第21話 ヨナ
結社との会合を終えて、酒蔵を出た。
案内の少年が、また私の前を歩いた。帰りも、道を撒くように歩く。私は黙って、ついていった。
途中、少年がふいに口を開いた。
「あんた、あの仮面と知り合いか」
「仮面?」
「黒鉄卿だ」
私は足を止めそうになった。止めなかった。
「なぜ、そう思う」
「あんたを結社に繋いだのは、あの仮面だからだ」
少年は前を向いたまま言った。
「イグナが、あんたの話を上げたとき乗り気じゃなかった。室長代理なんて、危なすぎる。……でも、あの仮面が保証した。あの女は信じていい、って」
*
黒鉄卿が、結社に私を保証した。
カシアンが、結社と繋がっている。
私は、それを知らなかった。彼は石段で会うたびに、そんな素振りは見せなかった。処刑人の仮面の下で、彼は一人で生きているのだと思っていた。
「あなたは」
私は少年に聞いた。
「あの仮面と、どういう関係?」
少年はしばらく、黙っていた。
それから、立ち止まって、振り返った。夜目に、その顔が見えた。痩せた、鋭い目の少年。どこかで、見たことがある気がした。いや——似ているのだ。誰かに。
「兄貴だ」
少年は言った。
「あの仮面は、俺の、兄貴だ」
*
私は、その顔を見た。
カシアンに、似ていた。骨格が。目の形が。六年前、報告書に添えられていた肖像の、面影が。
「あなたは……第六皇子の、影」
「影、か」
少年は笑った。ぎこちない、兄と同じ笑い方だった。
「そう呼ばれてた。宝子になれなかった皇子のきょうだいは、みんなそう呼ばれる。玉座の儀で、兄貴の前に立って、刃を受けるはずだった。……名前も、なかった」
彼は、自分の胸に手を当てた。
「でも、兄貴が盾にしなかった。代わりに、自分が退場した。負けて死ぬことを選んだ。……そうすれば、俺を盾にしなくて済むって」
六年前。
カシアンが「病死」を選んだ、あの儀だ。私が、棺の底板をひとまわり大きく書いた、あの。
「兄貴は、俺に名前をくれた」
少年は言った。
「ヨナ、って。……この国で、いちばん静かな反逆だ、って、あんた言ってたな。名前をやるのは」
*
ヨナ。
カシアンが、名を与えた、影の弟。
母が、私に名を与えたように。私が、弟と妹に名を与えたように。カシアンも、この少年に名前を与えていた。
私たちは、同じことをしていた。
生まれた身分は、天と地ほど違う。皇子と、添え子。けれど、名前を奪われた者に名前を返す——その、いちばん静かな反逆を二人とも、していた。
「兄貴は、六年前に死んだことになってる」
ヨナは言った。
「棺から、出てきた。……底板が、なぜかひとまわり大きかったんだと。誰かがそう書いたらしい。おかげで、兄貴は爪を三枚剥がして、生きて出てきた」
彼は私を見た。
「あんた、その『誰か』を知ってるか」
私は答えなかった。
答えなくても、ヨナには伝わったようだった。彼は少し目を細めて、それから、また前を向いて歩き出した。
「……兄貴が、あんたを保証した理由が分かった気がする」
*
その夜、私は石段へ行った。
カシアンは、いた。いつものように、処刑広場を見下ろす石段の上に、黒い鉄の面が影のように立っていた。
「結社と、繋がっていたのですね」
私は、隣に立って、言った。
鉄の面は、少しのあいだ黙っていた。
「言わなかったのは、悪かった」
「いいえ」
私は言った。
「あなたが、私を結社に保証してくれた。……そのおかげで、妹を救う道が見えました。礼を、言います」
「ヨナに、会ったか」
「はい。……あなたに、似ていました」
カシアンは、鉄の面の下で小さく笑った気配がした。
「あいつは、俺より賢い。俺が棺から出たあと、あいつが結社へ繋いでくれた。……六年、俺はあいつと結社に、生かされてきた」
*
「妹の救出を、結社が手伝ってくれます」
私は言った。
「『消耗』の偽装で、炉から出す。イグナが内側で動く。ルーカス翁が名前と、隠れ家を用意する。……あとは、私が書類を書くだけです」
「いつだ」
「五日後。次の、搾取の日に合わせます」
搾取の日は、収容者が炉の奥へ集められ、点呼が乱れる。その混乱に紛れて、ミレナを逃がす。
「危険か」
「危険です」
私は、正直に言った。
「でも、四十日待つより、いい。……四十日後には、妹は搾り尽くされる」
カシアンはしばらく、黙っていた。
それから、言った。
「俺も、行く」
「あなたが?」
「処刑人には、炉への立ち入り許可がある。『消耗』した者の、始末をつけるのが処刑人の仕事のひとつだからだ。……俺がいれば、遺体の受け取りを装える」
私は、鉄の面を見た。
この人は、六年間名もない者が台に乗せられるのを、いちばん近くで見てきた。斧を、持たされて。
その人が、今度は名もない者を、生かす側に立とうとしている。
「……ありがとうございます」
私は言った。
カシアンは答えなかった。ただ、鉄の面の下で頷いた。




