扉の内側
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ハッチが内側から開いた。
音がなかった。油圧の作動音も、ロック解除の警告音もない。颯は錆鉄丸のエアロックで待ちながら、手を動かさなかった。
十二分後、外側の通路灯が一つずつ点いた。
幅は一メートル半。旧連邦規格の壁面パネルが並んでいたが、継ぎ当てが多かった。隙間には樹脂ではなく、植物繊維を固めた板が詰められていた。金属の匂いより、湿った土の匂いが先に来た。
颯はM-0144の部品ケースを片手に持ち、アルテの端末を胸元に固定してエアロックを出た。
「酸素濃度は正常です」とアルテが耳元で言った。「湿度が高い。植物由来です」
颯は床を見た。靴底の下に薄い網目があった。排水溝ではない。細い根が、透明な保護材の下を走っていた。
三十メートルほど先に扉があった。扉の手前に人が一人立っていた。
女性だった。背は低い。肌は浅黒く、髪は後ろで短く束ねていた。手に武器はなかったが、腰には工具に似たものが吊ってあった。颯が踏み入れた瞬間から、視線はケースに落ちていた。颯の顔ではない。機材を見ていた。
近づくにつれて、視線が上がった。胸元の端末を見て、颯の目を見た。
彼女が先に口を開いた。
アルテがすぐに訳した。「届いていた、だそうです」
「颯、という」
「エリア」と彼女が言った。
沈黙があった。エリアは端末を見た。
「AIか」
「アルテという」
「話せるか」
「はい」とアルテが応えた。「あなたの言語はまだ不完全です。誤訳があれば訂正してください」
エリアはその声を数秒聞いてから、颯を見た。値踏みではなかった。決断前の目だった。
「患者が三人いる」
「診る」
「今日か」
「今だ」
エリアは一拍止まってから、扉に向かって歩き出した。振り返らなかった。
颯はその背中についた。
内部は広かった。
天井は岩盤だった。だが岩肌はほとんど見えない。緑が張りついていた。太い蔓が配管に沿って伸び、葉が低い照明を受けて鈍く光っていた。水の流れる音がした。遠くで換気ファンが回っている。機械と植物が同じ場所で息をしていた。
通路の下には水路があった。幅は三十センチほど。透明な水がゆっくり流れている。水路の縁には小さな白い花が咲いていた。颯は歩きながら、壁の継ぎ目を見た。古い金属、焼けた配線、植物繊維の補修材、手作りのセンサー。長い時間をかけて、生き延びるために足されたものだった。
「ここで何人暮らしている」
「百八十六人」とエリアが答えた。「数え方によっては百八十九人」
「数え方」
「三人は、起きていない」
颯はそれ以上聞かなかった。
人影が増えた。子どもが二人、葉の影からこちらを見ていた。年配の男が水路の蓋を押さえていた。若い女が手に持った籠を胸元に寄せて立ち止まった。全員が黙っていた。敵意は強くない。だが外から来たものを、簡単には受け入れない沈黙だった。
「送信は三日目から聞いていた」とエリアが前を向いたまま言った。「最初の二日は無視した」
「二十六年、外を入れたことがないと聞いた」
エリアは足を止めなかった。「患者が三人いる」
同じ答えだった。颯は繰り返さなかった。
栽培区画が見えてきた。棚状の畑が何段も並び、根菜に似た植物が育っていた。天井から吊られた小さな照明が、区画ごとに色温度を変えている。配管に沿って手書きの管理票が貼られていた。インクが薄れ、上から重ね書きされている。何年も、同じ人間が続けてきた作業の跡だった。
「この緑は全部、この場所で育てたのか」
「そうだ」とエリアが言った。「種は最初から持っていた。旧連邦の実験プログラムの残りだ」
「一人でやってきたか」
エリアは少しだけ歩を緩めた。「最初は七人だった」
それ以上は言わなかった。颯も聞かなかった。
医療室は栽培区画の奥にあった。
部屋は狭く、壁の一面に古い診断装置が並んでいた。表示盤の半分は死んでいる。生きている画面も、数値の更新が遅かった。ベッドは三つ。そのうち一つに少女が横になっていた。
年齢は十代半ばに見えた。頬がこけている。腕は細い。呼吸は浅く、一定ではなかった。目は開いていたが、焦点が少し遅れて動いた。
「クレ」とエリアが言った。「外から来た技師だ」
「医者じゃない」と颯は言った。
エリアが颯を見た。「でも、治せるかもしれない」
「診てからだ」
クレはかすかに笑った。「正直な人」
