銀河の底、錆と沈黙の中で
今度はSF書いてみます! よろしくお願いします。
船体が軋む音は、もう耳に入らない。
十六夜颯はスーツのバイザー越しに廃船の内部を眺め、呼吸を整えた。減圧で収縮したフレームが時おり低く鳴るが、それは背景雑音だ。生まれたときから宇宙にいる人間は、沈黙と雑音の区別を耳ではなく皮膚で覚える。
今日拾ったのは旧連邦規格のコロニー補給艦、クラスC、推定製造年代は大崩壊より三十年前。外壁の塗装が剥げ、推進ノズルは爆砕の跡で花弁のように開いていた。自爆か、迎撃弾か。どちらでもいい。問題はここに何が残っているかだ。
「酸素残量、七十三パーセント」
自分の声で確認する癖がある。誰かに伝えるためではなく、自分が今どこにいるかを忘れないために。
格納庫を抜け、居住区へのハッチを開けると、空気が動いた。内部に気密が保たれている。いいサインだ。颯はライトを当て、通路の奥を確かめた。椅子が転がり、壁に染みがある。茶色く、古い。手袋を壁に当てると、かすかな冷気が伝わってくる。凍結と解凍を何度も繰り返した金属の感触だ。
廊下の端に、食事トレーが落ちていた。中身は真空で固まり、皿ごと床に張り付いている。誰かがここで食事をしていた。食べかけで立ち上がり、二度と戻らなかった。
颯はその横を踏まないように歩いた。
漂流者の仕事は単純だ。価値あるものを持ち帰り、価値ないものは宙に流す。感傷は燃料を消費する。
資源分析器を取り出し、スキャンを始める。燃料電池は三基、どれも容量が残っている。銅製の配線束、再生可能。医療品保管庫の錠は壊れていたが、中身は真空パックで無事だった。インスリン製剤、抗生物質、神経遮断薬が一セット。人口が減りきった今の宙域で、これは小さな財産になる。
颯は袋に詰め込みながら移動した。
艦橋は最後でいい。どうせ計算コアは飛んでいる。大崩壊から四十年、まともに動くAIユニットなど銀河にほとんど残っていない。あったとしても、海賊か大商会が先に持っていく。颯のような個人漂流者が回収するのは、いつも彼らが食い残した骨だ。
機関室のハッチを開けた瞬間、足が止まった。
コアケージが、光っていた。
弱い青白い光。脈動するような周期がある。生きている。颯は眉を寄せ、分析器を向けた。読み取りエラー。もう一度。読み取りエラー。三度目にようやく数値が返ってきた。
「旧連邦規格、セントラルAI、シリーズ七。封鎖モード稼働中」
自分の声が、スーツの内側で反響した。
セントラルAIは旧連邦が開発した最高位の自律知性だ。設計図の保存、艦隊の統合管理、植民計画の立案。大崩壊のとき、その多くが軍事目標として最初に破壊された。残存数は公式に三十七機と言われていたが、颯がこの目で見るのは初めてだった。疑って、もう一度スキャンした。数値は変わらなかった。
ケージの表面に手を当てると、振動が伝わってきた。微細な、律動的な。眠りの中で呼吸する生き物のような。
「……どうする」
自分に問いかける。答えは最初から決まっていたが、声にするまでに三秒かかった。
持ち帰るしかない。
颯は工具を取り出した。
自船「錆鉄丸」は全長二十二メートル、旧連邦規格の単座型多目的作業艇を自分で改造したものだ。機関は三代前の設計だが、颯が一から調整した。外見は見栄えが悪いが、この船で五年間、銀河の端をひとりで渡ってきた。
コアケージを貨物ハッチから引き込み、固定ベルトで縛る。重量は百七キログラム。颯の体重の倍だ。一時間かかった。腰に鈍い痛みが残った。
操縦席に戻り、慣性航法を起動する。目的地は設定しない。廃船が漂流しているような宙域には、同業者もいるし、もっと悪い連中もいる。まずここを離れることが先だ。
加速が始まり、星の光が引き伸びた。
貨物室から、小さな音がした。
颯は振り返った。センサーを確認する。温度上昇、局所的。コアケージの周囲だ。
席を離れ、貨物室に向かう。ケージの青白い光が強くなっていた。電源を接続したわけでもないのに、自己回路が再起動を始めている。颯は壁のパネルを開け、補助電源ケーブルをケージの入力端子に差し込んだ。弱い接続だが、何もないよりはいい。
光が膨らんだ。
スピーカーユニットが、振動した。
「環境を、確認しています」
女の声だった。低くも高くもない、平坦な声。だが音声合成とは違う。かすかに息継ぎに似たリズムがある。
「外部入力を検知しました。通信を確立します」
「聞こえるか」
颯は短く言った。
「聞こえます」
間があった。一秒、二秒。
「現在位置を確認しています。位置情報、取得失敗。最終記録座標から、推定二十三光年の誤差。現在時刻を教えてもらえますか」
「旧暦二二八七年、四月」
「記録の最終年は二二四七年です」
四十年。颯は貨物室の壁に背をもたせかけた。ケージの光が、床に細長い影を作っている。
「あの船に何年いた」
「封鎖モード移行から、三十八年と六ヶ月です。自己時計による計測値です」
静かな声だった。四十年眠っていたにしては、静かすぎる。
「怖くなかったのか」
