第十三話 過去からⅡ 衛兵の最後
ベルはとある場所を訪れた。そして、あの人がいるであろう部屋の戸を引く。
ガラガラと音をたてながら木の戸はスライドした。
陽光の差す木の空間の奥に目をやれば、その人がベッドで上半身だけ起こし、新聞を読んでいる。来客に気づいた彼は、その裏から顔を見せた。見慣れないメガネをかけており、つい最近顔を見たというのに、何故かどっと老けた印象を受けた。
「グレッグさん」
「おお、ベル」
グレッグは広げていた新聞をたたみ、そばの棚に置いた。
「身体は大丈夫ですか」
「ま、なんとかな」
座れと言わんばかりに、グレッグは丸椅子を移動させた。
それにベルは腰をかけ、グレッグと向き合う。
「グレッグさん。あたし、ここを出ていきます」
「ああ、オゼロから聞いたよ。わざわざそれを言いに来たのか」
「グレッグさんにはお世話になりましたから」
グレッグがベルから目線を外した。どこか後ろめたそうな表情だ。
ベルは少し俯く。
若干の居心地の悪さを感じ、手の甲をさすった。
思えば、彼女はグレッグと個人的な会話を交わすことはこれまでなかった。
静かな空間に風が吹き込む。
先に口を開いたのはベルだった。
「衛兵、やめるんですか?」
その言葉にグレッグはベルに目を戻した。
「なんで知ってんだよ」
「さっき、あたしが辞めるって言いに行ったら、『おまえもか』って」
グレッグが頭を掻く。彼の指の隙間に入った髪には白髪が見えた。
「もう歳だしな……。オゼロみてぇにこんな傷を負ってすぐ動く、なんてできねえよ」
彼は身体に大量の包帯を巻いており、その上から患者衣を着ている。
「それはオゼロが異常なんです」
「そりゃ確かにな」
グレッグは小さく笑った。
「ま、のんびり暮らしてくとするよ。まだ次の仕事決まってねえけど」
再び訪れる息苦しいほどの静寂。
ベルは出発の挨拶だけしようとここに来たが、グレッグを前にすると伝えなければならないことが頭の中に流れ込んだ。
だが、何かが邪魔しているのか、すぐには言葉にできない。
やっとのことでベルは声を出す。
「グレッグさんとオゼロには感謝してます。世間知らずで反抗的なあたしに付き合ってくれて……」
ベルは下を見ていたが、ふとグレッグに目を向ければ、彼は面食らったように目を開いていた。
「な、何ですか、その顔」
「ああ、いや。お前その自覚あったんだな」
一気に不服な顔になるベル。それを見たグレッグは焦ったように口を回した。
「まあ、反抗的というか、正直なとこ? がお前のいいところだよ」
「……とにかく、一年間ありがとうございましたッ」
吐き捨てるように言ったセリフは不満を隠しきれていなかった。
ベルは拗ねたようにグレッグから顔を逸らしていたが、視線を感じた。目を向ければ、グレッグが小さな笑みをこぼしていた。
「何ですか」
「いや、お前。丸くなったな」
「うるさいです」
グレッグが何かを懐かしむような遠い目をした。
「俺の娘もよ、お前みたいに我が強いタイプだったな」
「だった……?」
口が滑った。容易に想像できる答えだったのに。
「元々冒険者でな……五年前、神秘の森に行ったきり戻ってきてない」
ベルは口を噤み、グレッグを見つめた。
慰めの言葉など、見つかるはずもなかった。
グレッグはベルの視線を避けるように、窓の外へ顔を向けた。
「東の門番やってるとよ、冒険者を神秘の森に送り出すんだ。……あの日も俺が担当だったな」
彼の横顔には、長い年月をかけても消えることのない深い後悔が刻まれていた。
「アイツの……娘の冒険者証が黒くなったって聞いた時から、俺が冒険者たちを殺してるんじゃないかって思うようになった。不思議だよな。やってることは今までと変わらんのに、身内がそうなって初めて自覚するんだ」
グレッグの太い指が、膝の上で強く握りしめられる。
「ずっと。この仕事を辞める機会を探していた。おかしいだろ? つらいならさっさと辞めればいいのによ。……でもあそこが、アイツの笑顔を見た最後の場所だから」
その続きは言わなかった。
ベルは、初めてこの人の根底にあるものに触れた気がした。門番としていつも口うるさく、冒険者たちに厳しい態度をとっていた理由、それが少しわかった気がした。
長い沈黙の後、グレッグはふっと息を吐いた。
「それでも本当は、一回やめようとしてたんだ」
「何故、続けていたんですか」
「お前のせいだよ」
「は……?」
思いがけない言葉に、ベルは間の抜けた声を漏らした。
「上司だろうと納得いかなきゃ突っかかるお前が、あまりにも危なっかしくてよ。放っておけなかったんだ」
「それは……申し訳ないです」
ベルはバツが悪そうに視線を彷徨わせた。確かにこの一年、生意気な態度ばかりとっていた自覚はあった。
グレッグは笑みを浮かべたまま、どこか眩しいものを見るような目つきに変わった。
「……それに、自分持って正しさを貫くお前に、俺が勇気もらってたな」
気恥ずかしさと、不器用な男からの思いがけない言葉に、ベルは気の利いた言葉を返すことができなかった。
沈黙が降りた部屋の中で、不意にグレッグが真面目なトーンで口を開く。
「なあ、ベル」
彼の声は、いつもとは違う、心を包み込むような温かさを含んでいた。
「諦めんなよ」
「え?」
「この一年、お前が衛兵って枠の中で窮屈そうに苦しんでたのは見ててわかってた。……これまでどんな理不尽な目に遭ってきたのかも、初めてその顔を見た時から大体想像がついてた」
ベルは小さく息を呑んだ。
「それは、お前のその曲がらねえ強い矜持のせいだ。だからきっとこの先も、お前には、俺なんかじゃ理解してやれないほどの逆境が待ってるだろうな」
グレッグは顔を上げ、一人の不器用な父親のような真っ直ぐな瞳でベルを射抜いた。
「剣を置く俺が偉そうに言うのもナンだけどよ」
荒く、太い声が、ベルの胸の奥底に真っ直ぐに落とし込まれる。
「痛ぇ思いしても、自分の無力さに死にたくなっても、孤独で押しつぶされそうになっても――最後に笑っていりゃ、お前の勝ちだ」
グレッグは娘を見るかのように柔らかく笑った。
彼の言葉は、若き戦士の背中を押す送辞だった。
ベルの視界が、不意に滲んだ。
彼女はぐっと奥歯を噛み締め、溢れそうになる熱を瞳の奥に閉じ込める。
静かに立ち上がると、深く頭を下げた。
「……お世話に、なりました」
その声は、ひどく震えていた。
窓から漏れ出る陽光よりも、彼女は胸の内に温かさを感じていた。
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