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第15話 鎖と鎧

 ドラークスの沙汰は、三日後に下った。


 儀を穢した罪。斬首。


 第一皇子は証拠不十分で、罪を免れた。予想通りだった。皇子を裁くには、皇子を裁く覚悟が要る。皇帝は儀を前に、有力な息子を失いたくなかった。だから、罪はすべて戦略室長に落ちた。


 道具を使った者ではなく、道具そのものが罰される。


 この国は、いつもそうやって帳尻を合わせる。


 私が、そう仕組んだ。


 *


 斬首の前夜、私は地下室でひとり残っていた。


 書き手たちはみな帰った。案件は山積みのままだ。室長が捕らえられ、戦略室は機能を止めかけている。皇帝は新しい室長をまだ任じていない。


 その、誰もいない地下室に足音が近づいてきた。


 私は顔を上げなかった。書き手は顔を上げない。それが、この部屋の作法だ。


 だが、その足音はまっすぐ、私の机の前で止まった。


「――七号」


 声を聞いて、私は動きを止めた。


 ドラークスだった。


 *


 牢にいるはずの男が、地下室に立っていた。


 両手を縄で縛られている。だが、付き添いの衛兵は扉の外にいた。処刑前の囚人が、最後に身辺を整えることは許されている。ドラークスは、その名目で地下室へ降りてきたのだ。


 自分が十二年、室長として君臨したこの部屋へ。


「貴様に聞きたいことがある」


 彼の声はかすれていた。三日で別人のように痩せていた。脂の乗っていた顔が、こけている。


「あの綴じ順を入れ替えたのは、貴様だな」


 私は答えなかった。


「他にいない。……あの束に触れられたのは、書き手だけだ。そして、会合記録の在り処を知っていて紋章を寸分違わず写せる目を持つ書き手は、貴様しかいない」


 彼は縛られた手で私の机に、身を乗り出した。


「貴様は何者だ」


 *


 私は、ゆっくりと顔を上げた。


 覆面の下から彼を見た。


「……道具です」


「道具が室長を嵌めるか」


「道具は命じられた通りに書きます」


 私は静かに言った。


「私は命じられた通り、第三皇女を消す戦略を書きました。……ただ、それが失敗するように書いた。それだけです。書き手の裁量の内です」


「裁量、だと」


 ドラークスの目が血走った。


「貴様……!」


 彼の縛られた手が持ち上がった。


 その瞬間、彼の指先が印を結んだ。


 *


 この国の宝家ほうけの者は、みな縛りを使える。


 魔力の高い者が、低い者を縛る呪い。行動を封じ、命さえ握る。宝子たからごが添えそえごを従える力であり、主人が道具を管理する力だ。


 ドラークスは宝家の生まれだ。


 そして戦略室の書き手には、着任のとき室長の縛りがかけられる。裏切れば、命を握られる。逃げれば、心臓が止まる。それが書き手を縛る鎖だ。私も七号として着任したとき、この男に縛りをかけられた。


 いま、彼はその縛りを起動した。


 道具が主人を嵌めた。その罰として、道具の命を握り潰すために。


 私は動かなかった。


 *


 何も起きなかった。


 ドラークスの指先が震えていた。印は結ばれている。縛りは発動している。


 だが、私は平然と椅子に座っていた。


 息も、乱れていない。心臓も、止まらない。指一本、痺れもしない。


 私は何もしていなかった。力を抜いてもいない。指ひとつ、動かしていない。ただ、私の器が、この男の縛りより深いだけだった。彼の鎖が勝手に、私の鎧に変わっていた。


「……な、ぜ、だ」


 ドラークスの声が裏返った。


「なぜ、効かない。縛りは確かにかけた。着任の日に、この手で……!」


 私は彼を見上げた。


 そして、初めて覆面の下で、はっきりと笑った。彼には、その笑みは見えない。だが、目の形で伝わっただろう。


「効いていますよ」


 私は言った。


「ずっと、効いています。……着任の日から、今日まで」


「なら、なぜ――」


「あなたの鎖は」


 私は掌を、机の上に置いた。手袋の下に、簿外ぼがいの刻印がある。


「ずっと前から、私の鎧です」


 *


 ドラークスには意味が分からなかっただろう。


 縛りは、魔力の高い者が低い者にかける。


 だが、実際の力関係が逆だったら。


 縛った側より、縛られた側の魔力が本当は高かったら。


 ――呪いは反転する。


 縛りは守護になる。相手を封じるはずの鎖が、相手を守る鎧に変わる。かけた側はそれに気づかない。自分のほうが強いと、信じているからだ。


 ドラークスは私に縛りをかけた。着任の日に、道具を管理するために。


 だが、私の器は彼の縛りが届く場所より、ずっと深い。


 二年前、兄が死んだ夜。私の中で堰が切れた。移り、と呼ばれるものだ。宝子だった兄の力と器が、まれな現象として私に移った。私はそれを隠して生きてきた。


 だから、ドラークスの縛りは、かけた瞬間から反転していた。


 私を縛るはずの鎖は、この二年、私を守る鎧だった。彼が私を消そうとしても、この鎧がある限り、届かない。


 彼はそれを、知らずに死ぬ。


 *


「貴様……何者だ!」


 ドラークスが縛られた手で、私の襟を掴もうとした。


 その手が、私に触れる寸前で止まった。


 見えない壁に、阻まれたように。


 鎧が彼の手を拒んだのだ。


 彼の顔から、血の気が引いていく。彼は初めて、恐怖の目で私を見た。十二年、道具としか見なかった相手を、初めて、人として――いや、人ならざるものとして見た。


 扉の外で衛兵の声がした。時間だ、と。


 ドラークスは後ずさった。縛られた手を胸に抱えて。


「思い出せ」


 私は静かに言った。


「あなたが十二年、顔を見なかった書き手を。あなたが半年前に、笑いながら台に送った書き手を」


 彼の足が止まった。


「……まさか」


「見なかった顔は思い出せない」


 私は覆面の奥から、彼を見た。


「思い出せない顔は、疑えない。……戦略の、第三条です」

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