夕刻の報告
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夕方、風が止んだ。
フィーエルの夕暮れは早かった。地平線の光の帯が消える前に、空の色は重い藍に変わっていた。颯は錆鉄丸から基地本館に向かった。廊下を歩くと、工作区画から金属音が聞こえた。アリスがまだ動いていた。
食堂のテーブルにセイが座っていた。腕を組んでいた。
カレンは農業当番で来られなかった。颯とセイとアリスが揃った時点で、アルテをスピーカーに繋いだ。
「アルテ、今日の受信状況を全部話してくれ」
「はい。午前から計七回、明確なパターンを確認しました。解析の結果、信号はMMC-44、旧連邦期の医療施設向け通信プロトコルに一致しています」
アリスが眉を寄せた。
「MMC-44。フィーエル基地にも元々設置されていたはずです。今は動いていないけれど」
「正確には、フィーエル基地の設備は旧連邦末期に更新されています。MMC-44は廃止前の規格です。それを今も使っている施設が、フィーエル以外にある可能性があります」
「自動送信じゃないのか」
セイが言った。
「否定できません。旧連邦が設定した定期報告プログラムが今も動き続けているだけ、という解釈も成立します。その場合、現地に人がいるかどうかは別の話です」
テーブルが静かになった。颯は電力計の数値を見た。安定している。
「方向と距離は」
「エリダニ座の方角、推定距離二十一・八天文単位です。絞り込み精度は九十三パーセントです」
「鉄錆丸の燃料を補給しないと行けない」
アリスが手元の設計書から顔を上げずに言った。
「基地に備蓄している燃料があります」
セイが水を持ってきた。三つのコップを並べた。座ってから口を開いた。
「内容はどこまで読めている」
「構造解析が進んでいます。今夜の午後十一時から深夜一時の間に次のパターンが来る見込みで、そこで内容の断片が読み取れる段階に入っています」
「今夜」
「はい」
セイが颯を見た。
「これはM-0144の話とどう絡んでくる」
「直接は絡まない。今は情報収集だけだ」
「しかし行くつもりがある」
颯は否定しなかった。セイが視線を外した。
「優先順位の話をする。FM-331は明日朝六時から組み込む。アリスが主導する。第一ロットが動くまで三日の見込みだ」
「量産ペースは」
「素材量で週二から三台。最初の二十台まで十週かかる」
アリスが続けた。
「B-3の搬入が来週できれば、週四台まで上げられます。颯さん、明日再確認してもらえますか。南東三キロです。前回は搬出困難と判断しましたが、工具が増えた今なら変わるかもしれない」
「する」
颯は頭の中で日数を計算した。週四台。二十台で五週間。百十人の患者に対して、医療チームの判断次第で足りる数字になる。ただし消耗部品の問題がある。
「内部の膜材の試作はどこまで進んでいる」
「来週に評価できます。アルテのデータがなければ試作自体できなかった。成分分析の精度が違う」
「評価の結果はすぐに教えてくれ」
「もちろんです」
食堂の外で誰かが通った。足音が遠ざかった。
颯は水を飲んだ。砂の匂いはもう消えていた。乾燥した基地の空気がある。
「患者の様子を見ておきたい。医療区画に今日入れるか」
セイが少し間を置いた。
「担当の橋本に確認する。今夜は難しいが、明日はいい」
颯は頷いた。ハナが立てた、とセイから聞いていた。しかし百十人いる。その大半はまだ台の上で待っている。
「M-0144が動き始めれば変わる。それまでは手作業の補修分だけだ」
「分かっている」
セイが立った。
「明日の朝六時に工作区画に来てくれ。FM-331の組み込みは全員で確認する」
「行く」
アリスが設計書を持って立った。
「私はもう少し残ります。FM-331とFM-290の接続順序、設計書の記述が古くて解釈が二通りある。今夜中に整理しておきたい」
「何か引っかかったら声をかけてくれ」
「はい」
アリスが出た。セイも出た。颯だけが残った。
食堂の照明が省電力に落ちた。外が暗い。テーブルの上に三つのコップがある。セイの分が半分残っていた。
「アルテ」
「はい」
「前の持ち主の航行ログに、エリダニ座方向への記述はあるか」
短い間があった。
「あります。六年前の記録に、エリダニ座方向への通信試行が残っています。ただし内容の大部分が暗号化されています」
颯は手を止めた。
「暗号化」
「意図的な保護です。解読には七日から三十日かかります。解読鍵のパターンを探しています」
颯はコップを手に取った。水が残っていた。飲んだ。
前の持ち主は六年前、M-0144の設計図を排熱ダクトに隠しながら、エリダニ座の方向に連絡を試みていた。フィーエルだけが目的地ではなかったかもしれない。それとも、フィーエルの先にあるものを知っていたのか。
「追っ手を避けるために暗号化した可能性があるか」
「あります。ただし内容を読まないと判断できません」
「時間がかかっても構わない。解読できたらすぐ報告してくれ」
「分かりました」
颯は立った。コップを流しに持っていった。セイの分も持った。蛇口を開けた。洗った。
外に出ると夜気があった。砂の冷えた匂いがする。星が多い。フィーエルの夜空は埃が少なく、旧連邦期の航行図では観測地点として一級の記録があるとアルテが以前言っていた。
「南西はどこだ」
「地平線から約三十度、あちらです」
颯は南西を見た。星が並んでいる。どれがエリダニ座か分からない。しかしあの方向の二十一・八天文単位先に、医療施設の通信プロトコルを使って信号を送り続けている何かがある。
返信は無意味だ。届くのに長い時間がかかる。それでも信号は来ている。毎日、同じパターンで繰り返している。
六年前、前の持ち主はその方向に手を伸ばしていた。暗号をかけながら。M-0144を隠しながら。届けようとしていた。
錆鉄丸のエンジンを改修すれば、一年でそこに届く。
颯は錆鉄丸に向かった。タラップを上がった。操縦席に座った。通信モジュールのランプが橙色に点いている。受信が続いている。
「今夜は何時まで待つか」
「次のパターンは午後十一時から深夜一時の間に来ます。その後、解析に三十分から一時間かかります」
「深夜二時まで起きている」
「了解です」
計器の数値が一定だった。エリダニ座の方角、二十一・八天文単位先。信号が来ている。今夜も来るはずだ。
前の持ち主は届けられなかった。颯はまだここにいる。
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