第10話 玉座の儀
儀の公示は朝の鐘とともに来た。
帝都じゅうの鐘楼がいっせいに鳴った。いつもの時報とは違う、長く重い打ち方だ。この打ち方を私は生まれてから二度しか聞いていない。一度は先帝が崩じたとき。もう一度はいまの皇帝オズヴァルトが玉座に就いたとき。
三度目がいま鳴っている。
鐘の意味を帝都の誰もが知っていた。通りを歩いていた者が足を止め、屋台の主が手を止め、子どもが親の袖を引く。
玉座の儀が始まる。
*
午後、皇宮前の広場に勅令が掲げられた。
私は書き手としてその写しを地下で読んだ。
『皇帝オズヴァルト、御齢を重ね、次代を定むべき時至れり。よって玉座の儀を布告する。血を分けし皇子皇女は、来る冬至の日をもって、これに臨むべし。勝ち残りし者の一族、玉座を継ぐ。儀の血は、正直たるべし』
冬至まで、半年。
半年のあいだに、皇子皇女たちは堂々と殺し合う準備をする。そして、その裏でこっそりと相手を減らす準備をする。
勅令の最後の一行を私は指でなぞった。
――儀の血は、正直たるべし。
この一行が戦略室を食わせている。
もし儀が本当に「正直」だけで行われるなら、皇子たちは正面から斬り合えばいい。だが、誰もそうしない。少しでも生き残る目を増やすために、儀の前に相手を減らす。減らすには、それが不正だと露見してはならない。露見しない不正を組むのが、私たちの仕事だ。
正直であれという掟が、いちばん多くの嘘を生む。
この国はそういうふうにできている。
*
皇子皇女はもともと九人いた。
いまは、四人。
過去の小競り合いや「事故」で五人が減った。公式には、五人。だが実際には、生き残りは四人ではないと書き手たちは知っている。
たとえば、第五皇子。彼は過去の「事故」で片腕と後ろ盾を失い、儀の候補からは外れている。だが、死んではいない。宮廷の隅で返り咲きの機会をうかがっている。玉座を望む火種は公式の「四人」の外にもくすぶっていた。
第六皇子カシアンが六年前に「病死」した。
その死を書いたのは、私だ。
公式には彼は死んでいる。だが私は彼の棺の底板をひとまわり大きく書いた。彼が生きているのか死んでいるのか、私は結果を知らされていない。
――だから、公式の四人が本当の四人とは限らない。
この国の記録はいつも事実より少しだけ嘘をついている。
*
残った四人を私は書類の上で把握していた。
第一皇子。武断の人。軍部を後ろ盾に持つ。儀では最有力とされ、本人もそう信じている。だが、後ろ盾が強いということは、後ろ盾に見放されれば脆いということでもある。
第三皇女。毒と粛清の人。宮廷の毒殺のほとんどに彼女の影がある。誰も証拠を掴めない。彼女だけが書き手の目を見て話すと聞く。道具を道具として扱わない。それが恐ろしい。
第七皇子。若く、病がち。後ろ盾もなく、儀に出れば真っ先に消される。本人もそれを分かっていて、宮廷の隅で息を潜めている。
第八皇女。まだ幼い。母方の実家が強く、その実家が儀を代理で戦おうとしている。幼い皇女は駒だ。自分でもそれを知らない。
この四人が冬至に殺し合う。
勝った一人が負けた三人の血を根こそぎ絶やす。
それがこの国の玉座の受け継ぎ方だ。
*
公示の翌日から、地下室の空気が変わった。
案件が増えた。
どれも表向きは無害な名がついている。「第一皇子殿下・巡幸警護の見直し」「第三皇女殿下・薬園の管理体制」「第八皇女殿下・傅役の交代」。
だが、書き手の目で読めば透けて見える。
巡幸警護の見直しは、警護の穴を作るための下調べだ。薬園の管理体制は、毒の入手経路の確認だ。傅役の交代は、幼い皇女に近づく者の選定だ。
誰かが誰かを消したがっている。
全員が全員を消したがっている。
そして、その全員が戦略室に発注してくる。ドラークスは注文を受け、書き手に振り分け、書き上がった戦略に自分の紋章を捺して、それぞれの依頼主に届ける。
書き手たちは自分の書いた戦略が誰を狙ったものか知らない。全体を見ているのは、室長だけ。
――そして、私だけだ。
私は七号として断片を割り振られる。だが私の目は、断片から全体を組み上げてしまう。第一皇子の依頼と、第三皇女の依頼と、第八皇女の実家の依頼。それぞれの断片が私の頭の中で勝手に一枚の絵になる。
誰が誰を狙い、誰が誰に狙われているか。
その絵を持っているのは、この帝国で私ひとりだ。
*
私は机に向かって割り振られた断片を書いた。
書きながら、考えていた。
もし、この全員の注文を互いに噛み合わせられたら。
第一皇子が第三皇女を消す戦略と、第三皇女が第一皇子を消す戦略。両方を私が書いている。両方を少しずつ、同じ夜に向けて調整したら。
二人は同じ夜に互いを狙う。
どちらも自分の戦略が成功したと信じたまま相討つ。
私は誰も殺さない。
私はただ、彼らが動きたい方向に道を作るだけだ。
――戦略とは、人を動かすものではない。人が動きたい方向に道を作ってやることだ。
師の二つ目の教えだった。
道を作れば、人は自分の意思で歩いたと信じる。信じている者は止まらない。
*
その絵はまだ完成していなかった。
四人の皇族と、それぞれの後ろ盾と、それぞれの疑心。動く駒が多すぎて、一つ順番を間違えれば、狙いが逸れる。逸れれば、誰かが生き残る。生き残った者は次の儀で玉座に就く。
私が組みたいのは、四人全員が自分の手で滅ぶ絵だ。
それには半年ある。
半年で私は、この帝国の玉座を空にできるかもしれない。
空にして――その空いた玉座に、私は生きているはずの一人を座らせる。
六年前、私が棺の底板を大きく書いた、あの皇子を。
もし、彼が本当に生きているのなら。
*
その夜、私は石段へ行った。
黒鉄卿はいた。
もう驚かなかった。彼はいつもそこにいる。処刑広場を見下ろす石段の上に、黒い鉄の面が影のように立っている。
「儀が公示されました」
「聞いた」
「……ひとつ確かめたいことがあります」
私は鉄の面の隣に立った。
「六年前に病死した第六皇子は、本当に死んだのですか」
黒鉄卿は答えなかった。
風が石段を吹き上げた。彼の外套の裾が揺れた。
やがて、彼は言った。
「なぜ、それを聞く」
「玉座を空にするなら」
私は掲示板の日程表を見たまま言った。
「空いた玉座に、座る者が要ります。正統な血で、儀に敗れていない者が。……死んでいない皇子が、もしひとりでもいるなら」
鉄の面がゆっくりとこちらを向いた。
仮面の目穴の奥で初めて光が動いた気がした。