颯はケースを開けた。M-0144の診断ユニットと補助カートリッジを取り出す。長距離輸送用の緩衝材を外し、床に小型スタンドを立てた。アルテが端末から機器を認識し、接続音を鳴らした。
「電源は」
「壁面から取れます」とアルテが言った。「出力が不安定です。バッファを挟んでください」
颯は持参した蓄電セルを接続した。旧連邦規格の端子は合わなかった。変換具を一つ削る必要があった。ベルトからトルクレンチを出し、ケース内の固定具を締め直す。
エリアがその手元を見ていた。
「その工具」
「ロストンで借りた」
「ロストンを知っているのか」
「ここに来るまでいた」
エリアの動きが一瞬止まった。颯は振り返らなかった。工具を締め直し、蓄電セルの接続を確認した。
「ミカは」とエリアが言った。
「生きている。ダルも」
部屋が静かになった。エリアは何も言わなかった。颯はケースの中を見ていた。
しばらくしてから、エリアが息を吐いた。小さかった。だが、部屋の空気が変わった。
「接続できます」とアルテが言った。「初期スキャンを開始できます」
颯はクレの横に立った。「触る。痛かったら言ってくれ」
「痛いのは慣れてる」
「慣れる必要はない」
クレは少しだけ目を見開いた。
颯は診断ユニットを腕の近くに置いた。センサーが薄い光を出す。皮膚、血流、代謝反応、神経伝達の乱れ。アルテが数値を読み上げず、颯の端末に整理して流した。エリアがそばに立っていた。口は挟まなかった。
「原因は一つではありません」とアルテが言った。「微量元素の慢性的な欠乏、代謝経路の異常、神経系の炎症反応。環境由来の可能性が高い」
「M-0144は使えるか」
「使えます。完治ではありませんが、代謝の補助と炎症反応の抑制は可能です。短時間で体感が出る可能性があります」
エリアが息を吸った。「危険は」
「あります」とアルテが言った。「ただし現在の状態を放置する危険の方が高い」
颯はエリアを見た。「やっていいか」
エリアはクレを見た。
クレは天井を見ていた。岩盤に絡む細い根が、医療室の天井にも伸びている。葉は小さかった。
「やって」とクレが言った。
エリアは頷いた。「お願い」
颯はカートリッジを差し込んだ。M-0144が低く振動した。治療用の微細噴霧がチューブを通り、クレの腕に固定した吸収パッドへ送られる。アルテが反応を監視した。
一分。二分。三分。
大きな変化はなかった。颯は数値だけを見た。焦っても意味がない。機器は機器の速度で働く。体は体の速度で戻る。
「血中酸素、上昇」とアルテが言った。「末梢循環も改善。炎症マーカーが下がり始めています」
クレの指が動いた。
最初は痙攣かと思った。だが違った。彼女は自分の手を見た。指を一本ずつ曲げた。
「重くない」とクレが言った。
エリアがベッドの柵を握った。
「クレ」
「腕が、重くない」
クレはゆっくり息を吸った。途中で咳き込まなかった。胸が静かに上下した。
「体が、ちゃんとある感じがする」
颯は表示を見た。数値はまだ悪い。正常には遠い。だが、落ち続けていた線が止まっていた。止まって、少しだけ上向いていた。
「一回で終わりじゃない」と颯は言った。
「分かってる」とクレが言った。「でも、今は分かる」
「何が」
「明日があるかもって」
エリアは何も言わなかった。柵を握る指に力が入りすぎて、関節が白くなっていた。
颯は治療ログを保存した。「次は三時間後に再測定する。二回目を入れるかはその後だ」
「他の二人は」とエリアが聞いた。
「今日中に診る。使えるなら使う」
颯はケースを閉じなかった。次に使うからだ。
医療室の外で、誰かが小さく息を漏らした。扉の隙間から子どもの顔が見えた。クレが動かした手を見ていた。
颯は端末を持ち上げた。
「アルテ、治療プロトコルをこの施設の電源と水質に合わせる」
「はい。栄養成分の不足も計算に入れます」
「エリア」
「何」
「食事の成分表が要る。水路の水質データも」
「渡す」
「あと、ロストンへの返信文を作る」
エリアが一瞬、言葉を失った。
「ロストンへ?」
「ミカに伝える。エリアは生きている、と」
エリアは医療室の入口を見た。緑の通路の向こうで、水の音が続いていた。閉じた岩の中で、二十六年分の時間が流れている。
「……短くしてくれ」
「分かった」
颯はM-0144の表示を確認した。クレの呼吸は安定していた。
扉の内側に、外から来た機械の低い振動が残っていた。それは大きな音ではなかった。けれど、部屋にいる全員が聞いていた。
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