四百の音
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朝、旋削盤が回っていた。
セイが十四番の素材をチャックに噛ませた。颯は棚を数えた。昨夜並べた部材が十三点。今日仕上げる四点で全十七点になる。
「午前で終わるか」
セイは刃物台を手動で送りながら答えた。
「昼前だ」
削り屑が出始めた。銀色の細い線が台の下に落ちた。旋削盤の音が低く続いた。
颯は工具棚を開けた。トルクレンチの場所を確かめた。ない。
「施設一番に行く」
「何を取りに」
「トルクレンチ。第二工程で使う」
セイは返事をしなかった。刃物台を引き戻していた。
施設一番は加工区画から西に百三十メートルある。
朝の光が低い角度で差していた。霜が出ている。颯の足跡が白い地面に残った。
扉を開けると鉄の臭いがした。日当たりがないためか、ここは常に外より冷えている。
「工具の棚はどこだ」
「右奥です。A区画とB区画に分かれています。A区画は手工具、B区画は計測器と動力工具です」
颯はライトを出した。右奥に向かった。棚が三段で並んでいる。ラベルが貼ってあるが、文字が消えかかっていた。
「A区画の二段目左を当たってください。おそらくそこです」
引き出しを開けた。スパナ、ソケットレンチ、延長バー。奥に細長いケースがあった。取り出した。重みがある。
ケースを開けると、目盛り付きのバーと替えヘッドが並んでいた。
「型番を読んでください」
ケースの内側に刻印があった。
「TW-4-R-3。旧連邦工業規格です。設定範囲は五ニュートンメートルから六十。M-0144の組み付けに必要な値は三十から五十です。使用できます」
颯はケースを閉じた。
奥の棚も照らした。ガスケット素材が二袋ある。端が劣化していたが、中央部は使えそうだった。
「これも持ち帰る」
「A区画の他の棚も確認しますか」
「今日は工具だけでいい」
颯はケースとガスケット袋を持って施設を出た。霜の上に残っていた足跡が、光の変化で少し白く光っていた。
戻ると、旋削盤が止まっていた。
セイが十六番をマイクロメーターで計っていた。棚に新しく三点が並んでいた。
「十六番が今」
「そうだ。これが終われば十七番に入る」
颯はトルクレンチのケースを棚の端に置いた。
「トルクレンチがあった。第二工程に使える」
セイは顔を上げなかった。
「ジグはまだだ」
「午後から作れるか」
「十七番を仕上げてから段取りする。急がない」
颯はその言葉を聞いた。急がない、というのはセイの調子の言葉だ。丁寧にやる、という意味で使う。
マイクロメーターの目盛りをセイが読んだ。数字を声に出した。公差内だ。
「いい」
セイは部材を棚に並べた。十六番が加わった。あと一点。
十七番の加工は一時間かかった。
素材が短かった。チャックへの咥えしろが少なく、振れが出ないよう慎重に送りを入れていた。颯は近くで見ていた。セイの手の動きは小さく、無駄がない。刃物台を送る速度が均一で、仕上げ面が照明の光を反射した。
削り終えた。セイが部材を外した。マイクロメーターを当てた。
三箇所計った。それぞれを声に出した。
颯はすべて公差内であることを確認した。
「十七点」
セイは棚に並べた。十七番が加わった。颯は左から数えた。一から十七まで揃っている。
形状はすべて異なる。径の違う円柱、段付き、テーパーが入ったもの。それぞれが違う位置に収まるために作られた形だ。個別の公差がある。全点が寸法を満たしている。
颯は一点手に取った。表面が均一だ。重い。冷たい。
「第一工程、完了だ」
セイは旋削盤の切り屑を払いながら言った。
「午後からジグの製作に入る。図面はアルテから受け取っている」
「製作時間は」
「夕方までには出す。明日、組み付けに入れる」
颯は十七点を棚に戻した。一列に揃っている。三週間かかった。
午後、颯は輸液ポンプの分解を始めた。
施設五番から持ち帰ったものだ。外観に問題はなかったが、液体接触部に固着が出る可能性がある。分解して確かめる。
アルテが言った。
「送信機の出力、三百九十七ワットです」
颯は手を止めなかった。ドライバーでネジを外した。
「あと三ワット」
「このペースなら今日中に四百に達します」
カバーを外した。内部が見えた。チューブが通っている。接続部に変色がある。固着ではなく水垢だ。洗浄で落とせる。
「駆動部の状態はどうだ」
「目視では判断できません。動作テストで確認してください」