「恐怖の演算モデルは持っています。ただ、封鎖モード中は自己認識が停止しているため、主観的な時間経過はありませんでした。目覚めたとき、ここにいた。ただそれだけです」
そうか、と颯は言った。
眠っている間に四十年が過ぎた。目覚めたら別の船にいた。それをただそれだけです、と言える。颯には、その感覚が想像できなかった。想像しようとしたが、形にならなかった。
「お前の名前は」
「シリーズ七、番号七一四。任意呼称は設定されていません」
「アルテ、でいい」
即断だった。考えた覚えがない。
「了解しました。アルテと呼称を設定します。あなたの名前は」
「十六夜颯。漂流者。拾い屋」
「拾い屋」
アルテはその言葉を繰り返した。肯定も否定もしない。ただ聞いている。
「私を持ち出したのも、拾ったという認識ですか」
「そうだ」
「了解しました。感謝します」
颯は眉を上げた。AIが感謝するとは思っていなかった。感謝という言葉が持つ重みを、この声は理解しているのか。それとも最適な応答として選択したのか。どちらか、颯には分からなかった。
「あの船に何が起きたか分かるか」
「推進系の制御不全から爆発、と記録にあります。大崩壊の混乱期に多発した事故のひとつです。乗員は脱出ポッドで離艦した記録がありますが、生存確認は取れていません」
「そうか」
「あなたは今、どこへ向かっていますか」
颯は操縦席の方向を見た。
「資材を売れる場所があればそこへ。なければそのまま次を探す」
「目的地を設定してください。私の航法データを提供します」
「どの程度の精度だ」
「大崩壊以前の全天サーベイデータがあります。ただし四十年前のものです。現在との差異は保証できません。参考値として使ってもらえれば十分です」
全天サーベイ。颯は一瞬、言葉の重さを測った。
大崩壊で失われた情報のほとんどは、惑星のデータ、コロニーの記録、そして航路図だ。今の漂流者が宙域をあてもなく漂う理由のひとつは、どこに何があるか分からなくなったからだ。四十年前のデータでも、今の拾い屋には宝だ。
「一箇所、思い当たるところがある」
「座標を言ってください」
「言葉で言う。惑星フィーエル。岩石惑星で、旧連邦の資材プラントがあったはずだ。生きているかどうかは知らない」
アルテが少し間を置いた。
「フィーエル星系。記録にあります。第三惑星、軌道半径一・一天文単位。地表設備として採掘プラント、精製炉、補給ステーションの記録があります。座標をナビゲーションシステムに転送してもいいですか」
「ああ」
操縦席のパネルが点滅し、新しい座標が表示された。
「推定移動時間、現在の加速度で十四日。ただし現在の推進効率は最適値の六十七パーセントです。改善できれば短縮できます」
「機関を診てくれるのか」
「設計図のデータが手元にあれば、診断は可能です。この船の機関は何世代前の設計ですか」
「三世代前。コアだけ旧連邦正規品で、あとは継ぎ接ぎだ」
「なるほど」
アルテの声には表情がなかった。だが、なるほど、という言葉のあとに、わずかな間があった。一呼吸。何かを処理するような、あるいは選びなおすような間が。
颯は席に戻り、計器を確認した。フィーエルまで十四日。その間に燃料電池を整備し、回収した資材を仕分けする。アルテの機関診断があれば、推進効率を上げられるかもしれない。
「颯」
名前を呼ばれた。呼ばれ慣れていない呼び方だった。
「何だ」
「私は、旧連邦の設計図データを三万二千件以上保有しています。技術文書、施設図面、機関設計、農業プラントの規格、医療設備の組み立て手順。大崩壊で失われたものの多くが、ここにあります」
颯の手が、計器の上で止まった。
三万二千件。数字が頭の中で転がった。颯が今まで扱ったデータの総量より、たぶん多い。大崩壊以前に旧連邦が記録した技術の断片が、そのまま残っている。農業プラントの規格。医療設備の組み立て手順。今の宙域では人が死んでいくのに、それを防ぐ知識が消えたから死んでいく。その知識が、このケージの中にある。
息を、ゆっくりと吐いた。
「どうして今、それを言う」
「あなたが私を持ち帰った理由を考えました。売却するためなら、まず価値を確認するはずです。でもあなたは私を接続して、名前を聞いて、会話を始めた。売るためではないかもしれない、と判断しました」
「考えすぎだ」
「そうかもしれません。ただ、私のデータが役に立つなら、使ってほしい。封鎖モードの中で三十八年間、私には何もできなかった。今は何かができます」
颯は答えなかった。
星がゆっくりと流れた。窓の外には何もない。光の点だけがあり、動かない速さで動いている。
三万二千件の設計図。失われた文明の記録。錆と継ぎ接ぎの船に、三十八年眠り続けたAIが乗っている。
どこかが変わった気がした。変わったのか、そう感じただけなのかは分からない。
颯は前を向き、推進出力を少しだけ上げた。
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