第22話 名前を、返しに
搾取の日が来た。
私は室長代理として、炉の視察を名目にした。魔力供出量の実地確認。二度目の視察を誰も怪しまなかった。室長代理が熱心なのは、良いことだ。
カシアンは黒鉄卿として、別の門から入った。「消耗」した者の始末。処刑人の正規の職務だ。
イグナは内側にいた。書記として点呼の帳面を握っていた。
三人がそれぞれの立場で炉の中にいる。
*
計画は単純だった。
単純なほど綻びが少ない。師の教えだ。凝った戦略ほど、動く駒が増えて狂いやすい。
まず、イグナが番号七六二を「消耗」と記帳する。搾取の日の混乱に紛れて。器の残量が下限だから「消耗」しても誰も疑わない。
次に、遺体の受け取りを黒鉄卿が装う。処刑人が「消耗」者の始末を引き取るのは日常だ。運び出される荷の中に、生きたミレナを隠す。
同時に、別棟の記録に七六二の「受け入れ」と「消耗」を二重に書き込む。数を合わせるためだ。イグナがかつてしくじった、あの綻びを今回は私が塞ぐ。
書類の上で二重に殺す。
実物は、生きて外へ出る。
*
私は収容棟の奥で、ミレナと会った。
二年ぶりだった。
最後に会ったのは、兄の葬儀の日。あのときのミレナはまだ痩せてはいたが、少女らしい丸みが残っていた。
いま、目の前にいるのは別人のようだった。
髪を落とされ、頬がこけ、手の甲に番号が焼かれている。器を搾られすぎて、目の焦点がうまく合っていない。私を見ても、誰だか分からないようだった。
「……七六二番」
私は番号で呼んだ。ここでは、そう呼ぶしかない。
ミレナが顔を上げた。
「はい」
声も変わっていた。感情の抜けた声。搾られすぎた者の声だ。弟が死ぬ前に、こんな声をしていた。
私は覆面の下で、唇を噛んだ。
*
連れ出すまで、私は正体を明かさなかった。
明かせば、ミレナが動揺する。動揺すれば、点呼で綻びが出る。だから、ただの視察官として、ミレナを別室へ連れ出した。「魔力供出量の個別調査」という名目で。
荷馬車の、底の抜けた樽。かつて私が処刑台の下から運ばれた、あの手口。ミレナを、そこに入れた。
黒鉄卿が樽を荷台に積んだ。「消耗」者の遺体という札をつけて。
門で検分があった。
役人が荷を確かめた。黒鉄卿が「消耗」者の始末だと告げた。役人は遺体の札を見て頷いた。遺体をいちいち改める者はいない。この国で死んだ者は、もう誰の関心も引かない。
馬車が門を出た。
*
帝都の外れ、結社の隠れ家のひとつに着いた。
樽からミレナを出した。
妹は光に目を細めた。長く暗い所にいた者の目だった。それから周りを見回して、ここが炉ではないと気づいて怯えた。
「……ここは、どこですか。あたし、まだ搾られていません。ちゃんと供出します。だから」
「ミレナ」
私は覆面を外した。
初めて、妹の前で素顔を見せた。
ミレナの目が私の顔を見た。焦点の合わない目が、少しずつ像を結んでいく。
「……ねえ、さま?」
*
「ねえさま……?」
ミレナの声が震えた。
「でも、ねえさまは戦略室にいるはずで……こんな所に、いるはずなくて……」
「ええ」
私は言った。
「ずっと、戦略室にいた。……あなたを守れる場所にいたかったから」
ミレナの目から涙がこぼれた。搾られすぎて、涙も、もう出ないはずの目から。
「あたし……番号になりました。名前、取られました。七六二、って」
「知っている」
私は妹の手を取った。手の甲の、焼き印に触れた。
「でも、あなたには名前があるのよ」
「……名前?」
「ミレナ」
私は言った。
「あなたの名前はミレナ。……私がつけた。母さまが死んで、あなたが生まれて、誰も名前をくれないから、私がつけたの。覚えていない?」
*
ミレナは泣いた。
声を上げて泣いた。搾られて、感情の抜けたはずの子が、体を折って泣いた。
名前を思い出したのだ。
番号に上書きされていた名前を。誰も呼ばなくなって、自分でも忘れかけていた名前を。
「ミレナ……あたし、ミレナ……」
妹は自分の名前を、何度も繰り返した。確かめるように。手放さないように。
「そう」
私は妹を抱きしめた。
「ミレナ。……あなたはミレナ」
この国で、名前はいちばん重い。いちばん、取り上げられるものだから。
カシアンが言った言葉を、私は思い出していた。
名前を返す。
この国で、それはいちばん静かな、けれどいちばん確かな反逆だ。
*
その夜、私は通知書を書いた。
定型の、事務的な紙。
『番号七六二ハ消耗シタ。引取リ不要』
妹を書類の上で殺す紙だ。
この紙で、ミレナはこの国の記録から消える。死んだことになる。もう誰も探さない。死んだ者は自由だから。
私はその紙に署名した。室長代理の印を捺した。
妹を殺す紙に、姉が署名する。
おかしなことだ、と思った。妹を生かすために、妹を殺す紙を書く。この国の記録は、そうやってしか人を生かせない。生きるためには、一度死ななければならない。
私も、そうだった。台の上で、一度死んだ。
私はその紙を封じた。
ミレナが隣の部屋で眠っている。二年ぶりに、番号ではなく名前を持って眠っている。
私は封じた紙を見た。
この国を変える。
妹の欄が「消耗」と書かれない国に。名前を取り上げられない国に。
そのために、私は玉座に手をかける。