颯はチューブを慎重に外した。パッキンが見えた。厚さを計った。一・五ミリ。D-01の素材で代替できる。
「パッキンを替える。洗浄して組む。今日中に終わる」
「二台目も同じ手順です」
颯はチューブを洗浄液に浸した。変色部が溶け出し始めた。
セイがジグの製作を終えたのは夕方だった。
旋削盤から取り出したジグは小さかった。手のひらに収まる円盤形で、外周に四箇所の切り欠きがある。M-0144の部材を固定して組み付けるための治具だ。
颯はジグを受け取った。切り欠きの寸法を計った。設計値と照合した。
「合っている」
セイは旋削盤の段取りを外しながら言った。
「明日の朝から組み付けに入る。工程は三段階だ。颯はどこまで入れるか」
「工具の受け渡し、部材の確認、計測。補助は全部やる」
「それでいい」
颯は棚を見た。十七点の部材、トルクレンチ、ジグ。第二工程に必要なものが揃っていた。
「明日、完成の見込みはあるか」
「組み付けで問題が出なければ午後中に初期組みが終わる。試験は翌日になる」
颯はそれを聞いた。二日後に、M-0144が動く。
アルテの声が区画に届いたのは、颯が輸液ポンプの二台目を組み終えた頃だった。
「送信機の出力、四百ワットに達しました」
颯は手を止めた。
壁の出力計を見た。四〇〇という数字が表示されている。セイも手を止めていた。ジグの仕上げ確認をしていた手が静止した。
「エージング完了です」
颯は出力計を見続けた。数字は動かない。四百ワットで安定している。
「今日から本格的な送信になるか」
「はい。識別符号FIELを乗せた搬送波を継続します。周波数帯を拡張して、複数の帯域をカバーします。応答が来る可能性が上がります」
「三日以上送り続けて、まだ応答がない」
「届いていないか、受信できる設備がないか、どちらかです。しかし届いている場所があれば、四百ワットの継続送信は無視できない信号量です」
颯は出力計から目を離した。
セイが言った。
「待つしかないな」
感情はなかった。ただ事実として言った。颯はそれが正確だと思った。待つことと積み上げることは、同じ時間軸の上にある。応答がないからといって止まる理由はない。
夜、颯は棚の前に立った。
十七点の部材、トルクレンチ、ジグ。修復した輸液ポンプが二台、血圧計が二点。出力計は四百ワットで静止している。
施設一番と五番から持ち帰ったものが整理されている。加工区画の棚が、三週間前より密度が上がっていた。
「この区画に何が増えたか、整理してくれ」
「三週間前との比較です。加工部材、十七点。医療器具の修復品、現在八点。素材在庫、旧連邦規格ガスケットが四種追加。工具、トルクレンチ一式。送信機出力、八十ワットから四百ワット。M-0144設計図の解析進捗、第二工程まで完了」
颯はその数字を聞いた。
一日ずつ積み上げた結果だ。大きな出来事はなかった。旋削盤が回り、素材が削られ、器具が確認され、出力が上がった。それだけのことが積み重なっている。
「M-0144が完成したとして、誰かの手に届くまでの経路を整理してくれ」
「現状では三段階です。第一、フィーエル基地内での試験稼働。第二、通信による外部への存在告知。第三、他の基地か船が応答した場合、設計図または現物の輸送」
「輸送手段がない」
「錆鉄丸があります。ただし輸送先の座標が不明です」
「座標がわかれば動ける」
「はい。応答が来れば特定できます」
颯は棚の輸液ポンプを手に取った。軽い。中が空だから軽い。液体が通れば重くなる。それが本来の状態だ。
「セイはどこにいる」
「自室です。点検記録を書いています。到着初日から続けています」
「二年間、ひとりでそれをしていたんだな」
「はい」
颯は輸液ポンプを棚に戻した。
積み上げた先にしか行けない場所がある。その場所が今夜、少し近くなった気がする。まだ見えない。だが近くなったことはわかる。形のないものが、少しずつ手触りを持ち始めている。
「明日の組み付けの前に、三人で工程を確認したい。朝、セイに声をかけてくれ」
「了解しました」
颯は区画の灯りを落とした。
出力計の光だけが残った。四百ワット。暗がりの中でその数字が静かに光っている。どこかへ届いているかどうかはわからない。それでも送り続けている。
明日、M-0144の組み付けが始まる。
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