第32話 これは、剣にはしない
私は、結社の隠れ家で、ルーカス翁に束を見せた。
師が集めていた、握り潰された鑑定の写し。皇帝の姉、イレーナの記録。そして、私自身の、双子とも宝子だった鑑定。
ルーカス翁は、それを一枚ずつ、震える手で繰った。
「……初代書き手も、集めていたのか」
老人の声が掠れた。
「儂は、五十年、独りで集めてきたと思っていた。だが、儂の前にも同じことをしていた者がいた。……戦略室の書き手が」
「師です」
私は言った。
「師は、戦略室の中から、この国の嘘を見ていました。そして、記録を集めていた。……皇帝の秘密を知りすぎて、殺されました」
*
「皇帝の秘密」
ルーカス翁が私を見た。
私は、皇帝の姉、イレーナの記録を指した。
「皇帝オズヴァルトは、本当は宝子ではなかったかもしれない。……この最初の鑑定では、彼と姉のイレーナの器は、ほとんど同じだった。そして師は書いています。『この鑑定、後に書き換えられる』と」
ルーカス翁の顔が変わった。
「……書き換えられた?」
「もし、最初の鑑定で姉のほうが上だったなら。姉が宝子で、オズヴァルトが次点だったなら。……誰かがそれを書き換えて、オズヴァルトを宝子にした」
「そして、姉を」
「修道院へ。三年後、病死と記録。遺体、確認されず」
*
ルーカス翁は、長いこと黙っていた。
それから、掠れた声で言った。
「……イレーナ様を、儂は知っている」
私は顔を上げた。
「儂が、若い頃だ。帝室の鑑定に立ち会う機会があった。……あの方は聡明で、お優しかった。オズヴァルトより、器も人望も上だった。誰もが、あの方が宝子だと思っていた」
「なのに」
「即位したのはオズヴァルトだった」
老人の目に、涙が滲んだ。
「そういうことか。……鑑定が書き換えられたのだ。イレーナ様を次点に。オズヴァルトを宝子に。そして、あの方は修道院で消された」
*
「イレーナ様は、生きておられますか」
私は聞いた。
ルーカス翁は首を振った。
「分からん。遺体が確認されていない、というだけだ。……生きているとしても、この三十年、どこかで名を捨てて隠れているだろう。皇帝が、姉を生かしておくとは思えん」
私は束を閉じた。
皇帝の罪は二重だった。
ひとつ。教義に従い、あるいは教義を利用して、鑑定を書き換え、姉から宝子の座を奪った。
ひとつ。玉座に就くために、姉を消した。
そして、その皇帝がいまも玉座に座り、この国の教義の頂点に立っている。
――呪いの実りは、ひとつ。
その教義を、いちばん悪用したのが皇帝自身だった。
*
「これで、皇帝を断罪できる」
ルーカス翁が言った。
「握り潰された鑑定の束と、皇帝の姉の記録。……この国の教義が嘘だという証拠。そして、皇帝自身が、その嘘の最大の受益者だという証拠だ」
「はい」
私は言った。
「でも、まだ足りません」
「足りない?」
「証拠を握るだけでは、皇帝は倒せない。この国では、記録が現実に勝つ。皇帝は、記録を握る側です。私がこの束を突きつけても、皇帝は、それを握り潰せる。……新しい書き換えで」
私は束を見た。
「証拠を、皇帝が握り潰せない場所で、開かなければなりません」
「握り潰せない場所」
「帝国じゅうが見ている場所です」
*
その夜、私は掌を、ルーカス翁に見せた。
手袋を外して。簿外の刻印の上に、私は少しだけ力を通した。
銀色の光が掌に灯った。
ルーカス翁が、目を見開いたまま動かなくなった。
「……それは」
「移りです」
私は言った。
「二年前、兄が死んだ夜、私に移りました。……いえ、正確には、もともと私のものでした。私は、本当は宝子だったから。兄が、それを返してくれたのです」
私は光を消した。
「私は、宝子の力を持っています。誰も知らない。皇帝も知らない。……これを使えば、力ずくで、皇帝を倒すこともできるかもしれません」
「なぜ使わない」
*
私は、光の消えた掌を見た。
「兄は、この力を剣にはしませんでした」
私は言った。
「兄は、宝子でした。強い力を持っていた。でも、その力で誰かを斬ることを望まなかった。心を喰われながらも、最後まで私を愛した。そして、力を剣ではなく、贈り物として私に返した」
私は掌を握った。
「私が、この力を剣にして、皇帝を斬れば。……それは、この国のやり方と同じです。強い者が、力で玉座を奪う。きょうだいが殺し合う。皇帝がしてきたことと、同じ」
私はルーカス翁を見た。
「私は、力では勝ちません。頭で勝ちます。……この束を、皇帝が握り潰せない場所で開く。証拠を、帝国じゅうに見せる。記録が現実に勝つこの国で、その記録の嘘を暴く」
私は束を抱えた。
「これは、剣にはしません。……盾と、証拠にします。それが、兄の遺してくれたものの、正しい使い方です」
ルーカス翁は、長いこと私を見ていた。
それから、深く頭を下げた。
「……あなたを信じよう」
老人は言った。
「この国を、あなたに託そう」




