第十三話 過去からⅢ それでは
西の門。ベルは剣を携え、旅の荷物を背負ってそこへ赴いた。
「来たか」
振り返ったデトの傍らにはリア。彼女の両腰には〝刀〟と呼ばれる二振りの武器が静かに添えられている。
「遅いですよ」
咎めるように言ったのはデトではなく、リアだった。
「悪いわね。まさかオゼロよりも遅れるとは思わなかったわ。……なんだかこんな会話、前にもしなかったかしら」
ベルが苦笑しながら視線を巡らせると、集まっていたのはデトたちだけではなかった。オゼロ、アルバ、そしてギルバルドさえもが、新たな旅立ちを見送るために足を運んでいた。
オゼロが自慢げに胸を張る。
「我が友であるベルさんの門出ですからね。寝てなんかいられませんよ」
「全く、調子のいい奴ね」
いつもなら鬱陶しさを隠さず毒づいていただろう。しかし、今は何故か自然と笑みがこぼれた。
ベルの柔らかな表情に、オゼロもまた満足げに微笑みを返す。
そんな中、ギルバルドが一歩前に進み出た。彼の手から差し出されたのは、小さな板――ベルの名が刻まれた冒険者証であった。
「ギルバルドさん、ありがとうございます。急に用意してもらって」
「問題ない。ベル殿には命を救われたのだ、これぐらいのことはさせてくれ。それと、その冒険者証にはすでに有戦免許を付与してある」
「え? いいんですか?」
「先の戦いを見れば、貴殿がその資格を持つに値することは明白だ。ここは私の権限で処理させてもらった。その方が今後も都合が良いだろう」
「……ありがとうございます」
「うむ」
ギルバルドから受け取った冒険者証を、ベルは静かに見つめた。
――これでもう、後戻りはできないわね。
最後のピースが、これで揃った。
ギルバルドが一歩下がると、代わって目の前に現れたのはアルバであった。
彼女は透き通るような白い両手で、ベルの手を優しく握り込む。そして、ベルの目を真っ直ぐに覗き込んだ。
「元気でね」
その言葉と共に向けられた眼差しは、いつも宿で見せる柔らかな女将のものではなかった。燃え盛るギルドで敵を退けた歴戦の冒険者、白狐としての、底知れぬ深みと据えた色を宿していた。
「それと、リアちゃんとデトくんも。体調には気を付けるのよぉ」
背後にいたリアが「はい」と小さく返事をし、デトは無言のまま短く頷いた。
アルバが名残惜しそうにベルから手を離す。
そして、最後の別れの挨拶――オゼロが残った。
彼は相も変わらず、どこか胡散臭い、薄気味の悪い笑みを浮かべてベルと向き合っている。だが、オゼロはベルを見つめるだけで何も言わない。
奇妙な沈黙が落ちた。
ベルは「フッ」と鼻を鳴らして笑う。
「何よ。あんたらしくないわね」
それでもオゼロは声を発さなかった。
ベルもまた、彼の糸のように細い目を見つめ返す。不思議と、この静寂を不快だとは思わなかった。
「そういえば。この街であたしと対等に接してくれたのは、あんただけだったわね」
オゼロは、ゆっくりと目を瞑った。
「寂しくなりますね。あの詰所に残るのも僕だけです」
その言葉に、ベルの胸が微かに締め付けられる。
それでも、後ろ髪を引かれるまま立ち止まるわけにはいかなかった。
ベルは拳を握り、オゼロの胸をコツンと軽く小突いた。
「後は、頼んだわよ」
自分で発したその一言で、アリスタの衛兵としての糸が、完全に断ち切られた気がした。オゼロの薄気味悪い表情が、どこか優しく、そしてどこか哀しげなものに変わる。彼は黙ったまま、小さく頷いた。
ベルはそっと彼の胸から拳を下ろし、サッと背を向けた。
「ベルさん」
その声は、いつもの余裕のある彼には似つかわしくない、どこか縋るような、切実な焦燥を含んでいた。
肩越しに振り返ると、オゼロはその細い目の奥から、真っ直ぐにベルを見据えていた。
「お元気で」
ベルは、ただ首を小さく縦に振るだけだった。言葉は交わさずとも、それは確かな重みを持った返答であった。
歩き出す。遠ざかっていく。
もう、振り返らない。
待っていたデトとリアの横に並ぶ。
ベルは手を振るオゼロやアルバたちを背にして、西の門を抜けた。
***
残されるオゼロ。
ギルバルドとアルバが街へと戻っていく中、彼はただ一人、門の先に視線を向けていた。
唯一の人間としての友の背中が、緑の奥へと吸い込まれ、完全に視界から消え去るその時まで。
やがて、誰にも聞こえないほどの声で、小さく呟いた。
「それでは。また、どこかで」
***
第十三話 過去から 完




