第二十九話 白?赤?
それからしばらくの間、治療用の小屋は静かだった。
魔物の群れが押し寄せてくるわけでもなく、大きな怪我人が運び込まれてくることもない。
俺とシルヴィアさんは、いつでも治療できるように準備を整えながら、患者が来るのを待っていた。
「……まだ大丈夫そうですね」
シルヴィアさんが入口のほうを見る。
「そうですね」
俺も外を見る。
作戦が始まってからしばらく経つが、今のところ大きな怪我人は来ていない。
このまま何事もなく終わってくれればいいんだけど。
そんなことを考えていたときだった。
外が少し騒がしくなった。
「戻ってきたみたいですね」
シルヴィアさんが立ち上がる。
「そうですね」
俺も入口を見る。
しばらくすると、何人かの冒険者が戻ってきた。
先頭にいるのはカストロさん。
その後ろにはギレンさんと、赤の連撃のメンバー。
そして――。
「あっ」
シルヴィアさんが声を上げた。
「ウィルチさん!」
「ただいま戻りました」
ウィルチさんが笑顔で答える。
しかし、その腕には傷があった。
「怪我をしたんですか?」
「ええ。ちょっとだけです」
「見せてください」
シルヴィアさんがすぐに近づく。
ウィルチさんが腕を差し出した。
俺も横から傷を見る。
血は出ているが、それほど深くはなさそうだ。
シルヴィアさんが傷を確認して、用意していた三色の紐を見る。
「……白ですね」
「白ですか」
「はい。中程度の傷だと思います」
シルヴィアさんが魔法薬を手に取った。
「では、これを使って――」
「待ってください」
俺は思わず口を挟んだ。
「はい?」
「これは……赤です」
「え?」
シルヴィアさんが俺を見る。
「赤……ですか?」
「はい」
俺は真剣な顔で頷いた。
そして、ウィルチさんを見る。
……やっぱり美人だな。
こうして近くで見ると、改めてそう思う。
できれば、もっとちゃんと見たい。
できれば――。
裸も見たい。
「赤です」
俺はもう一度言った。
「でも、ケンジさん」
シルヴィアさんが困ったような顔をする。
「傷の程度だけなら、白だと思いますが……」
「そうなんですけど」
俺はもっともらしく続ける。
「見た目では分からない傷があるかもしれません」
「見た目では分からない傷……」
「はい。念のため、身体全体を確認したほうがいいと思います」
シルヴィアさんが少し考える。
「なるほど……」
よし。
これで――。
「さすがケンジだ!」
後ろから大きな声がした。
「え?」
振り返る。
カストロさんが、感心したような顔で俺を見ている。
「やはりお前はよく見ているな!」
「……え?」
「その傷をつけたのはサーバルキャットだろう?」
「たぶん、そうだと思いますけど……」
「サーバルキャットには、傷に毒が残ることがある!」
「……そうなんですか?」
知らなかった。
「見た目では大した傷に見えなくても、毒が回れば危険になることがある。だから赤と判断したんだな!」
「…………」
違う。
俺は毒のことなんて知らない。
ただ、裸が見たいだけだ。
でも。
「さすがケンジさんです……」
シルヴィアさんまで感心したように俺を見る。
「いや、その……」
「お前は本当に頼りになるな!」
カストロさんが俺の肩を叩く。
違うんだけどなぁ。
まあ。
なんか知らんけど。
裸を見られる。
よっしゃ。
「では、赤として処置しましょう」
シルヴィアさんが言った。
「はい!」
俺は元気よく返事をした。
ウィルチさんが少し不安そうな顔をする。
「そんなに重い怪我なんでしょうか?」
「念のためですよ」
俺は真面目な顔で答える。
よし。
では、詳しく診察を――。
「治療を頼む!」
その瞬間、入口から大きな声が響いた。
俺は思わず振り返った。
「急いでくれ!」
