八日目の針路
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起床は機関音で決まる。
颯は燃焼サイクルの周期が微妙に乱れていると目を覚まし、天井を三秒見てから操縦席へ移動した。夜明けはない。窓の外に太陽はなく、ただ星の点が静止している。夜と昼の区別は、颯が眠る時間と起きている時間だけだ。
計器を確認する。燃焼周期の乱れは本物だった。振れ幅〇・四パーセント。問題がある数値ではないが、昨日より広い。
「昨日より〇・〇九ポイント悪化しています」
アルテが先に言った。
「分かってる」
「原因は第一燃焼室の噴射タイミングのずれです。センサーを見ればわかります」
「見ている」
「では調整しますか」
「今日の午前中にやる」
颯は手元に栄養パックを引き寄せながら、ナビゲーション画面を確認した。フィーエルまで、七日と十一時間。出発から六日が過ぎていた。
指で残量を確認する。パックの中身はあと十六個。一日二個使えば八日分。フィーエルに着いたとき、ぎりぎりゼロになる計算だ。補給を前提にした数字で、失敗は許されない。颯はそれが気になるわけではなかった。どうせいつもそういう計算で動いている。
午前中の作業は三時間かかった。
第一燃焼室のタイミング調整は小さな作業ではない。噴射弁を一基ずつ外して清掃し、バネの弾性を測定し、規格値から外れているものを交換する。颯の手持ちの予備部品は限られているから、まだ使えるものは最大限使う。どこまで使えてどこから交換するかの判断は、図面と数字と経験が要る。
三基交換し、二基は清掃して戻した。
「テストします」
アルテの声がイヤフォンに届いた。出力を少し上げ、すぐ戻す。計器の数値が揺れた。
「振れ幅〇・一パーセント以下です。改善しました」
「分かった」
颯は工具を袋に戻しながら、機関室の空気を吸った。金属と油の匂い。この場所の匂いは、颯が五年間積み重ねてきた作業の堆積だ。どこを触っても自分の手の跡がある。前の持ち主が残した部分も、今は自分の仕事の上に塗り重なっている。
工具袋を肩にかけて立ち上がろうとしたとき、アルテが声を変えた。
「颯」
「何だ」
「センサーに反応があります」
工具袋を床に置いた。操縦席に戻るより早く、アルテが追加の情報を送ってきた。
「後方、推定六十二万キロメートル。同一方向への移動を継続しています。発見から十八分です」
操縦席に収まり、後方センサーの生データを展開した。
光点ひとつ。微弱な放射シグネチャ。颯は自分の船の排熱パターンを頭に浮かべ、比較した。アルテが改修した排熱システムが入っているこの船より、シグネチャが少し強い。より古い設計、あるいは改修なし。それだけのことは分かる。
「識別できるか」
「船型の特定はできていません。この距離ではシグネチャの輪郭しか取れない。ただ」
アルテが少し間を置いた。
「この方向に自然な航路はありません。フィーエルと反対方向から来ており、かつ速度がほぼ我々と一致しています」
「偶然か」
「六十二万キロの距離を維持しながら十八分。偶然の一致としては、統計的に低い確率です」
颯は後方センサーから目を離さなかった。六十二万キロ。自分の船の最大センサー到達距離は八十万キロだ。相手も同程度の装備なら、こちらも見えている。
「いつから着いてきている」
「最初に捉えたのが十八分前ですが、それ以前からいた可能性があります。センサーの死角があります。具体的には、四十万キロより内側に入ると分解能が落ちる帯域があり、そこをすり抜けてきた場合は気づかなかった可能性があります」
颯は手を膝に置き、数秒考えた。
追われている、と即断するのは早い。この宙域を同じ方向に移動している船は他にもいる。フィーエルは廃棄プラントとはいえ、資材目当ての漂流者が向かう場所だ。たまたま同じ針路を取っている別の同業者である可能性は、排除できない。
「速度を三パーセント上げたらどうなる」
「相手が同速を維持するかどうかで、判断できます」
「やれ」
推進出力が上がった。機関音が少し高くなる。颯はそれを聞きながら、後方センサーを見ていた。
四分後、後方の光点が少し輝度を増した。
「相手の速度が上がりました。距離は維持されています」
颯は息を吐いた。
すぐに動く必要はない。
颯は一度席を離れ、栄養パックをもう一本開けた。考えながら飲む。相手が距離を維持している、それだけの事実を整理した。追いつこうとしていない。ただついてきている。監視か、あるいは接触のタイミングを計っているか。
「前の持ち主を追っていた集団の話をしたな」
「はい」
「六年間の情報がないと言っていた」
「そうです」
「今の宙域で、そういう組織が生き残っている可能性は」
アルテは即答しなかった。計算しているのか、情報を整理しているのか。颯はその間の長さが、以前より読めるようになっていた。今は長い方の沈黙だ。
「私が大崩壊から保有しているデータによれば、当時そのような医療技術を独占しようとしていた勢力は複数ありました。宙域を支配していた商業連合体、旧連邦の解体に乗じた資源管理組織、いくつかの星系規模の武装集団。六年前のことなら、それらの後継か残党の可能性があります」
「生き残っているとして、今でもM-0144を追う動機があるか」
「感染症は今も宙域で継続しています。医療合成技術を持つことは、患者を助けることよりも、薬剤の流通を握ることの方が価値が大きい勢力にとっては、今も動機になります」
颯は天井を見た。金属の継ぎ目。自分が溶接した部分と、前の持ち主が溶接した部分が、今や区別できなくなっている。
