信が安定する。そして一週間後、錆鉄丸はまた出る。
北北西へ。リード13番へ。三年間、十七時間ごとに信号を送り続けた施設へ。
その施設が何を持っているかは、まだ分からない。ただ、送信を続けているということは、そこに何かがある。ゾーラも、エリアも、イグニスも、諦めずに続けてきた。リード13番も同じだ。同じやり方で、誰かが来るのを待っていた。
「アルテ、リード13番への航路計算を進めてくれ。途中の星団の通過ルートも含めて」
「計算します」
「出発は一週間後を目安にする。アステルの作業次第で前後するかもしれない」
「分かりました」
颯はシートに深く体をあずけた。エンジンは止まっている。静かだった。計器の光だけが細く点いている。
フィーエル。アステル。ロストン、デルタ。隠れ里。五つの拠点が今、同じ通信網の中にある。そしてその外縁に、まだ名前のない六番目がある。三年間、誰も答えなかったにもかかわらず、十七時間ごとに信号を送り続けてきた場所が。
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