第16話 戦略の第三条
ドラークスは後ずさったまま、私を見ていた。
覆面の奥の目を、覗き込むように。半年前に台に送った書き手三号と、いま目の前にいる書き手七号を、頭の中で重ねようとしていた。
重ならなかった。
重なりようがない。あの日、彼は私の顔を見なかった。台の上の女を、ただの番号のついた道具として、貴賓席から眺めていた。顔を、見ていない。
顔を見ていない相手を、人は思い出せない。
「……三号は、死んだ」
ドラークスは掠れた声で言った。自分に言い聞かせるように。
「あの女は半年前に、斬首された。私はこの目で見た。血が、飛んだ。首が、落ちた。……死んだんだ」
「ええ」
私は頷いた。
「死にました。……戦略の、第一条です」
「なに」
「死んだ女は疑われない」
*
ドラークスの顔が白くなった。
彼は、ようやく理解し始めていた。だが、理解しても、もう遅い。彼は明日の朝、台に乗る。私が、そう仕組んだ。
彼は何か言おうとした。衛兵を呼ぼうとしたのか、それとも、命乞いをしようとしたのか。
だが、その口から言葉は出なかった。
言葉が出たところで、誰が信じるだろう。半年前に処刑した書き手が、生きていて、覆面の後任として自分を嵌めた。そんな話を、明日台に乗る囚人が語ったところで、狂人の戯言として記録にも残らない。
この国では、記録に残らないものはなかったことになる。
ドラークスは、それを誰よりよく知っている。
十二年、彼自身が、そうやって道具の言葉をなかったことにしてきたのだから。
*
「なぜ」
ドラークスが最後に言った。
「なぜ、私を狙った。私は貴様に、飯を食わせてやっていた。書き手の椅子を与えてやっていた。……貴様は、それで生きてこられたのだ」
私はその言葉を聞いた。
飯を食わせてやっていた。椅子を与えてやっていた。
彼は本気で、そう思っている。自分が道具を生かしてやっていた、と。
私は答えた。
「あなたは、私の功績を、十年、自分のものにしました」
「それが書き手の仕事だ。書いたものは主人のものだ」
「ええ。その通りです」
私は静かに言った。
「だから、あなたの罪も、あなたのものです。……私が書いた戦略で、あなたが儀を穢したことになる。書いたものは主人のもの。あなたが、十二年そう主張してきた通りに」
ドラークスの目が見開かれた。
彼が十二年、道具から功績を吸い上げるために使ってきた理屈。実行者は道具、罪は主人に帰する。書いたものは主人のもの。
その理屈が、いま、彼自身を台に送る。
自分の作った刃で、自分が斬られる。
「これは、私怨ではありません」
私は言った。
「あなた個人を恨んでいるわけではない。……あなたは、この国の仕組みのひとつの歯車です。私は、その歯車をひとつ外しただけ。あなたの代わりは、明日別の誰かが座ります。何も変わらない」
私は彼を見た。
「変えるべきものは、あなたではありませんでした。……でも、あなたから始めるしかなかった。いちばん近くにいた歯車だから」
*
衛兵が扉を開けた。時間だった。
ドラークスは引き立てられていった。最後まで、私の方を振り返っていた。何か言おうとして、言えないまま。
彼が連れ去られたあと、地下室には私ひとりが残った。
窓のない部屋。乾いた空気。紙とインクと、燃やした封蝋の匂い。
私は机に向き直った。
書きかけの戦略が山積みになっている。皇子たちの「事故」の注文。誰かが、誰かを消したがっている。全員が、全員を消したがっている。
私は羽根ペンを取った。
*
翌朝、処刑広場の日程表が貼り替えられた。
毎月一日に貼り替えられる、あの掲示板。半年前、三段目に私の番号があった。
今日は、三段目にドラークス卿の名前があった。
彼には、名前がある。宝家の生まれだからだ。
私は人垣の後ろに立って、それを見上げていた。
群衆が湧いていた。屋台の豆を買う子ども。いい場所を取ろうと押し合う母親。笑い声。……誰もが楽しそうだった。
半年前と、何ひとつ変わっていない。
台の上にドラークスが乗せられた。よく通る声で演説していた男は、もう何も言わなかった。ただ、うなだれて、斧を待っていた。
黒鉄卿が台に上がった。
鉄の面の下の顔を、私はもう知っている。あの人は六年前、私が生かした皇子だ。そして、この国で名もない者が台に乗せられるのを、いちばん近くで、いちばん多く見てきた人だ。
斧が上がった。
群衆が静まった。
私は目を逸らさなかった。
*
斧が落ちた。
群衆が沸いた。子どもが母親の肩に乗せてもらって、背伸びをしている。屋台の方から、甘い匂いがした。
私は、その景色の中に立っていた。
ドラークスが消えても、この国の誰ひとり、幸福にならない。妹は、今日も炉にいて、番号で呼ばれ、帳簿の在庫として搾られている。
変えるべきものは、この男ではなかった。
私は掲示板を見上げた。
三段目の、ドラークスの名前。その上に、いつか別の名前を書く。
この国でいちばん座り心地のいい椅子に座って、いちばん重い罪を犯している者の、名前を。
私は人垣を離れた。
冬至まで、あと五月。




