葉の数
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五日目の朝は薄く霧がかかっていた。
地表の湿度が高い。水路の修理で何かが変わったのか、季節の変わり目なのかは分からない。エリアが計測キットを持って入口へ向かった時、草の先端が光っていた。朝露だと颯は思った。
「降りるか」
「降りよう」
クレが先に地下の入口を開けていた。三人が降りた。照明を点けると、水の音が広がった。
昨日より大きい。水量が戻っている。
「計測を始めます」アルテが言った。「採水に五分かかります」
颯は壁を見た。三カ所の補修跡がある。入口から三十メートル、六十メートル、そして分岐の奥の天井側。すべて固まっていた。一カ所目の跡に触れた。硬い。亀裂は埋まっている。
「なじんできた」エリアが隣に立った。「色が変わっている。補修材と壁が馴染んできた」
「時間がかかるが、なじむ」
三カ所の採水を終えた。アルテが数値を読んだ。
「根由来の成分、三カ所平均で〇・六の低下です。いずれも基準値の範囲に入りました」
「問題はないか」
「現時点では問題ありません。ただし、壁の外側からの新たな根の侵入を防ぎきれていません。定期的な確認が必要です」
「どのくらいの周期か」
「三カ月に一度の目視確認。計測は半年ごとで問題ありません」
エリアは記録した。「三カ月に一度なら、私たちでできる」
三カ所目は分岐の奥だった。天井に向けて照明を当てた。亀裂は見えない。クレが壁に手を触れた。
「一番きれいな仕上がりだ」
「あなたがやった」
「颯の肩の上だったから、角度が分からなかった」クレは天井を見上げたまま言った。「それでもきれいに入った」
地上に戻ると霧が薄れ始めていた。光が横から差している。エリアは端末を開いた。
「ロストンに送る。ミカが待っている」
「追加情報がある。アルテ」
「アルテノフィラの根は、水路内部の水分を失った後、収縮反応を示しています。根は自ら引き始めています。強制的な除去は不要かもしれません。ただし、外側からの新たな侵入には引き続き注意が必要です」
エリアは書き込んだ。「根が引く、か」
「植物は水を追う。水がなくなれば追わない」
「単純なのか複雑なのか分からない仕組みだ」エリアは言った。「でも理にかなっている」
「同じ構造のインフラが他の場所にもある。ロストンも確認した方がいい。アルテが設計書から三カ所の確認箇所を推定している」
「それもミカに送る。向こうも直せる場所が増える」
午前にヘインの部屋へ行った。
ヘインはベッドの脇に立っていた。壁に手をついている。
「立てるようになったか」
「今朝から」ヘインは息を整えながら言った。「膝が震えるが、立てる」
「無理はするな」
「していない。確認した」ヘインは壁から手を離した。一秒、二秒。それから颯に向けて一歩踏み出した。「歩ける」
颯は何も言わなかった。ヘインが自分でベッドに戻った。息が少し荒かった。
「計器を出す」
「頼む」
血圧、体温、簡易血液検査。数値はすべて改善していた。三日前と比べると、血液の成分が変化している。
「投与の効果が出ている」
「そう感じる」ヘインは手の甲を見た。「以前は皮膚が薄くなっていた。今は戻っている。血管が見えにくくなった」
「あと一週間は続ける」
「了解した」ヘインは窓の外を見た。「外に出られるのはいつか」
「体の状態次第だ。デルタへ出発する前に、一度外を確認してもらう」
「出発前にもう一度来てくれるか」
「来る」
ヘインはうなずいた。窓の光が横から当たっていた。顔の色が三日前より明るい。病人の顔ではなくなりつつある。
ユイは庭にいた。
昼前の光の中で、鉢を膝に置いて外に座っていた。カウが横で眠っている。
「外に出られるようになったか」
「昨日から」ユイは顔を上げた。「日向が気持ちいい」
颯は隣に座った。鉢を見た。葉が増えている。
「また増えた」
「今朝も増えた」ユイはノートを開いた。「これで八枚。最初は五枚だった」
「日向に出したからか」
「日向と、水と、土」ユイは鉢を持ち上げた。「エリアが土を変えた。もっと根に合う土にした。そうしたら増え始めた」
「根が安定したのか」
「エリアがそう言った」ユイはノートを閉じた。「颯、これは持って行く?」
「植物をか」
「うん」ユイは鉢を颯に向けた。「颯にあげたものだから、颯が持って行く」
「船に置けるか」
「小さいから大丈夫だと思う」
颯は鉢を受け取った。葉の裏を見た。光っていない。昼間は光らない。夜に照明を落とすと光り始める。
「持って行く」
「よかった」ユイは膝を抱えた。「カウに聞いたら、眠ったまま返事をしなかった」
「寝ているからだ」
「そうだね」
投与の準備をした。外で打つのは初めてだった。ユイは風を感じながら腕を差し出した。針が入る時、顔を上に向けた。空を見ていた。怖がっていない。
