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宇宙の漂流者、AI少女と文明再建。~残されたデータとジャンク品で銀河の果てを目指す開拓物語~  作者: 堀吉 蔵人


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継ぎ接ぎの機関、図面の声

お昼に更新中です。 ぜひ読んでいってください!!

出発から三日が経った。


 颯は機関室の床に腹ばいになり、補助燃焼サイクルのパイプを覗き込んでいた。断熱材がほつれ、表面に煤が染みている。定期清掃では追いつかない劣化だ。この部分を交換しようと思って工具を取り出したのが二時間前で、外したネジが行方不明になったのが一時間前だ。


 天井のスピーカーが鳴った。


「第三燃焼パイプ、外壁の酸化度が許容値の一・七倍です。交換より先に断熱コーティングの補修を勧めます」


「分かってる」


「分かっているなら、なぜ交換から始めたのですか」


 颯はネジを磁石付きの棒で床の隅から引き寄せながら、答えなかった。


 アルテが機関診断を申し出てきたのは、出発翌朝のことだった。颯が栄養パックを飲みながら計器を確認していると、スピーカーから淡々とした声が届いた。接続許可を与えてほしい、と。颯は五秒考えて、許可した。それ以来、アルテは船のセンサー経由で全系統を把握している。どこのパイプが詰まりかけているか。どのケーブルの絶縁が薄いか。推力が最適値を下回っている原因がどこにあるか。颯が五年かけて肌感覚で覚えたことを、アルテは三時間で整理した。


 それが少し、腹立たしかった。腹立たしい、というより、居心地が悪い。


「コーティング材の在庫はありますか」


「ある」


「残量は」


「七割くらい」


「正確には」


「六十八パーセントだ」


「足ります」


 颯はパイプの断熱材をはがし、表面を確認した。金属が白く変色している。アルテの言う通り、酸化が先だ。素直に認めるのが癪だったが、工具を入れ替えた。


 スピーカーは機関室にも声が届くよう、補助ユニットへの接続を移してもらった。コアケージはまだ貨物室に固定したままだ。物理的な接続点を動かす前に、まず船の現状をアルテに把握させる必要があった。


「コーティング材を塗布したら、七十二時間以上置いてください。熱硬化が不完全な状態で点火すると、かえって劣化が進みます」


「知ってる」


「知っているなら大丈夫です」


 揶揄しているのか確認しているのか、判別できない声だった。颯はコーティング材を混ぜながら、少し考えた。アルテは冗談を言っているのか、それとも本当にただ情報を述べているのか。


「アルテ」


「何ですか」


「お前は冗談が言えるか」


 間があった。


「定義によります。意図した誤情報を用いてユーモアを生成することは、技術的には可能です。ただし私が現在行っているのは、その種の応答ではありません」


「つまり冗談を言っているつもりはない」


「ありません。ただ、あなたが私の発言をどう解釈するかは、あなた次第です」


 颯はそれ以上聞かなかった。刷毛にコーティング材を含ませ、白く変色した金属の表面を塗り始める。冷たいにおいがした。酸化した金属と混ぜ物の溶剤が混じった、作業場のにおい。颯はこのにおいが嫌いではない。生きている感じがする。



 二時間後、パイプの処置を終えて操縦席に戻ると、ナビゲーションパネルに新しいウィンドウが開いていた。


「機関系の診断レポートです。優先度順に並べました」


 颯はリストを流し読みした。全部で二十三項目。どれも薄々気づいていた問題だが、一覧にされると圧迫感がある。


「全部直せるか」


「部品次第です。フィーエルのプラントが稼働しているなら、その多くは調達できます。調達できない場合は代替工法を提案することも可能です」


「代替工法」


「旧連邦の設計図には、緊急修理手順が含まれています。部品がない状況を前提にした、現場対応用の手順書です。使用できる素材と工具が分かれば、選択肢を絞り込めます」


 颯はリストの最上位を見た。主推進系の燃焼室内壁の摩耗、と書いてある。颯が一番気にしていた箇所だ。分析器で何度か診ようとして、数値がぼやけて結論が出なかった。


「燃焼室の内壁、具体的にどの程度の摩耗だ」


「内壁厚の残存率、標準値の五十四パーセント。旧連邦規格では四十パーセントを下回ると交換推奨です。今すぐ問題が出るわけではありませんが、高出力での長時間航行は避けるべき状態です」


 五十四パーセント。数字が頭に入った。五年間、そこがどこまで薄くなっているか分からないまま飛び続けてきた。数字が出ると、急に重みが具体的になる。


「交換部品の規格番号は分かるか」


「旧連邦規格、F型推進系、燃焼室内壁パネル、第七世代。図面番号は4-0018です」


「その図面を出せるか」


 パネルに新しいウィンドウが展開した。断面図と部品リスト、製造公差の記載がある。颯が今まで見た修理マニュアルの多くは、簡略化されたコピーのコピーで、肝心な数値が読めないか欠落していた。これは原本だ。罫線一本まで鮮明な、製造当時の図面が。


