第十二話 踏み出す一歩Ⅱ 決意
「大変なことになりましたね」
東の門の詰所。オゼロが注がれた茶器をベルに差し出した。
机に置かれたお茶の水面にベルの顔が映る。
「ですが、我々衛兵にこれ以上できることはないでしょう」
オゼロはベルの前に座り、自分で入れた茶をすすった。
「そうね……」
ベルは神秘の森の方角を見る。
あの夜切り裂かれた鉄の扉の代わりとして鉄板がそこを防いでいた。
その横にある窓口からは夕焼けに色づいた外の世界が見える。だが、そこでいつも新聞を読んでいたグレッグの姿はない。
「これから、冒険者はギルドの再興と魔石の確保が主な仕事になるわね」
「ええ、そうでしょうね」
静かな時が流れる。
デトとベルが訪れたあの日から、こうして落ち着ける日はなかった。
久しい平穏になぜかベルは違和感を感じていた。
もしかしたら彼女は足を動かし、汗を流す日々を心地よく思っていたのかもしれない。
「ああ、そういえば」
オゼロがにわかに立ち上がり、隣の部屋へと歩いて行った。
再び姿を見せたと思えば、手に何やら封筒を持っている。
「ベルさんあてに、本部から手紙です。今日ここに戻ってきたら置いてありました」
ベルはそれを受け取り、封をあけて中にある文面に目を通した。
堅苦しい言葉の羅列を脳で紡いでいく。
意味を理解したときベルは目を丸くした。
「どうしました?」
「……昇進、ですって」
「おお。それはそれは」
オゼロの薄気味悪い笑顔が歓喜のものに変わった。
「オーク・統率者を討伐し、原欲の徒の重要人物の首を取った。当然の結果でしょうね」
「ふふん」と自分のことかのように鼻を鳴らすオゼロ。それとは対照的にベルは浮かない顔をしていた。
それに気づいたらしくオゼロが首を傾げる。
「ベルさん、どうされました?」
ベルの瞳は虚空を見つめていた。
「あー、いや、なんというか……」
「嬉しくはないのですか?」
――嬉しい? うれしい……ウレシイ
何故か心が、晴れない。
ただの音の羅列がこだました。
不思議そうに見つめるオゼロはお茶をすする。
「それともう一つ」
虚空からオゼロへと目だけが移った。
「デトさんとリアさん、そろそろ、ここを出ていくそうですよ」
「へ?」
素っ頓狂な声が出た。
「元々彼らは探し人がいたそうですからね。この街には、もう用はないようです」
衝撃的だった。どうしてか、デトとリアがこの街で過ごしていく、そんなことをベルは勝手に考えていた。
「探し人……ジークって人だっけ」
「そう言ってましたね」
ベルの心の中でモヤモヤしたものが膨らんでいく。心の奥底にある願望めいたものが浮き上がってきた。
終始視点が定まらないベルをオゼロが見つめていた。そして、そっと茶器を置いて彼は目を閉じた。
「……ベルさん僕ね? 生きとし生けるもの皆、自由に生きることが一番だと思うんですよ」
「何よ急に」
「己の心に従い、己の道を行く。すばらしいじゃないですか。……ですが現実はそう、うまくはいかない」
ベルは黙って聞いた。オゼロの声が低くなっていたから。
「様々な壁が我々の周りにはあります。種族、環境、個性。それらのせいで理不尽を被る方や、自分の心を押し殺す方がいる。自分の道を、見失う方がいる」
オゼロの細い目の奥に悲壮が感じられる。これまでの彼とはまるで印象が違う。
「だからね? ベルさん。やりたいようにやればいいんです。あなたには今、そのチャンスがある」
オゼロは立ち上がった。彼の顔にはいつもの薄気味悪い笑顔が戻っていた。
「お茶、入れますね」
そう言って別の部屋へと姿を消した。
一人座るベル。
未だ、散らかった心情に支配されていた。
***
翌朝。ベルはいつも通り、胸当てをつけ、籠手を装着し、剣を携えた。
街を徘徊する。
ベルは衛兵としての退屈なこのルーティンを、今は愛おしく感じている。
陽光が街を照らし出している。アリスタには、以前のような熱気に満ちた活気はない。人々の顔には未だ疲労と不安が滲んでいた。
だが、それでも。
荷馬車を引く男たちの声が響き、ギルドの方角からは復旧作業の音が規則正しく聞こえてくる。大通りでは細々と露店が再開され、朝の支度をする住人たちの営みがそこにはあった。
街は生きていた。絶望に打ちひしがれるだけではなく、確かに前を向いて歩き出そうとしている。
昨日のことを思い出す。
彼女の実力が認められた。喜ばしい結果。そのはずだった。だが、森へ進軍するときはあれだけ手柄を取ると息巻いていたというのに、思ったよりも心に響かない。たった数日、あの数時間で何が変わったというのか。
デトの戦う姿が脳裏に焼き付いている。敵を蹴散らしていく圧倒的な力。オークの軍勢を引き受け、ベルの背中を押した、手柄に固執しない矜持。
ベルの憧れた〝騎士〟をデトの背中に見た。
気づけばいつもの詰所にたどり着いた。中に入れば、グレッグに代わりオゼロが迎えた。
彼が茶を出す。ベルはそれを手に取り、口に運ぶ。この習慣が遠のく。そんな気がした。
ベルは父の顔を浮かべた。
――理想を貫きたくば、力を得るしかない……か
いつしか執着していた、アリスタの衛兵という小さな社会での地位。
――もしもアリスタで上に行ったとして、その先には何がある?
本当の理想を追い求められるのか。
ベルの思い描いた〝騎士〟になれるのか。
答えは明白であった。
オゼロが彼女に、饒舌に話しかける。
「デトさん。原欲の徒の幹部と闘ったそうですね」
「そうね。あれは相当やばい奴だったわ」
ベルはオゼロとは視線を合わせずにいた。
「まだ生きているようなので、いずれまた闘うことになりそうですね」
「そうね」
「リアさんも、一人で勝ち星を取ったそうです。初めてここに来たときは、背の丸まった少女でしたのに、全く、恐ろしい成長力です」
「ええ」
「二人とも、ランクが一つずつ上がるそうですよ。ギルバルドさん曰く、特例の昇格だそうで、ベルさんと同じですね」
「……」
「デトさんがB、リアさんがCでしたっけ?」
「……」
「ベルさん……?」
二人の間に風が吹き込む。以前よりも快く感じられた。
ベルは外の風景を眺めていた。
「ねえ、オゼロ」
不思議そうに見つめるオゼロの視線を横目でも確認できた。
〝あなたには今、そのチャンスがある〟
オゼロの顔を見て最後の一歩を踏み出した。
「あたし、衛兵やめるわ」
***
第十二話 踏み出す一歩 完