薬剤が入った。ユイは深く息を吸った。
「あと何日」
「五日だ」
「五日で終わる」
「そうだ」
「終わったら颯は出発するの?」
「出発する」
「そっか」ユイは鉢を膝に戻した。「じゃあ五日で記録を増やすね」
午後、颯は錆鉄丸の点検をした。
推進系、電力系、生命維持。センサーアレイの較正。環状帯に入れば粒子密度が上がる。センサーの精度が下がる。事前に較正しておく。
「アルテ、環状帯通過時の補正は」
「更新済みです。精度低下は四十パーセント程度に抑えられる見込みです。昨日エリアが話していた流れの強い区域は、南南西からのアプローチで迂回できます。所要時間が二時間増えますが、許容範囲です」
「デルタへの連絡は」
「エリアが今日試みます。返事があれば通知します」
「了解した」
颯は船内を一通り歩いた。エンジン室。貨物区画。医療設備の棚。M-0144の予備部品がある。予備の補修材もある。デルタに人がいれば、使えるかもしれない。
鉢を置く場所を確認した。計器類の棚の端に、固定できる空間がある。揺れには強い棚だ。
夜、エリアがテーブルに端末を置いた。
「デルタのゾーラから返事があった」
颯は顔を上げた。
「何と言っていた」
「短い文だった」エリアは端末を向けた。「『デルタ周辺の情報を提供できる。接触を歓迎する。ただし、事前に通信での確認を要する』と」
「声で確認したいのか」
「そうだと思う」エリアは端末を引いた。「ゾーラは慎重な人だ。外からの訪問者を受け入れるかどうかを、直接確かめたい」
「理解できる」
「出発前に一度、直接通信してほしい。錆鉄丸の通信機で届く。ゾーラの周波数を伝える」
「頼む」
アルテが端末に受信した。「周波数を確認しました。錆鉄丸の通信機でアクセスできます」
「出発の前日に通信する」
エリアはうなずいた。颯はテーブルを見た。エリアの手元に、この数日間の記録が積み上がっている。水質のデータ、投与の記録、ロストンとの通信の写し。
「この記録は残るか」
「残す」エリアは言った。「これからここで暮らしていく人たちのために」
「水路の問題が再発した時に使える」
「それだけではない」エリアは記録を見た。「あなたたちが来て、何をして、何が変わったか。その記録だ」
颯は返す言葉がなかった。
「ロストンにも送り続ける」エリアは続けた。「ミカも記録している。いつか、それらをまとめて読める人が出てくるかもしれない」
「旧連邦の記録がそうだったように」
「そうかもしれない」エリアは静かに言った。「私たちが残した記録を、誰かが百年後に読んで、また同じ問題を解決する。そういうことになるかもしれない」
「百年後か」
「分からない。でも、書いておく価値はある」
颯は立った。「ゾーラへの通信は明後日だ。出発は明後日の夕方を予定している」
「患者の最終確認は」
「明後日の朝に行う。ヘインとユイの状態を確認してから出る」
「了解した」エリアは記録に書き込んだ。「ヘインとユイに伝えておく」
夜、照明を落とした。
鉢の葉が光り始めた。八枚ある。最初は五枚だった。ユイが数えていた。
颯は葉を見ながら端末を開いた。明後日の出発前チェックリストが並んでいる。ゾーラへの通信、患者の最終確認、燃料の最終確認、センサー較正の再確認。
「アルテ」
「はい」
「デルタに人がいた場合、最初に何を確認するべきか」
「通信記録です。旧連邦のデータベースにアクセスできれば、他の生存者コミュニティの情報が得られる可能性があります。次に施設の状態。そして、人がいるなら、その人たちの状況」
「必要としているものがあるかもしれない」
「あるかもしれません。M-0144の部品を持って行くことにしましたが、それ以外にも対応できる準備は必要です」
「できる範囲で」
「はい。確約はできませんが、準備はできます」
颯は端末を閉じた。葉の光が静かに揺れている。八枚。ユイが記録していた。
ユイはこれを颯に渡した。水路を壊した植物の仲間を、礼として渡した。なぜそうしたかは颯にはよく分からない。でも受け取った。デルタまで持って行く。その先へも持って行くかもしれない。
ヘインが今朝立った。クレが水路の作業をした。ユイが外に座った。水路の数値が基準に入った。
一つ一つは小さいが、積み重なっている。エリアが記録している。ロストンに送っている。送った先でミカが記録している。旧連邦の設計書が百年越しに今の問題を解くように、今書かれた記録が百年後の誰かの手に届くかもしれない。
颯はそこまで考えてから、考えを打ち切った。眠ることにした。
明後日に出発する。それで十分だ。
葉の光が揺れて、また静まった。
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