表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
42/43

第42話 記録の外で

 カシアンが、玉座に就いた。


 六年前に、病死したはずの第六皇子。処刑人の仮面の下で、名もない者が死ぬのを見続けてきた男。心を失うことを拒み、弱くあることを選んだ皇子。


 その男が、この国の新しい皇帝になった。


 戴冠の日、皇宮の大聖堂は、人で埋まった。だが、カシアンは、豪奢な戴冠を望まなかった。式は簡素だった。彼は、玉座に座ると、最初に、こう宣言した。


「玉座のぎょくざのぎを廃止する」


 *


 大聖堂がどよめいた。


「これより、この国の玉座は、殺し合いで受け継がない。……きょうだいが、きょうだいを殺す掟を、終わらせる」


 カシアンは、続けた。


「孕み呪い《はらみのろい》を禁じる。母体をい、子を多子として生ませ、その中から、宝子たからごだけを残す。……そのために、母が命を賭ける。そんな慣習は、もう終わりだ」


 彼は、大聖堂を見渡した。


「添えそえご制度を廃止する。炉を廃止する。……人を燃料として搾る施設を閉じる。名前を奪い、番号で呼ぶことを禁じる」


 以後、生まれた子は鑑定で宝子たからごと添え子に選り分けられることなく、全員が等しく名前と身分を持つ。注ぎで魔力を捧げる義務も、なくなる。


 *


「そして」


 カシアンは言った。


「握り潰された、すべての鑑定を再鑑定する」


 大聖堂が静まった。


「教義は、嘘だった。呪いの実りは、ひとつ、ではない。……国中に、本当は宝子だったのに、添え子とされた者がいる。簿の外に追いやられた者がいる。その全員を再鑑定し、本来の身分を返す」


 彼は、玉座から立ち上がった。


簿外ぼがいの民に、名前を返す。……この国は、記録が現実に勝つ国だった。ならば、その記録を正しく書き直す。本当のことを書く」


 *


 改革は、少しずつ進んだ。


 一夜にして、国が変わるわけではない。三十年、いや、建国以来の制度だ。抵抗する者もいた。宝家ほうけの特権を失う貴族。炉で利を得ていた者。


 だが、証拠があった。握り潰された鑑定の束。教義の嘘の、動かぬ証拠。そして、皇帝の縛りを跳ね返した、簿外の女の光景。


 記録が、現実に勝つこの国で。その記録の嘘が暴かれた、いま。制度は、少しずつ崩れていった。


 *


 炉が閉じられた日。


 私は、第四炉へ行った。


 かつて、選別が行われた、門の内側の広場。焼き印を押された場所。髪を落とされた場所。番号にされた場所。


 いま、そこに、収容者たちが集められていた。解放される者たちだ。


 役人が、名簿を読み上げていた。番号ではなく。


 名前を。


 再鑑定で、身分を取り戻した者。あるいは、結社がかつて記録していた、本当の名前。一人ずつ、名前が呼ばれ、その人が進み出て、門を出ていく。


 名前を持って。


 *


 その中に、見覚えのある老人がいた。


 ルーカス翁だった。


 彼は、再鑑定の責任者に任じられていた。五十年、握り潰された鑑定を記録し続けた男。いまは、それを正しく書き直す仕事をしている。


「よく来たな」


 ルーカス翁は、私を見て言った。


「見てくれ。……この、名前の列を」


 彼は、名簿を掲げた。番号が、名前に書き換えられた一覧。かつて、結社の壁に貼られていたものと、同じ。だが、今度は、隠れて書くのではない。国の正式な記録として。


「イグナが見たら、喜ぶだろう」


 私は言った。


 ルーカス翁は頷いた。目に、涙が滲んでいた。


「あの子が逃がした二十七人も、いま、名前を取り戻している。……あの子の名簿は燃えたが、名前は消えなかった。あの子が覚えていた。儂らが覚えていた」


 *


 その夜、私は、石段へ行った。


 処刑広場を見下ろす、石段。かつて、カシアンと幾度も会った場所。


 今夜は、彼はいなかった。皇帝は忙しい。改革の最中だ。


 私は、ひとりで広場を見下ろした。


 掲示板の日程表。


 その三段目が、空白だった。


 処刑が減っていた。玉座の儀が廃止され、皇族の殺し合いがなくなった。儀のために消される「影」も、いなくなった。炉の「消耗」も止まった。


 台に乗る者が減った。


 この国は、少しずつ変わり始めていた。


 *


 私は、掌を見た。


 手袋を外して。簿外の刻印の上に、月の光が落ちている。


 いや——簿外の刻印は消えかけていた。


 再鑑定で、私の身分は書き直された。添え子ではなく、宝子として。簿外ではなく、鑑定簿の内側の人間として。


 私は、もう、簿の外の人間ではない。


 だが。


 私は、まだ、名前を公にしていなかった。


 処刑された、書き手三号。覆面の、書き手七号。室長代理。皇帝の縛りを跳ね返した、簿外の女。……そのどれも、私だ。だが、どれも、名前がない。


 私は、まだ、記録の外にいた。


 自分の意思で。


 *


 足音が近づいてきた。


 振り返ると、カシアンがいた。皇帝の礼服を脱いで、以前の質素な外套を着ていた。忍んで抜け出してきたのだろう。


「ここにいると、思った」


 彼は言った。


「戸籍を作った」


 彼は、一枚の紙を差し出した。


 鑑定簿とは、別の戸籍簿。国の正式な記録。その、真新しい一頁に、私の身分が記されていた。宝家。再鑑定により、身分を回復。


 そして、名前の欄に。


「……名は変えていない」


 カシアンは言った。


 私は、その欄を見た。


 ザーラ、と書かれていた。


 母が、死の床で一度だけ呼んだ名前。鑑定簿のどこにもなかった名前。私が、二十一年、胸の底にだけ持っていた名前。


 それが、いま、国の正式な記録に記されていた。


 *


「死んだのは、書き手三号だ」


 カシアンは言った。


「覆面の、書き手七号も、室長代理も、簿外の女も。……全部、記録の外の名もなき者だった。だが、ザーラは違う」


 彼は、私を見た。


「ザーラは、ここにいる。……今日から、記録の内側に」


 私は、その戸籍を握った。


 手が震えていた。


 名前を持つ道具は、壊れる。師は、そう言った。名前を持てば、人になってしまう。命じられた通りに死ねなくなる。


 でも、私は、もう道具ではない。


 壊れる道具は、もういない。ここにいるのは、ザーラという、名前を持った、ひとりの人間だ。


「……ありがとう」


 私は言った。


 二十一年、誰にも言えなかった名前が、いま、国の記録に刻まれた。


 私は、もう、記録の外の人間ではない。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