二人の冒険者に支えられて、一人の男が運び込まれてくる。
服は血で真っ赤に染まっていた。
顔色も悪い。
右肩から胸にかけて、大きな傷が走っている。
「C級冒険者です!」
仲間の男が叫ぶ。
「魔物にやられた!」
シルヴィアさんがすぐに駆け寄る。
「こちらへ!」
男が治療台に寝かされる。
シルヴィアさんが傷を確認する。
「これは……赤です!」
当然だ。
誰が見ても重傷だった。
俺も患者を見る。
そして、ウィルチさんを見る。
……あ。
俺、今からウィルチさんを診察するところだったんだよな。
赤なんだから。
身体全体を確認して。
傷の具合を見て。
必要なら服を――。
なのに。
よりによって、今かよ。
……ちくしょう。
せっかく赤にしたのに。
せっかく、これからだったのに。
俺は心の中で盛大にため息をついた。
でも、目の前の患者は本当の重症者だ。
こっちを放っておくわけにはいかない。
「シルヴィアさん」
「はい!」
「俺はこちらを治療します」
「お願いします!」
俺は患者のほうへ向かう。
そして、ふとウィルチさんを見る。
「ウィルチさん」
「はい?」
「すみません。俺、こちらの治療に入るので……」
「あ、はい」
ウィルチさんが頷く。
俺は少し迷った。
赤と判断した以上、何もしないわけにはいかない。
そこで俺は、用意していた魔法薬の中から一本を取り出した。
「これを使ってください」
「これは……?」
「魔法薬の原液です」
「原液……ですか?」
「はい」
ウィルチさんが驚いた顔をする。
「でも、こんな貴重なものを……」
「赤として処置することにしたので」
俺は真面目な顔で答えた。
「ただ……」
俺は少しだけ言葉を濁す。
「残り二本なんですが」
「二本……」
ウィルチさんが原液を見る。
「ありがとうございます、ケンジさん」
「いえ」
俺は頷いた。
「使ってください」
「はい」
ウィルチさんが魔法薬を使う。
これでいい。
……本当は俺が診察したかったけど。
仕方ない。
今はこっちだ。
「ケンジさん!」
シルヴィアさんの声が聞こえる。
「患者さんを!」
「はい!」
俺はすぐに患者の傷に手をかざした。
治癒魔法を発動する。
魔力を送り込むと、傷口が少しずつ塞がっていく。
流れていた血も止まっていく。
俺は余計なことを考えるのをやめた。
今は、この人を助ける。
それだけだ。
やがて、大きな傷が完全に塞がった。
「……これで大丈夫です」
患者がゆっくりと身体を起こす。
「助かった……」
「よかったです」
俺は息を吐いた。
そして、すぐにウィルチさんを見る。
「ウィルチさん、怪我は――」
「あ、もう治りました」
「……早いですね」
俺が驚くと、ウィルチさんは自分の腕を見ながら笑った。
「原液、すごいですね」
「そうですね」
俺も頷く。
「こんなに早く治るなんて……」
ウィルチさんが魔法薬の容器を見る。
「こんな貴重なものを使っていただいて、本当にありがとうございます」
「いえ……」
俺は笑って答える。
「念のためですから」
……まあ。
治ったなら、それでいい。
でも。
俺、結局ちゃんと診察できなかったな。
せっかく赤にしたのに。
せっかく、これからだったのに。
……ちくしょう。
俺は心の中で、もう一度だけため息をついた。
そのとき。
「よし!」
カストロさんの声が響いた。
「一度、全員集まってくれ!」
どうやら作戦について話があるらしい。
「ケンジさん、行きましょう」
シルヴィアさんに言われる。
「はい」
俺たちは治療用の小屋を出た。
カストロさんのもとへ向かう。
……結局、ウィルチさんの身体を詳しく見ることはできなかった。
俺は小さくため息をついた。
まあ、仕方ないか。
そう思いながら、俺もみんなのところへ向かった。




