第24話 心を喰う
ミレナは少しずつ、回復していった。
結社の隠れ家で匿われて、休んだ。搾られすぎた器は、すぐには戻らない。だが、器を搾られなくなれば、命は少しずつ力を取り戻す。
十日もすると、ミレナの目に焦点が戻ってきた。
二十日で、笑うようになった。
名前を取り戻した子は、驚くほど早く人に戻っていった。番号だったころの、感情の抜けた声は消えていた。
「ねえさま」
ある日、ミレナが私に聞いた。
「兄さまは、どうして死んだのですか」
*
ヴェイトの話だ。
ミレナは、兄が前線で戦死したと聞かされている。単騎で敵陣に突っ込んで、三日戦って力尽きた、と。宝子とは、そういうふうに使うものだ、と。
だが、ミレナは、それでは納得していなかった。
「兄さまは優しかった。あたしにも、ねえさまにも。……なのに、どうして、あんな死に方を。まるで死にたがっているみたいに」
私は少し黙った。
それから答えた。ミレナには、知る権利がある。
「……宝子は、心を喰われるの」
「心を?」
「注ぎで、私たちの魔力を吸うでしょう。……あの力は、ただの力じゃない。奪った力は喰うのよ。宝子の心を」
*
ミレナは私を見ていた。
「最初に消えるのは、喜び」
私は言った。
「次に、涙。それから、他人の痛みを想像する力。……注ぎを重ねるほど、宝子は感情を失っていく」
「そんな……」
「兄さまは、それを自覚していた」
私は、二年前の冬の、あの会話を思い出していた。
部下を三人置いて撤退した。何も感じなかった。いま思い出しても、何も感じない。おまえが厨の隅で飯を食ってるのを見て、昔は腹が立った。何にだったかな。もう、思い出せない。
「自分の心が一枚ずつ剥がれていくのを感じながら、兄さまは生きていた。……感情のない宝子ほど、良い兵器になる。国は、それを歓迎する。だから、兄さまは前線に送られ続けた」
「兄さまは……」
ミレナの声が震えた。
「兄さまは、心がなくなっていくのがつらくて……だから、死にたがった、のですか」
*
私は答えられなかった。
それは、私にも分からない。ヴェイトが何を思って、単騎で敵陣に突っ込んだのか。心を失う恐怖からの逃避だったのか。それとも、まだ残っていた、わずかな心の最後の選択だったのか。
ただ、ひとつだけ分かっていることがある。
「兄さまの心は、最後まで全部は消えなかった」
私は言った。
「注ぎで心を喰われても。感情が一枚ずつ剥がれても。……最後まで消えなかったものが、ひとつだけあった」
「……なんですか」
私はミレナを見た。
「私たちを想う気持ち」
*
ヴェイトは、私たちに冷たくなれなかった。
他の宝子は、添え子のきょうだいを犬のように扱う。首に紐をつけて、四つ足で歩かせる。それが宝子の当たり前だった。心を喰われた宝子には、それが何とも思わない。
だが、ヴェイトはしなかった。
私を壁側に歩かせなかった。厨の隅ではなく、自分の部屋に食べ物を持ってきた。字を教えてくれた。軍学校の帳面を餞別にくれた。「字は忘れるなよ」と。
心を喰われても、私たちへの想いだけは消えなかった。
最後まで。
「贈られた力は、心を喰わない」
私は言った。ルーカス翁から聞いた言葉だ。
「奪った力は喰う。でも、贈られた力は喰わないの。……兄さまは、私たちの魔力を奪っていた。制度が、そう決めていたから。でも、心のどこかで、それを奪いたくなかった。私たちを愛していたから」
「愛?」
「だから、私たちへの想いだけは喰われなかった。……奪いたくなかったものは、喰えないのよ」
*
ミレナは泣いた。
兄のために泣いた。心を喰われながら、最後まで妹たちを愛し続けた兄のために。
私も、目の奥が熱かった。
二年前、兄が死んだ夜。私の中で堰が切れた。移り、と呼ばれるものだ。兄の力と器が私に移った。
まれな現象だと言われている。関係の深さ、器の相性、魔力の種類。条件は、誰も解明していない。
でも、私はいま、その条件のひとつを知った気がした。
愛。
兄が私を愛していたから。私を想う気持ちだけは喰われずに、最後まで兄の中に残っていたから。
だから、兄が死んだとき、その喰われなかったものが——愛が——私に移ってきた。
*
その夜、私はひとりで掌を見た。
手袋を外して。簿外の刻印の上に、月の光が落ちていた。
この掌の奥に、兄の力が眠っている。
二年間、私はそれを一度も使わなかった。使えば露見する。露見すれば妹が死ぬ。だから、生涯でいちばん強い武器を、一度も抜かずに生きてきた。
――半分は、おまえのだった。
兄の、最後の言葉。
あれは力の話だったのか。それとも。
私はまだ、その意味を完全には掴んでいなかった。
だが、ひとつ分かったことがある。
兄が私に遺したのは、力だけではなかった。
愛を遺したのだ。奪われなかった、たったひとつの愛を。
私は掌を握った。
その温かさが、兄のものなのか、私のものなのか、もう分からなかった。