 少し、黙った。


「この図面が残ってるとは思わなかった」


「私が保有する機関系図面は四千二百件あります。そのうち約六割は、大崩壊の前後に廃棄または破損が確認されていたものです」


 颯は図面を拡大した。製造番号、工場コード、承認印に似た記号。旧連邦が存在したときに、誰かが設計して誰かが承認して、誰かが船に使った部品の記録。今はその船も、その工場も、おそらくその誰かも、存在しない。



 昼を過ぎた頃、颯は栄養パックを開けて操縦席に腰を下ろした。窓の外には何もない。光の点だけが静止している。


「颯」


「何だ」


「排熱系のスキャン中に、予期しないデータが見つかりました」


 颯はパックから目を上げた。


「どういう意味だ」


「排熱ダクトのルーティングが、旧連邦の標準設計から逸脱しています。意図的な改造と思われます。改造年代は推定二二七〇年代。あなたがこの船を入手した時期より古い」


「前の持ち主の仕事だ」


「はい。ただし改造の目的が分からない。排熱効率が下がる方向への変更で、技術的な改善とは言えません」


 颯はパックを飲みながら、少し考えた。


「前の持ち主は追われていた」


「追われていた、というのは」


「俺がこの船を手に入れたのは五年前だ。廃棄宙域に浮かんでいた。船体に銃撃の痕があった。内部の荷物は全部空だったが、隠し区画があって、そこに一人分の生活用品が詰め込まれていた。長く隠れていた感じがした」


 アルテはしばらく黙っていた。


「排熱効率を落とすことで、熱放射シグネチャを変えていた可能性があります。赤外線探知に引っかかりにくくなる」


「そういうことか」


「誰から逃げていたかは分かりません」


「分からなくていい」


 颯はパックの最後を飲み干した。五年前、この船を拾ったとき、前の持ち主の荷物はほぼ全部宙に流した。残したのは工具だけだ。生活の痕跡を置いておくのは好きじゃなかった。今もそれが正しかったとは思っているが、今日初めて、その人間の仕事の意図が分かった。


「改造部分を元に戻せるか」


「戻せます。ただし元の設計図通りに戻すより、現状の改造を前提にした最適化を行う方が効率的です。元の設計は当時の標準ですが、あなたの航行パターンに合わせた調整の余地があります」


「どのくらい改善する」


「排熱効率が上がれば、エンジンの冷却サイクルを短縮できます。結果として燃料消費が一〇から一五パーセント削減できると予測します」


 颯は計器を見た。現在の燃料残量と残り日数を頭で計算した。


 一五パーセント。その数字は、行ける場所の数を変える。


「やってくれ」


「手順を作ります。作業は明日以降でいいですか。今日はコーティング材が硬化中です」


「ああ」



 夕方、機関室に戻ると熱気が少し落ちていた。颯はダクトを覗き込みながら、アルテが送ってきた改造手順書を確認した。図解付き、段階別、必要工具リスト付き。颯のような一人作業を前提にした手順の順番になっている。


「この手順書、俺が一人だって分かって書いたか」


「あなたの船に乗員区画は一名分しかありません」


「手順が一人で回せる順番になってる」


「そうなるように組みました」


 颯はそれ以上言わなかった。ただ、手順書を最後まで読んだ。


 医療設備の図面もあると言っていた。農業プラントの技術も。今の宙域では感染症で死ぬ集落があると知っている。颯は数年前、そういう集落の傍を通ったことがある。入り口に手書きの警告が出ていた。近づくな、と。颯は近づかなかった。できることがなかったからだ。


 今も、すぐにできることがあるわけじゃない。


 だが、フィーエルに着いたら、プラントが生きていたら、そこから何かが始まるかもしれない。始まるかどうかは分からない。ただ、可能性の形が、少し見えてきた気がする。


「颯」


「何だ」


「推進効率が上がりました。コーティング材の一次硬化が完了したので、出力を少し上げてテストしました。現在、七十三パーセントです」


「一時間早くなるか」


「フィーエルまで十三日と四時間になりました」


 約一日分。昨日より一日早くなった。


「ありがとう」


 言ってから、昨日も同じことを言ったのを思い出した。


「どういたしまして」


 アルテは短く言った。感情があるのかないのか、颯にはまだ分からない。だが、こういう短い返し方をするときのアルテには、何か持っている感じがある。言葉の形は平坦だが、中身が空っぽではない感じが。


 颯は手順書を閉じ、操縦席に戻った。


 窓の外の星は動かない。でも船は動いている。前の持ち主が追われながら改造したダクトを直して、四千二百件の図面を持つAIの声を聞きながら、颯は十三日後の惑星へ向かっていた。


 変わったのか、そう感じただけなのかは、まだ分からない。


 それでも推進出力は、昨日より少しだけ高いところで安定していた。

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