第31話 幕間・注ぎの夜
俺は、自分の心が一枚ずつ剥がれていくのを感じながら、生きてきた。
最初に消えたのは喜びだった。
軍学校で、剣の試合に勝っても何も感じなくなった。昇進しても、勲章をもらっても、ただそういうものか、と思うだけだった。
次に、消えたのは涙だ。
戦友が目の前で死んでも、涙が出なくなった。悲しいはずだ、と頭では思う。だが、体が反応しない。涙腺が乾いていた。
最後に消えかけたのは、他人の痛みを想像する力だった。
*
注ぎのたびに、俺は少しずつ人でなくなっていった。
妹たちの魔力を吸う。月に一度、掌を合わせて。あれは、彼女たちの命を少しずつ、俺の器に移す行為だ。
国は、それを当たり前だと言う。宝子は、添え子の魔力を吸って強くなる。順当な育ち方だ、と。
だが、吸うたびに、俺の中の何かが死んでいった。
奪った力は、心を喰う。
誰も教えてくれなかった。俺は自分で気づいた。強くなるほど、心がなくなっていくことに。
*
弟は、注ぎで死んだ。
三子。器の小さかった、下の弟。俺のために、月に一度搾られて、七つの年に消耗した。
俺が殺したのだ。
制度が、そうさせた。俺は拒めなかった。拒めば、俺が罰される。だから、俺は弟の命を吸い続けた。弟が死ぬまで。
その弟が死んだとき、俺は何も感じなかった。
感じるべきだと、頭では分かっていた。だが、心がもう動かなかった。
*
俺は恐ろしかった。
自分が人でなくなっていくのが。弟が死んでも、何も感じない、そんな自分が。
このまま注ぎを続ければ、俺はいつか、完全に心を失う。他の宝子のように。妹を道具として扱い、平気で搾り尽くす。そんな怪物になる。
だから、俺は前線を志願した。
心を失う前に、死にたかった。まだ、少しでも心が残っているうちに。
*
だが、ひとつだけ。
最後まで消えなかったものが、あった。
次子――あの子への想いだ。
あの子が本当は宝子だったことを、俺は知っていた。父が酔って漏らしたのだ。「あれは、本当はお前と同じだった。器が同じだった。だが、実りはひとつだ。だから、添え子にした」と。
俺はそれを聞いてしまった。
俺が宝子になったのは、わずかな差か、あるいは父が長子の俺を選んだからだ。あの子は俺と同じ器を持っていた。なのに、添え子とされ、搾られ、道具にされた。
俺のせいだ。
俺が宝子になったから、あの子が添え子になった。
*
だから、俺はあの子に冷たくなれなかった。
心が喰われても。他人の痛みを感じなくなっても。あの子のことだけは、放っておけなかった。
壁側に歩かせなかった。厨の隅ではなく、自分の部屋に食べ物を持っていった。字を教えた。読める道具は面倒だと言われる。それでも、教えた。あの子がいつか、道具ではなく人として生きられるように。
あの子が戦略室に売られる日、俺は軍学校の帳面を渡した。
「字は、忘れるなよ」と。
言いたかったのは、それだけではなかった。
お前は、本当は宝子なんだ。お前には力がある。いつか、この理不尽を覆せる力が。だから、生き延びろ。忘れるな。お前が何者かを。
だが、言えなかった。言えば、あの子が真実を知って、絶望するかもしれない。だから、俺は字のことだけ言った。
*
俺はあの子に、縛りをかけなかった。
宝子は、添え子に縛りをかける。命を握る。だが、俺はしなかった。一度も。
縛れば、あの子の力を押さえつけることになる。器の底に眠る、宝子の半分を。俺はそれを、生かしておきたかった。いつか、あの子が自分の力に気づく日のために。
縛らなかったのは、愛だった。
俺の、最後に残った、たったひとつの愛だった。
*
北の戦線で、俺は単騎で敵陣に突っ込んだ。
死ぬために、だ。
心が、ほとんど消えていた。もう、限界だった。このまま生きれば、俺は完全な怪物になる。あの子への想いすら、いつか消えるかもしれない。
それだけは嫌だった。
あの子への想いが消える前に、死にたかった。
三日、戦った。四日目に力尽きた。
死ぬ間際、俺は思った。あの子に返さなければ、と。二十年、奪い続けた力を。あの子の半分を。
俺は最後の力を振り絞って、あの子に向けて送った。遠く離れた、あの子に。
――半分は、おまえのだった。
だから返す。俺のたったひとつの愛と、一緒に。
*
それが、俺の最後の記憶だ。
力が、あの子に届いたのか、俺は知らない。届いていれば、いい。
あの子が、いつか自分が何者かを知ればいい。
本当は宝子だったことを。搾られるためではなく、この国を変えるために生まれてきたことを。
俺の半分の力が、あの子の中で目覚めればいい。
そして、あの子が、その力を俺のように、心を喰う剣にはしないでほしい。
贈られた力は、心を喰わない。
俺が、あの子に贈ったものは、剣ではない。
愛だ。