「どうやって俺たちがM-0144を持っていると知った」
「分かりません。ただ、可能性を挙げるなら」
「言え」
「この船は旧連邦の特定の機関系仕様を持っています。前の持ち主が乗っていた船と同型です。シグネチャを知っていれば、型式だけで追跡対象に絞り込める可能性があります」
颯は少し黙った。前の持ち主がダクトを改造して熱シグネチャを変えていたのは、そのためだ。型式で追跡されるなら、シグネチャを変えることが有効な対策になる。今の颯の船はアルテの改修でシグネチャが変わっているが、型式情報まで変えることはできない。
「どこかで情報を取得したか。もしくは」
「もしくは?」
「俺たちがフィーエルへ向かっていることを、誰かが知っていた」
アルテは答えなかった。
午後、颯はコアケージの物理位置を操縦室に移動した。
もともと貨物室に固定していたのは、出発直後の暫定措置だった。アルテへの接続は無線経由で行っていたが、船の全系統を把握させるなら、船の神経系に近い場所に置く方が効率的だ。颯はそれを分かっていて、タイミングを計っていた。今日でいい、と判断した。
百七キログラムを一人で動かすのは、六日前より少し楽だった。手順を知っているから、力の使い方が分かっている。
操縦室の後壁に固定ベルトで縛り、直接接続ケーブルを引いた。接続した瞬間、船全体の情報処理速度が上がった。計器の更新が速くなる。センサーの細かい揺らぎが補正される。颯はその変化を体感として受け取った。
「接続が安定しました」
「気づいていた」
「後方の光点、距離が五十九万キロになっています。少し縮まりました」
颯はその数字を計器で確認した。三万キロ縮んでいる。意図的か偶然か、今の情報では判断できない。
「回避するか、接触するか」
「あなたが決めることです」
「お前の意見を聞いている」
アルテは少し黙ってから言った。
「回避は燃料を使います。接触は情報を与えます。どちらにもリスクがあります。ただ、フィーエルに着いた後で尾行されているより、着く前に状況を把握する方が選択肢は多い」
「追跡者が相手の場合でも、か」
「はい。着いてから問題が起きるより、移動中に問題が起きる方が、逃げる方向が多い」
颯はその論理を聞いて、少し考えた。合理的だ。アルテは戦闘を前提にしていない。逃げる選択肢を保持することを前提にしている。颯の考え方と、そこだけ一致している。
「アルテ、この宙域で電波反射板を展開したらどうなる」
「シグネチャが複数に分散します。どれが本体か、しばらく判断しにくくなる。ただし」
「燃料を使う」
「はい。それと、相手が同じ手を知っていれば、すぐに絞り込まれます」
颯はセンサーを見た。五十九万キロ。
「展開しない。このまま変速を繰り返す」
「了解しました。パターンを作りましょうか」
「俺が決める」
「了解しました」
日が変わった頃、後方の光点は六十五万キロに退いていた。
颯が加速と減速を不規則に繰り返した結果、相手も距離を安定させられなくなったようだった。あるいは単純に、相手が先を急ぐ必要が出ただけかもしれない。どちらにせよ、距離が縮まっていないことは確認できた。
颯は操縦席のリクライニングを一段倒し、フィーエルまでの残り日数を頭に浮かべた。七日と少し。着いてどうするか、何度考えても同じ結論になる。プラントが生きているか確認する。生きていれば、M-0144の図面を持ち込む。そこから先は、現地の人間と話すことになる。颯は交渉が得意ではない。だが、図面という物がある。物がある交渉は、手ぶらの交渉より形を作りやすい。
「颯」
「何だ」
「一つ聞いていいですか」
「聞け」
「あなたはフィーエルに到着した後、どうするつもりですか。図面を渡した後」
颯は少し黙った。
「戻る」
「どこへ」
「次の廃船を探す」
アルテはすぐに答えなかった。
「続けるつもりですか。こういう仕事を」
「お前はやめろと言うか」
「いいえ」
アルテが少し間を置いた。
「私がここに来たのも、データを収集するためです。あなたの仕事と方向が重なっている部分があります。ただ、今回のことがあってから、少し聞きたかった」
「何を」
「あなたがこれを届けた後に、また次の廃船を探すのは、何かを見つけたいからですか。それとも、続けることが目的になっていますか」
颯は天井を見た。金属の縫い目。五年間の航行が刻まれている。問いの意味は分かった。答えを出すのに、少し時間がかかった。
「分からない」
「そうですか」
「お前に分かるか」
「私の場合は少し違います。私はデータを集めることで、失われた技術の再建に貢献したい。それは最初から目的として持っています。ただ、あなたには目的があるように見えて、言葉にする前に終わっている感じがする」
颯は何も言わなかった。
反論が出なかったのは、間違っていないからだ。漂流者の仕事は結果が小さい。廃船を拾い、資材を売り、次を探す。その繰り返しが積み重なって何になるか、颯は考えてこなかった。考える必要がないと思っていた。生きるために動いていた。今でもそれは変わっていないが、今回だけ、少し重さが違う。
「今回は届ける先がある」
「はい」
「そこだけは違う」
アルテはしばらく黙ってから言った。
「届けてから考えてもいいと思います」
短い言葉だった。余分がない。颯はそれを聞いて、少し目を閉じた。
後方の光点は六十五万キロを保っている。フィーエルまで七日。夜の終わりはない場所を、颯の船は一定の速度で進んでいる。
重さがある荷物と、まだ答えの出ていない問いを積んで。
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