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第14話 峠道

 第三皇女の馬車は峠道で車軸を折った。


 三日後の昼過ぎのことだった。


 私は地下室でそれを知った。急報が戦略室に回ってきたからだ。第三皇女殿下、巡幸の途上にて落車。負傷、軽微。


 軽微。


 当然だ。第三皇女は無傷に近い。


 私は事故の日時を、匿名の文で、皇女の側近に流していた。峠道の、どの地点で、いつ、車軸が折れるか。皇女はそれを知って、その日、いつもより速度を落として峠を越えた。車軸は折れたが、馬車はゆっくり傾いて、止まっただけだ。


 狙われた本人が、狙いを知っていれば、事故は事故にならない。


 *


 なぜ、皇女を助けたのか。


 私は第三皇女に恩はない。会ったこともない。ただ、彼女に死なれると困るのだ。


 私が組んでいる絵は、四人の皇族が互いに噛み合って、自分の手で滅ぶ絵だ。第三皇女は、その絵の中でまだ役割がある。ここで第一皇子の手にかかって死んでしまっては、絵が狂う。


 だから私は皇女を生かした。


 そして、皇女を狙った戦略が「失敗」したことにした。


 失敗した戦略には、痕跡が残る。捕まった実行犯。差し出される保証人の紋章。成功していれば、事故は事故のまま埋もれた。失敗したからこそ、調べが入る。


 私は失敗するように書いたのだ。


 完璧な戦略を書いて、その完璧さの中に、ひとつだけ、失敗の種を仕込んだ。皇女が日時を知る、という種を。


 *


 仲介人は峠のふもとで捕らえられた。


 皇女の側近が待ち構えていたからだ。事故を予告されていた皇女は当然、実行犯を捕らえる手配もしていた。


 捕らえられた仲介人は、拷問にかけられるまでもなく、保証人の紋章を差し出した。自分は取り次いだだけだ、悪いのは依頼した者だ、と。


 保証人欄の紋章は――剣を握る鷲。


 戦略室長ドラークス卿の、紋章だった。


 *


 その報せが宮廷を駆けるのに半日もかからなかった。


 戦略室長が第一皇子と結託し、第三皇女を儀の前に消そうとした。証拠の紋章がある。


 貴族たちは、色めき立った。


 玉座のぎょくざのぎを前に、これはただの醜聞ではない。儀の血の不正——この国で唯一、穢してはならないものに、手をかけた疑いだ。


 三日後、皇宮の大広間に、戦略室長ドラークス卿が呼び出された。


 *


 私は書き手として彼の後ろに控えていた。


 道具は主人の三歩後ろに立つ。誰も私の顔を見ない。覆面の書き手など大広間の家具と同じだ。誰の記憶にも残らない。


 半年前と同じだった。


 あのときは私が台の上にいて、ドラークスが貴賓席で笑っていた。


 いまはドラークスが大広間の中央にいて、私が三歩後ろに立っている。


 立ち位置が入れ替わった。


 *


 玉座の間の高い場所に皇帝オズヴァルトが座っていた。


 初めて間近で見た。


 老いていた。頬がこけ、手が痩せている。だが、目だけは老いていなかった。三十年前、自分の玉座の儀を勝ち抜いた目だ。兄を、姉を、殺してきた目。その目で、彼は報告書の束をめくっていた。


 私が、綴じ順を入れ替えた、あの束を。


「ドラークス」


 皇帝の声は抑揚がなかった。


「この会合記録は、何だ」


「……は?」


「第一皇子と、そなたが、十七回」


 皇帝は報告書の一枚を指で示した。


「儀を前にして、私の戦略室長が我が息子のひとりと私的に会っていた。……そして、皇女の馬車の保証人欄に、そなたの紋章がある」


 ドラークスの背中が目に見えて強張こわばった。


 私はその背中を三歩後ろから見ていた。


 *


「陛下、これは謀りでございます」


 ドラークスの声が上ずった。


「私は、何も知りませぬ。紋章は、騙られたものです。会合記録も、誰かが仕組んだもの……そう、書き手です。書き手が独断で――」


「書き手は誰の名で仕事をする」


 皇帝がさえぎった。


 ドラークスの口が止まった。


「……戦略室長の、名で」


「では、そなたの仕事だ」


 *


 この国の法は、単純だ。


 実行者は道具。罪は発注者に帰する。


 ドラークスが十年、私の功績を自分のものにしてきた根拠がそこにある。彼は自分の名前で、私の戦略を献上し、自分の名前で、栄達した。書き手は道具で、道具の仕事は主人のものだからだ。


 同じ理屈で。


 彼は自分の名前で儀を穢した。


 書き手が独断で書いた、という言い逃れは通らない。書き手は道具だ。道具の書いたものは主人の仕事だ。彼自身が、十二年、そう主張して生きてきた。


 その主張がいま、彼の首を絞めている。


「儀の血は、正直でなければならぬ」


 皇帝は報告書を閉じた。


 乾いた、紙の音がした。


「戦略室長ドラークスを、拘束せよ。……儀を穢した罪、追って沙汰する」


 *


 衛兵がドラークスの両腕を掴んだ。


 彼は抵抗しなかった。抵抗できなかった、と言うべきか。この国の玉座の間で、皇帝の裁可に逆らえる者はいない。


 だが、引きずられていく途中で彼は初めて振り返った。


 後ろに立つ、覆面の書き手を。


 十二年で、初めて。


 彼の目が私の覆面をまじまじと見た。何かを思い出そうとする顔だった。この道具がなぜこんな場所に立っているのか。この道具の目になぜ見覚えがあるような気がするのか。


 思い出せない顔だった。


 当然だ。十二年、あなたは私の顔を見なかった。


 顔を見なかった相手を人は思い出せない。


 私はその目を静かに見返した。三歩後ろから、覆面の奥の、見えない目で。


 衛兵が彼の腕を引いた。ドラークスの体が玉座の間の扉の方へ引きずられていく。


 その背中を見送りながら私は半年前の処刑台を思い出していた。


 あの日、この男は貴賓席で笑っていた。道具が過ちを犯した、道具を捨てて償う、それが戦略室の規律である、と。よく通る声で演説していた。行儀のいい拍手が起きた。


 いま、その男が同じ広間で引きずられていく。


 だが私は溜飲が下がるとは感じなかった。


 この男を消しても何も変わらない。ドラークスがひとり消えたところで戦略室は明日も回る。炉は明日も人を搾る。妹は明日も番号で呼ばれる。


 ドラークスはこの国の仕組みの、ひとつの歯車にすぎない。


 歯車をひとつ外しても、機械は止まらない。


 止めるには機械を動かしている、いちばん上の椅子に手をかけるしかない。


 その椅子は、いま、私の目の前にある。


 高い場所で老いた皇帝が報告書を閉じて、こちらを見下ろしていた。


 私は目を伏せた。まだ、その時ではない。

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